なぜこんなものが書かれたのか? 〜論理的構築の中に宿る虚無〜

『本陣殺人事件』は、『刺青殺人事件』は、『不連続殺人事件』はなぜ書かれたのか? 巽昌章さんによる「大量死理論」を巡る考察をまとめました。
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巽昌章 @kumonoaruji

RTについて、とりあえずのメモ。大量死理論は、推理小説が大量死体験だけから生まれたと主張する(先行作品の影響を否定する)ものではないはず。完全に単一の原因から小説作品が生まれないことは自明の前提だろう。また、「英米流の本格を書きたい」といった動機の併存も否定しないだろう。

2013-02-22 18:04:37
巽昌章 @kumonoaruji

われわれは、いろんな行動をし、ものを作る。その際、意識表層にある動機と企図が、なされた行動や、出来上がった作品を完全に規定しているとは言い難い。終わってみれば「なぜこんなものができたのだろう」と首をかしげるような結果も生じうる。

2013-02-22 18:08:04
巽昌章 @kumonoaruji

少なくとも私は、『本陣殺人事件』『獄門島』『刺青殺人事件』『能面殺人事件』『人形はなぜ殺される』『不連続殺人事件』『高木家の惨劇』『奇跡のボレロ』『誰にもできる殺人』『十三角関係』等々の作品に、英米の先行作品の影響や、個々の作家の企図だけで説明できないような偏りを感じる。

2013-02-22 18:12:20
巽昌章 @kumonoaruji

それは、ひとことでいえば、論理的構築の中に宿る虚無である。たとえば、『本陣』や『獄門島』の事件の真相は、決して、ムラ社会の封建的遺制に帰着するものではない。そこでの犯人たちの行動は、むしろ、論理の自動運動に殉じるようなものだ。

2013-02-22 18:16:04
巽昌章 @kumonoaruji

その意味で、カーは『獄門島』のようなものを書きはしなかった。大量死理論を全面的に支持するのではない。先行作品の影響や、推理小説のコードだけでは説明しがたい、「なぜこんなものが書かれたのか?」という、ある意味とりとめのない疑問に取り組もうとした人がほかにいないのだ。

2013-02-22 18:20:47
巽昌章 @kumonoaruji

ちなみに、『虚無への供物』を乱歩が「冗談小説」と評したのは、前半部分だけを読んだ段階のことではなかったろうか?うろ覚えで自信はないが。

2013-02-22 18:22:05
巽昌章 @kumonoaruji

むろん、カーにはカーの虚無性がある。登場人物を、人形芝居「パンチとジュディ」のように扱ってはばからない冷たさがある。しかし、いわば、横溝の方がいっそう抽象的なのだ。

2013-02-22 18:34:04
巽昌章 @kumonoaruji

カー的冷酷さは、毒殺魔の心理に深甚な興味を示すところなどにあらわれる。個々の犯罪者のプロフィールや心理に魅かれるのは、いわば乱歩的である。これに対して横溝の場合、個人を超えた運命の構図のようなものに魅かれたのではないか。このことは、戦後の乱歩と正史の活動の違いに結びつく。

2013-02-22 20:07:54
巽昌章 @kumonoaruji

大量死理論を全面的に支持するわけではないと書いたのは、私自身は、横溝や高木の作品の特異性を、「合理的な謎解きを書きたい」と望むことから生じる暴走的自動運動、合理的であろうとする非合理的欲望といった、内在的な力で説明できるのではないかと考えているからだ。

2013-02-22 20:25:36
巽昌章 @kumonoaruji

昨日の補足。横溝や高木の(カーにもクイーンにも同じことが言えるのだが)特異性を、論理の自動運動から推理小説内在的に説明できるのではないかと書いた。しかし、大量死理論が大量死だけから本格が生まれたという理論でないのと同様、内在的と言っても外部の要因を一切排除しようというのではない。

2013-02-23 13:43:55
巽昌章 @kumonoaruji

科学知識も、猟奇趣味も、先行作品の影響も、戦争体験も、敗戦直後の価値観の崩壊も、娯楽を求める大衆読者の存在も、鬼と呼ばれるようなマニアとの交流も、すべてなにがしかの影響を与えているだろう。

2013-02-23 13:47:44
巽昌章 @kumonoaruji

だから、「推理小説内在的に説明する」といっても、ある作品、作風の決定的原因が推理小説に内在すると「説明」するのではない。むしろ、内外の諸々の要因があいまってある作風を作り上げるありさまを、内在的な論理の変容というモデルにまとめあげる、という方が実態に近いだろう。

2013-02-23 13:51:48