「Wikipediaを引用してはいけないということを、信頼できる文献を引用しつつ論じなさい」
「Wikipediaを引用してはいけないということを、信頼できる文献を引用しつつ論じなさい。ただしWikipediaを引用してはいけません」
2013-02-23 07:29:35Wikipedia引用の問題、そもそも「引用するのは信頼できる資料でなければならない」という原則でWikipedia引用を批判している人が多いように思う。しかしそもそも「論文やレポートに引用される文献資料は信頼できるものでなければならない」のか?
2013-02-23 06:36:56そうであるとたとえば私たちの血液型性格判断に関する論文で引用されている文献のかなりの部分は「非専門家によって書かれた信頼のおけないもの」であるから引用文献として不適切であることになってしまう。
2013-02-23 06:38:58「自説を補強するための引用」であれば、資料の信頼性が自説の信頼性を高めるわけだから「信頼性の高い資料を引用したほうが自説を補強するのに有利」とは言えるが、論文等が引用するのが常に「自説を補強するため」ではない。これは「研究の価値を示すための先行研究の引用」でも同じ。
2013-02-23 06:42:34論文やレポートにおける引用は「自分以外にこれこれのことを言っている人がいる」ことを示すことだけが目的で、引用の目的や文脈によってはその内容に信頼性がないことも含んで引用することもある。必要なのは「誰がどこで言ったことか」が明示されることだけだ。
2013-02-23 06:46:52この問題では多くの「専門家」がまず「Wikipediaなんか引用しちゃダメでしょww」と漠然と思っていて、どうしてダメかと聞かれて初めてさまざまな理由を後付けしていくという構図が面白い。学問の世界にもそういうことはたくさんある。
2013-02-23 06:50:27Wikipedia引用についての本質的な問題は「消えてなくなって参照できなくなるかもしれない」ことだけだ。しかしこれはWikipediaだけでなくネット資料全般に言えることだが、ネット資料の引用を禁止しているジャーナルはすでに少数派だと思う。
2013-02-23 06:52:53「ネットにしかない情報が存在する」以上、それを引用するためにはネット情報を利用するしかないし、そうであれば「比較的短い間に消えてしまう可能性のある情報」を引用するためのフォーマットや基準を整備するしかない。
2013-02-23 06:56:32しかし「消えてしまうかもしれない」というのは紙の資料にも言えることだ。ただ消えるまでのタイムスパンがネットより一般に長かっただけ。もっとも「多くの論文に引用されている先行研究が全部孫引きで原典にあたろうとすると存在しない」みたいなこともある。
2013-02-23 07:02:06資料の信頼性と引用との関係は実際には循環していて、引用されることで信頼性を得るようになることも多い。「まぼろしの先行研究」はその仕組みが誤動作する例。
2013-02-23 07:04:36「ネット情報でも自分の手元にコピーして保存しておけばいいじゃない」といっても、自分の手元にしかなく他の人が参照できない情報はむしろ引用できないものに含まれてしまうと思う。「自分以外にもみんながコピーして持っているはずのこれ」みたいな引用も将来は生じるかもしれない。
2013-02-23 07:08:37ネットとネット情報によってむしろ「引用というもののあり方自体が変化している」ということを意識しないと、それこそ「履歴書は手書きで」と同じことになってしまうと思う。
2013-02-23 07:10:16ジャーナルというものができ始めた頃にも「ジャーナルなど引用してはならん、ちゃんとした本を引用しなくては」みたいなことをいう老学者がいたんじゃないだろうか。
2013-02-23 07:14:43「研究者の常識」みたいなことのかなりの部分は「体で覚えている」もので、改まって「なぜそうなのか」と聞かれると簡単に答えられないことも多い。
2013-02-23 07:21:16ようは(1)引用の目的と意味はなにか(2)引用できる情報と引用できない情報を分けるものはなにか(3)引用の目的や文脈に応じた適切な引用文献とはどのようなものか,というそれぞれ別々の問題が「Wikipedia引用は是か否か」というテーマの中でごっちゃになっているのだと思う。
2013-02-23 10:59:13そのうえで「専門家」たちは「自分の専門の自分がやっているような領域の論文やレポートにおいて適切な引用のあり方」を「普遍的な引用のルール」だと考えて主張している。
2013-02-23 11:01:30修論の引用文献が30個くらいでよい(それで充分である)分野と修論なら文献リストが20ページくらいになるのが当たり前の分野とでも「引用のあり方」というのは違うだろう。
2013-02-23 11:02:04それこそ「あることがらについて世の中ではどのような認識がされているか」という研究であれば百科事典や入門書などは重要な引用文献になるだろうし,そこにはWikipediaも当然含まれるだろう。
2013-02-23 11:04:23それこそ「便所の落書き」だって「誰がどこで言ったことかが明示され参照可能である」なら引用可能だと思う。そしてそうしたものを引用可能にする方法もいろいろある。
2013-02-23 11:05:14引用によって示されるのは「こういうことを言っている人がいる」ということだけで,それが正しいか正しくないか,信頼できるか信頼できないかは引用の問題ではなくて「引用されたものの取り扱い方」の問題だと思う。
2013-02-23 11:07:13われわれは出典を示して参照可能にすることさえできれば何を引用しようが自由だし,引用した内容を研究の前提にしようが自説の補強に使おうが批判しようが笑い物にしようが自由である。あるのは「目的や趣旨から見て適切な引用と不適切な引用」だけだろう。
2013-02-23 11:11:42だからレポートの指導をする際にも「Wikipediaはダメ」というのではなく「そこで書こうとしていることの引用文献としてWikipediaが適切かどうか」をみて,不適切であれば別の文献や資料を引用するように言えばいいだけの話である。
2013-02-23 11:13:43「不適切な引用」は「きちんとした」本や論文を引用する際にもいくらでも起きる。ネットでちょっと検索するだけでもそれに関するページはたくさん見つかる。
2013-02-23 11:15:55整理すれば(1)論文やレポートにWikipediaを引用すること自体には問題はない(2)ただし参照の示し方には紙の文献とは違った配慮が必要だが,これはWikipediaに固有の問題ではない(続く)
2013-02-23 11:22:32