《2011年3月12日にメルトダウンを否定した人を、私は信用しない。》

ちょっと当時を振り返り、現在の発言状況に重ねてみました。 結局信頼できるのは、チェルノブイリ事故被災地で、一貫して住民に寄り添ってきた人たち、というのが私の判断基準です。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

ちょっと振り返り。うまくつながるかどうか分からないけど、連続ツイートして、まとめてみる。

2013-02-18 21:48:10
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

1 2011年3月11日。M9の大地震が東北地方太平洋沖で発生した。東日本で稼動していた原発で、大きなゆれを記録した箇所では一応全基、緊急自動停止した。幸いなことに自動停止自体はうまく行ったと思われる。

2013-02-18 21:50:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2 東京電力福島第一・第二原子力発電所、東北電力女川原子力発電所、日本原電東海第二原子力発電所には、大津波が襲来した。女川と東海第二は、事前に余分な工事が行われていたなどの偶然で、奇跡的にすんでのところで冷却機能を維持できた。しかし、福島第一・第二は全電源を喪失してしまった。

2013-02-18 21:55:41
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3 2011年3月11日深夜、既に福島第一原発一号機はメルトダウンしていたと、その後の調査からは推測されている。この事象が速すぎるので、一部の専門家は、緊急冷却装置(IC)からの冷却水漏れがあったとの疑いを持っているが、東電の調査妨害で確認できていない。

2013-02-18 21:58:09
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

4 2011年3月12日に日付が変わる頃には、既に福島第一1号機の燃料はメルトダウンしており、まもなく周辺で空間放射線量の上昇が始まる。放射線量は原発敷地境界よりも遠い観測点で、いち早く観測されている。その点、原発敷地境界を基準に判断する基準を作るのは、適切とは言えない。

2013-02-18 22:01:07
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

4 京都大学小出助教、九州大学吉岡教授は、3月12日に、メルトダウンの可能性を指摘している。これに対し、東京大学早野教授、大阪大学菊池教授らは、「デマ」と公言した。ネット上ではデマ認定のほうが多く、現実的推測をした科学者が「不安をあおる」との攻撃を受け始めた。

2013-02-18 22:05:36
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

5 不思議なことに、従来から「反原発」を語っていた人以外の物理系の科学者とサイエンスライターとその取り巻きは、そろいもそろって、小出助教や吉岡教授を「デマ」と非難している。2011年3月12日には、メルトダウンを疑わせるデータはネット上のあちこちに出てきていたはずなのに。

2013-02-18 22:08:11
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

6 その3月12日に変わる前に、福島県が第一原発から半径2キロの住民に、続いて日本政府が半径3キロの住民に避難指示を出した。しかし、当時周辺自治体への通信手段は回復しておらず、周辺自治体はテレビやラジオの放送でそれを聞き、広報車や町内会等を通じて、住民に3キロ圏外へ避難させた。

2013-02-18 22:17:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

7 しばらく時間をさかのぼる。3月11日15時過ぎ(と私は聞いている)、原発労働者から家族に、遠くに避難するように連絡があった。家族の殆どが、周囲に知らせず避難した。一部は友人や親戚等に連絡したらしい。これは、事故前に現地でささやかれていた通りの現象だった。

2013-02-18 22:19:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

8 最初の避難指示を出す記者会見で、当時の枝野官房長官は、「放射能は現在炉の外に漏れていない」「万が一の措置だ」と強調している。が、3月11日23時には1号タービン建屋外で1.2ミリシーベルトを記録。格納容器の外に放射性物質が漏れていることが明白となった。

2013-02-18 22:24:20
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

9 3月11日から12日に日付が変わる時、1号機の格納容器で異常な高圧が計測され、何らかの爆発が起きる危険性が高まっている。この話は午前2時にNHKが報道している。格納容器内部の異常な圧力上昇。専門家ならこれでメルトダウンの危険性を察知できたはずだ。

2013-02-18 22:27:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

10 したがって私は、2011年3月12日の段階で原子炉のメルトダウン情報を「デマ」扱いした物理系の関係者は意図的に情報をミスリードしていたと断言する。私はバリバリの文系だが、この段階で原発が無事でないことを確信できた。

