「TOKYO 1955-1970」at MOMA、具体美術協会回顧展atグッゲンハイムを訪れた尾崎信一郎氏の感想

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shnchr OSAKI @shnchrOSAKI

MOMAにおける「TOKYO 1955-1970」、グッゲンハイムでの具体美術協会の回顧展を見るためにニューヨークを訪れた。いずれについてもきちんとレヴューしたいが、ひとまず感想を書き留める。展覧会が同期したことは偶然であろうが、結果的に日本の戦後美術に一つの表象が与えられる。

2013-02-22 21:31:54
shnchr OSAKI @shnchrOSAKI

私はそれがいずれも一種のオリエンタリズムに帰着するのではないかと考える。日本の戦後美術はアメリカにとって理解しがたい他者であり、他者であるがゆえにアメリカ美術の正統性を脅かすことはない。具体における遊戯性と幼稚性、TOKYO展における裸体やフェティッシュの強調はこの点を暗示する。

2013-02-22 21:40:28
shnchr OSAKI @shnchrOSAKI

1986年にポンピドー・センターで「前衛芸術の日本」が開かれた際、フランス人の批評家は「私たちの夢見たラディカリズム 帰還不能点」という一文を寄せた。欧米にとって日本の前衛美術とは理解不能な他者である点においてのみ積極的な意味をもつ。ポンピドーで具体が再評価されたことは暗示的だ。

2013-02-22 21:48:59
shnchr OSAKI @shnchrOSAKI

果たしてそうであろうか。グッゲンハイムにおける具体の「絵画」やMOMAにおける高松次郎の作品に欧米のモダニズム美術を相対化する契機は含まれていないか。しかしグッゲンハイムに並べられた面白主義のオブジェ、MOMAに展示された工藤や菊畑の男根オブジェはこのような可能性を覆い隠す。

2013-02-22 22:00:07
shnchr OSAKI @shnchrOSAKI

むろん私は二つの展覧会がこのような意図のもとに入念に組織されたとは思わない。しかし結果的に二つの展覧会は日本の戦後美術を異様な他者として西欧のモダニズムの文脈と切り離すことによって、その正統性を確認しているのではないか。そこに働くのは展覧会という営みに付随する政治的無意識だ。

2013-02-22 22:11:03
shnchr OSAKI @shnchrOSAKI

誤解を招かないように昨夜のツイートにいくつか補足。私はグッゲンハイムの展示もMOMAの展示もそれ自体は高く評価する。私も学芸員の学芸員の仕事が長いから、関係者の苦労や入念な準備には敬意を払う。この展覧会を機に、日本の戦後美術に関する情報が英語圏に蓄積することの意味は大きい。

2013-02-23 07:26:34
shnchr OSAKI @shnchrOSAKI

しかし同時に、この展覧会の意味を単にアメリカの大美術館で日本の戦後美術が初めてまともに取り上げられた点に収斂させることには強い異議を感じる。展覧会とは選択と排除のシステムだ。なぜこれらの作家、作品が選ばれたかに関して、私たちは自覚的なリテラシーをもって接するべきであろう。

2013-02-23 07:33:11