「ソーシャル」を批評・評価して価値付けする時期に来てんじゃないの?
- _heathworld_
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つか、一度、ソーシャルネットワークで活躍している35歳以下の若い人(古市氏でもイケダハヤト氏でも家入氏でも誰でも良い)によって、いちど「ソーシャル」の評価を本という形ですべきではないんですかね。
2013-02-14 10:39:35評価して初めて価値が確定するので、早めに価値を一度総括してしまった方が良いんじゃないか?とは思うのですよ。特にこれは若い人がやった方が良いように思える。それを前提に、経験のある人・あんまりソーシャルにはかかわってない人なんかが外野から評価に口を出す形が良いように見える。
2013-02-14 10:41:36逆に言えば、そういう人たちの批評に耐えきれるだけの重厚なもんが書けるかどうかがポイント。そういう意味では、これを書ける逸材っていないのかな?津田さんよりか若い方が良いっす。ホントに。「新鋭言論者」とか冠抱いても違和感ないような人が良いんだよ。
2013-02-14 10:43:12そろそろ「年上の人・目上の人」が「世界を総括し」て、「若い人」が「天に唾を吐く」様な言論の流れはどうにかして断ち切っていただきたい。
2013-02-14 10:45:52しかし、この10年ぐらい踊っているソーシャルをどの視点から批評すればいいのかについては、未だに私自身もよくわかってない。やはり、経済からが一般的ではあると思うが、そうすると「ソーシャルな繋がり」を正確にとらえることが難しくなる。この繋がりは経済的なものに限定しないから。
2013-02-14 10:48:50この点については、あのコトラーも気が付いていて、「マーケティングは経済学・経営学の視点をはみ出つつある」と、マーケティング2.0の中で書いている。
2013-02-14 10:49:44ちなみに、私が書くと思想的な部分が強く出てくるようになるが、そうすると、どうも共産主義やユートピア思想的なものと融合しているように感じ取れるのでどうも気持ち悪い。 正確には「今までのコミュニティと新たなコミュニティ」という視点が入り込むと一気にアナーキズムとの融和が進んでしまう。
2013-02-14 10:51:55とすると、ソーシャルなムーブメントという「ムーブメント」に注目すると、アート批評的な批評も立脚点として面白いのかもしれんなぁ。
2013-02-14 10:52:47① 経済的なもの とりわけ、経済とマーケティングに分けた方が良いかもしれない。ただ、ここでマーケティングという言葉を出すと、その中の小項目が分散しそうなので、経営という言葉の方がよさそう。 ここでは、ソーシャルが生み出した市場とそのソーシャルによってコミュニティの発展経路を描く。
2013-02-14 10:55:11② 技術的なもの これは絶対的に必要。ソーシャルだから生み出された技術とソーシャルに寄与した技術の2輪をオーガナイズするイメージ。 ここでは、出来る限りコミュニティの話は出さないように作る。但し、結びとしては、「技術分野もコミュニティを作れる」などで〆ても良いかもしれないね。
2013-02-14 10:56:59③ 思想的なもの これは書き方がとてもとても難しい。ここでは引用論文や本などが大量に必要になるだろう。出来る限り独善的視点は排除すべき。(前段の経済・技術に関しては独善的視点が入ってもかまわない。) 出来ることならアダム・スミスやネオプラトニズムを絡めてアナーキズムを駆逐する。
2013-02-14 10:59:03④ アート的なもの これは、ソーシャルそのものの批評ではなくて、ソーシャルが生み出したムーブメントの批評になる。非常に間接的な批評だが、その分、批評できる題材も多いので素材の選択に悩まされそう。言うなら、東日本大震災の寄付行動とかそういうのも批評可能だと思うしね。
2013-02-14 11:00:40⑤ 政治的なもの 最後は、やはりこれで〆るべき。大前提として、「古いコミュニティの崩壊と新しいコミュニティの萌芽における混乱期」的な話は、今までの流れで書かれているので、それを国家論や統治論と絡めて説明する。逆に言えばこれを説明出来なければソーシャルはただのムーブメントで終わる。
2013-02-14 11:02:50