2013-02-18 22:30:05
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

11(大雑把に行こう。ここでこだわってたら、論じたいところまで到達できない。)3月12日5:44避難範囲は第一原発から半径10キロに拡大された。発表は保安院6:19会見、NHK6:36放送、(これも、該当自治体は放送で知った)この頃菅総理第一原発視察。

2013-02-18 22:50:07
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

12 菅総理の第一原発視察で東電の対応が遅れたというのは、東電初、自民党経由のデマの可能性が高い。この頃、東電や保安院から官邸に派遣されていた専門家は、首相からの質問に応答できず、東電本社への問いあわせも行えていなかった。

2013-02-18 22:53:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

13 メルトダウンは、確実に起きていた。メルトダウンでないと説明できないことが第1原発1号機で起きていた。「ベントしろ」との官邸の指示と本社からの命令に対応できず、結局1号機は3月12日、15:36爆発してしまう。

2013-02-18 22:55:12
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

14 爆発後も、東大早野教授や大阪大菊池教授ら物理系科学者による、メルトダウン否定と、メルトダウン可能性表明者への「デマ」「煽り」攻撃は続く。このとき「デマ」「煽り」攻撃を受けた人たちは、政府と東電がメルトダウンを認めた後も名誉を回復されず、2年後の現在に至っている。

2013-02-18 22:57:55
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

15 2011年3月12日にメルトダウンを否定した人たちによる、科学的データから現実的にメルトダウンの可能性を指摘した人々への公的な謝罪を、私は見た記憶がない。むしろその後も「健康不安をあおる人たち」という避難を浴びせ続けている。

2013-02-18 23:02:11
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

16 地震・津波発生後にすぐに原発事故実態の把握に動き出した人たちがいる。記者会見に出ずっぱりで質問する日隅一雄氏と木野龍逸氏ら。チェルノブイリ被災地で使った線量計を複数携えて福島県に向かった、広河隆一氏、綿井健陽氏ら。

2013-02-18 23:08:37
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

17 3月12日、1号機の爆発で「爆破弁」発言をするなどテレビに出た「専門家」が醜態をさらす中、保安院の中村審議官が18:01からの記者会見でメルトダウンを認める発言をする。その後、中村審議官は更迭され、西山審議官が会見を担当するようになる。

2013-02-18 23:14:14
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

18 途中を端折るが、その後、放射性物質は何度か大規模拡散し、東日本全体を覆った。特に2号機から出たと思われるプルームは、いわき市などの南側を汚染した後、風向きの変化によって北西の浪江町、飯舘村、川俣町等を汚染した後、福島市、郡山市を汚染する。

2013-02-18 23:17:55
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

19 福島市と郡山市は2011年3月15日から16日にかけて20μSv/hを超える汚染を受けた。この数値は、原子力規制委員会が提示している避難基準案でも、避難しなければならない汚染に相当する。

2013-02-18 23:20:03
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

20 しかし、避難指示範囲は最大限半径20キロで、20キロから30キロの間は屋内退避となった。危険性を訴える声は、福島市や郡山市では無視された。一方いわき市ではこのとき、相当数の住民が自主避難した。

2013-02-18 23:22:42
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

21 3月25日に官房長官は、30キロ範囲内に自主避難を呼びかけた。いわき市ではこれに応じた自主避難者がさらに増えた。しかし、福島市や郡山市では目だった避難の動きがなかった。山下俊一氏が公的な形で福島県入りして「安全安心」を振りまいていた。

2013-02-18 23:26:24
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

22 もう一度さかのぼる。3月15日、福島県知事佐藤雄平氏が菅直人首相(当時)と、震災後初めて会談する。この席で子どもの避難拡大を提案しようとした首相をさえぎっている。

2013-02-18 23:50:54
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

23 4月に入り、福島県の中通りと浜通りの小中高校は、授業を再開してしまった。中通りの高校では屋外部活動も再開された。健康問題の目安は、山下俊一氏が示した年100ミリシーベルトだった。その100ミリが「甲状腺等価線量」であるなどの注釈は全くなかった。とにかく100ミリ。それだけ。

2013-02-18 23:54:15