もうひとつ、承認欲求を生み出すのは、合理的・客観的な評価基準の無い社会。合理的・客観的な評価基準があれば、自分一人で自分の価値を測れるが、それが無ければ、他人の情緒的・主観的評価に頼らざるを得なくなる。それが、承認欲求。
2013-02-23 15:04:38一神教の社会では、ただ一人の神が絶対的な審判者になるから、神の承認だけを気にしていればいいのだが、そのような唯一絶対神のいない社会では、周囲の人間たちの承認を得なければいけなくなるから、承認欲求が生まれる。
2013-02-23 15:08:26承認欲求は、「恥の文化」の現代版とも言える。旧来の「恥の文化」では、不承認を避けることが重要だったのだが、現代では、それだけでは不十分で、不承認でないことの確認を求めるようになったのだろう。相手が不承認かどうかを、自分で判断できないということだ。
2013-02-23 15:13:57承認してほしいというのは、不承認でないことを明確にしてくれということなわけで、明確にしてもらわないと不安になるのは、どのような行為が不承認になるか否かの基準が、状況依存どころか、個々の状況内でも不明瞭になったということだ。これでは、もはや「恥の文化」とは言えないよな。
2013-02-23 15:16:02「恥の文化」は、状況倫理ではあるが、状況ごとの規範は明確だったはずなのだ。自分の置かれた状況を正確に把握できれば、どの規範を用いるべきかは決定できた。今の日本では、それさえ不可能になり、常に「空気を読む」必要に迫られるわけだ。
2013-02-23 15:17:58もちろん、「恥の文化」においても、どのように状況規定するかは選択の余地があり、だから義理と人情の葛藤みたいな話になるわけだが、それだって、規定すべき状況の種類は明確だった。今は、そうではなくなったということだな。
2013-02-23 15:19:24みんなが「空気を読む」ことに追われ、安心したくて承認欲求ばかり強まる社会というのは、要するに倫理不在社会、価値不明瞭社会ではないのか?
2013-02-23 15:20:53@Ichy_Numa 外の社会では規範が個人で相対化されている側面と、逆に企業内などの閉じた場では、より広い社会の視点から見ると明らかに理不尽な規範が内部規範として当たり前のように浸透していたりして、そういう二重性というか多重性みたいなのもありますよね
2013-02-23 15:24:47@Ichy_Numa しかしそれはリベラリズムが目指してきた徹底した価値相対化の必然的に行き着く先なのではないでしょうか?
2013-02-23 15:29:48そこで社会関係資本の稀薄化という議論に移行しないところが沼崎節ですね。 RT @ichy_numa: みんなが「空気を読む」ことに追われ、安心したくて承認欲求ばかり強まる社会というのは、要するに倫理不在社会、価値不明瞭社会ではないのか?
2013-02-23 15:30:05いや、それが実に中途半端なのだと思います。そこで、もっとリベラリズムを徹底し、合理的・客観的価値を内在化した個人を確立せよと言えば「近代化」論。 RT @grayengineer しかしそれはリベラリズムが目指してきた徹底した価値相対化の必然的に行き着く先なのではないでしょうか?
2013-02-23 15:37:44@Ichy_Numa 論理としては理解できますが、可能かどうかでいえば不可能な気がします。そういう意味ではマルクス主義などと似ていますが
2013-02-23 15:40:43「弱い紐帯の息苦しさ=生き苦しさ」というのはどうでしょう? RT @han_org そこで社会関係資本の稀薄化という議論に移行しないところが沼崎節ですね。
2013-02-23 15:41:24@Ichy_Numa 極端にせず、ほどほどに、という立場はないのでしょうかw 私などは個人的にはそういう感じなのですが
2013-02-23 15:41:40@Ichy_Numa そうなんでしょうね。文化依存的な部分もあるのかなと思いますし。みんなああだこうだ言いながら、結局自分が生まれ育った文化に依存した判断をしているのは否めないですもんね
2013-02-23 15:44:53グラノヴェッターをもじって、stress of weak ties とか? あるいは、distress of weak ties かな?
2013-02-23 15:45:05