佐藤正美_20130201_15

0
佐藤正美 @satou_masami

事業の中で古い過去から伝承して来ているユーザの凡ての言語には、SEには意味不明の碑文の様な性質を帯びている。それなら、事業の「意味」の分析は、先ずユーザ言語を明らかにする仕事でなければならぬ筈だ。ことばは、個人を超えた社会的事実である事をはっきり見て取るべきだ。

2013-02-01 18:21:40
佐藤正美 @satou_masami

「物アレバ名アリ」は当然で、先ず(事業を記録した)文を読めて論じなくては、ユーザの体験を知る事はできない。事業とは形ある個々の物の集まりではない。物全体の「統名」なのである。ユーザの体験全体の名だと云ってもよい。人々の個々の営為に脈絡がつき、一定の意味を帯びた軌道となっている。

2013-02-01 18:22:09
佐藤正美 @satou_masami

厳正な意味での科学の成果(後件)は、その対象(前件)が正しく選ばれている事に由来している。

2013-02-02 06:35:42
佐藤正美 @satou_masami

SEたちは、事業に関与した人々が記録した文を忍耐して読もうとはしなかった。幾つかのパターンからの又聞きで逆に対象に向かった。この態度が事業の説明に関しての亡霊(大雑把な概念)を生んだのである。科学には、そんな亡霊は憑依する筈もない。

2013-02-02 06:36:28
佐藤正美 @satou_masami

「事実」は常に論(言説)の試金石である。事物をいったん言語に翻訳する事に依って共有された「意味」は、また、それを事物に対比する事に依ってしか確証する道はない。そんな事を今更語ると、SEたちはわかり切った事だと云うが、果たしてわかっているか、、、。

2013-02-05 00:18:48
佐藤正美 @satou_masami

事業の構造を説明しなければならない「システム分析」(情報科学)が、扱う対象の曖昧な様相に関して嘆かずに、それどころか、逆に、まさにその事がSEたちを元気づけているとは奇怪な事ではないか──「我々は事業を設計できる」と。ちと元気が良すぎる(苦笑)。

2013-02-06 04:11:34
佐藤正美 @satou_masami

我々は申し送りするために言語を使う。言語には「意味」が付与され、「意味」が人々の間で伝達される。それだけの話である。それだけの話だが、こういう常識を心に止めて置くのは、事業を分析するには、その本質(?)を探る事に急ぐより、よほど大事な事である。考えるとは言語を対える行為である。

2013-02-06 04:12:08
佐藤正美 @satou_masami

私は、「言語、言語」で仕事をした文学者ではなくて、「意味」の立つ条件を考えて来たシステム・エンジニアである。私は工学に、得意の文学で対抗したのではない。私は常に論理的意味論を念頭に置いて仕事をして来た。その接近法はプログラム言語でも同じ筈である。

2013-02-07 16:42:30
佐藤正美 @satou_masami

モデル技術は確実な技術であるが、単純な技術であるが故に見くびれば、その形骸しか倣(なら)う事ができない。「論理」に根を下ろしている技術は、その根が深ければ深いほど、「論理」を滋養物にしている。その意味で、(「論理」に根を下ろしている)単純な技術ほど体得するのが難しい。

2013-02-08 00:26:24
佐藤正美 @satou_masami

TMは単純な技術だが、私以外の人たちがTMを説明するには、どうもうまくいかない性質がある様だ。私に死なれてしまえば困るという性質がある様だ。それを説明する人にとっては説く論が直ちに「論理」(数学基礎論)となる所以の技術である。しかし、それはアルゴリズムの説明でも同じであろうw。

2013-02-09 03:51:10
佐藤正美 @satou_masami

事業がその構成条件を明かすのは、条件そのものが事業である時に限る。事業の「意味」を形式化できるのは、形式化されない前に、様々な営為は手続き化されている(あるいは、それらを報告する「情報」が論理性を持っている)がためである。「意味」があるのは、そう整備されている現実だけなのである。

2013-02-09 03:54:06
佐藤正美 @satou_masami

TMは、日用の技術だが、今日云われている意味での「現場主義」ではないのであって、私がひたすら伝えたかったのは分析の論理性にあったのだが、これを単純に説く公式は無論ない。具体的な対象(現実的事態)がないと、当然、技術の態を成さぬのであり、語るに適えない代わりに形骸化する懸念もない。

2013-02-09 03:56:14
佐藤正美 @satou_masami

私は数学基礎論の研究家ではない。その模倣者(使用者)なのである。私はTMを以て数学基礎論を正しく説明したのではない、モデル論という原譜を具体的に弾いたシステム・エンジニアである。私は原典にできる限り忠実たらんとした。システム・エンジニアとして「論理」に信を置いただけである。

2013-02-12 19:07:05
佐藤正美 @satou_masami

わかり切った事の様であって存外忘れられているのだが、近代の科学の進歩は、その仕事の中で、先ず「物」という定義を取り除いた──無定義語として扱った──事に基づいている。ヒルベルト氏が考えていた公理系とは、「『物』を区別できるシステムがあればよい」という事であろう。

2013-02-12 19:07:38
佐藤正美 @satou_masami

TMは数学基礎論の技術を流用したが、「システム分析」とは何かという問題を考え直さねばならぬ事態に私は図らずも立ち至った。「論理」に依る形式化が果たして事態を明らかにするのか、それを注意深く吟味するなら、「意味論」(真とされる値の充足)を実証(真理条件)として考える他にない。

2013-02-12 19:08:15
佐藤正美 @satou_masami

システム分析では、事業とそのモデルとは離す事はできないが、両者は、それぞれ、その前提・目的を異にしている。秩序を異にするので、両者を同一視できない。両者は対比されるのである。この対比が意味論の基本形式であり、これに「論理」が入って、形式的構造(記号演算)が出来てモデルが成立する。

2013-02-15 00:15:43
佐藤正美 @satou_masami

システム・エンジニアはアルゴリズムを作る。アルゴリズムに「事実」があるのではない。それは「事実」の形相を替えて了う。どんなアルゴリズムも、言語と事物との関係から成立している。アルゴリズムは形式であり、それを充足する値が「事実」なのである。その周知な事を私は語っているだけである。

2013-02-15 00:16:16