うちの親伝説・渡米

1960年代初め。まだ戦争の落とした陰が消えない時代に、単身渡米した父と、それを追って行った母の、嘘のような本当の物語。
413
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】うちの親は終戦後まもなくアメリカに渡って、それから二十年向こうに住んでいた。今のような飛行機はなく、父親は太平洋の島で三回給油しながらプロペラ機で渡米し、母親は二ヶ月かけて船で到着。帰りの切符の代金はどちらも持っていなかった。

2012-10-13 14:31:13
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】その頃のアメリカには日本食品は皆無で、どうしても和食が恋しくなった母は味噌、豆腐を試行錯誤して自分で作り、あげくに台所でもやしを栽培していた。

2012-10-13 14:39:49
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】母がアメリカに着いたら、すぐに結婚式を挙げる段取りだったため、母は大事な花嫁衣装を日本から持参。しかし、船がアメリカに着いた時、持ち物のトランクは盗まれていて、花嫁衣装を含むすべての持ち物をなくし、言葉も通じない国に降り立つことになった母。(つづく)

2012-10-14 17:46:25
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】ロサンジェルスから父のいるテキサス州まではバスで36時間。当時は英語はまだ片言の母。不安な中、たどり着いたバス停で待っても待っても自分の荷物が出てこない。花嫁衣装だけでなく、すべての服や生活用品の入ったトランク。着替える服すら一枚もなかった。(つづく)

2012-10-15 02:17:47
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】バス会社に両親が必死に訴えかける。預けたトランクが消えたということで、バス会社も信用問題に関わるので、必死に全米のバス停へ連絡を取る。しかし、どこからもトランクは出てこない。たった一日ですべてを失って、母は途方に暮れるしかなかった。(つづく)

2012-10-15 16:42:02
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】トランクの行方をバス会社が調査したところ、どうもロスで積み込む段階で盗まれたことが判明。新しいトランクは格好の標的だったのだろう。良い返事を待つ母の元に届いたのは「ロスで盗まれたら見付からない」という絶望的な返事。結婚式はもう、すぐそこ。(つづく)

2012-10-15 22:35:35
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】父は大学院の学生で、二人はほとんど無一文。式は大学の計らいで豪華な図書館の講堂で無料で行われることになっていた。しかし、結婚式が迫る中、母は着る衣装はおろか、毎日の着替えがなく、父の知り合いからサイズの合わない服を借りていた。(つづく)

2012-10-15 23:26:50
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】時は1962年。父の通う大学には日本兵に殺された学生の遺影が並んでいた。日本人が親切にしてもらえるとは思っていなかった母。しかし、花嫁衣装と全財産を失った母に町の人はみんな優しかった。(つづく)

2012-10-15 23:50:26
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】結婚式迫る数日前。母の知り合いは誰も参加できない式。渡米に最後まで反対だった母の母から託されたウェディングドレスもなく、毎日涙に暮れる母。絶望の底で父と、アメリカの町の人々に支えられて、前向きに生きていく決意をする。そんな中、奇跡は起きようとしていた。(つづく)

2012-10-16 09:16:12
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】舞台は変わってロスの裏町。治安の悪いエリアを見回っていたフィンプル巡査部長。町に似つかわしくない新品の白いトランクを押している怪しい人物を発見。直感的に盗品だと感じて職質した巡査部長に、男は「これはおれのだ」と反論。どうすることもできなかった。(つづく)

2012-10-17 13:58:08
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】しかし、非常に優秀だったフィンプル巡査部長、とっさにトランクのハンドルに書いてある名前に気が付く。そこに書かれていたのは母の名前:Atsuko。英語ではほぼ発音できない名前だった。フィンプル氏は男に「自分の名前を呼んでみろ」と尋ねる。(つづく)

2012-10-17 18:45:12
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】「自分の名前」を発音できない男。フィンプル氏は男を逮捕。男はバス停から荷物を盗んだことを告白する。しかし、ここでどうしようもない事態が。まだ定住する住所のない母は連絡先をトランクに書いていなかった。(つづく)

2012-10-17 18:47:19
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】ロス市警に残ったのは外国人の名前だけが入ったトランク。警察はトランクを開けてみるが、そこにも連絡先は入っていない。入っていたのは、花嫁衣装だった。フィンプル氏はそれがおそらくとても大切なものだと気が付いて、ある決心をする。(つづく)

2012-10-18 14:50:14
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】名前から持ち主は日本人ではないかと気が付いたフィンプル氏。現在も発刊されている日系人向け新聞「羅府新報(http://t.co/7KWrAc9L)」の存在に目を付ける。なんと警察はそこに「盗まれた花嫁衣装の持ち主を探している」と日本語で記事を掲載する。(つづく)

2012-10-18 21:01:50
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】しかし、羅府新報が発行されているのはロス。母がいるのは大陸を隔てたテキサス州。今のようにネットもない時代――結婚式を数日後に控えた母がその記事を見ることはなかった。衣装は永遠に失われる運命だった。――もうひとつ、奇跡が起きらなければ。(つづく)

2012-10-18 22:57:48
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】当時、ロスには父の遠い親戚が住んでいた。その親戚が羅府新報をたまたま講読していた。母とまったく面識のない親戚だったが、たまたま父が結婚する相手が「あつこ」だと憶えていた。その名前と「花嫁衣装」にぴんと来た親戚は父に連絡する。しかし、もう式は翌日だった。(つづく)

2012-10-19 15:35:35
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】式はお金のない両親のために、大学が好意で行う無償のもの。予定通りに行うしかなかった。しかし、式の直前、その新聞記事が親戚から母の元に届く。母は奇跡を喜ぶが、両親はロスにその荷物を取りに行くお金がなかった。(つづく)

2012-10-19 15:56:11
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】親戚に取りに行ってほしいと頼む父。親戚は快諾したが、結婚前の母と親戚はまったくの他人。警察は荷物を渡したくても渡すことができなかった。それなら自分の元へ送って欲しいと母は懇願。しかし、定住先も、アメリカ人の知り合いもいない母には身元保証人がいなかった。(つづく)

2012-10-20 07:21:26
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】ロスまで電話することもままならないお金のない二人。結婚式にもう衣装は間に合わない。それでもトランクを取り戻したくて、父は決死の覚悟で大学の学長に相談。話を聞いた学長が自らロス市警に電話をする。衣装は送ってもらえることになったが、式はもう始まってしまう。(つづく)

2012-10-20 15:47:17
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】そこで学長が大英断を下す。「花嫁ははるばるアメリカに来てくれたんだ。花嫁衣装を着せてやろうじゃないか」。学校を挙げた式は土壇場で四日延期となる。出席者も快諾。しかし、当時のアメリカにはそんな短時間でトランクを輸送する方法がなかった。(つづく)

2012-10-21 05:49:36
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】そこで名乗りを挙げたのが当初荷物をなくしたバス会社。責任持って結婚式までにトランクを届けると会社を総動員してトランクをテキサス州へ移送。このことが徐々に話題になり、前述の羅府新報が再び取り上げたことでさらに事件は有名になっていく。(つづく)

2012-10-21 11:13:52
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】四日と四時間遅れの結婚式の準備は整った。あとはトランクを待つばかり。果たしてトランクは間に合うのか、「渡米編」まもなくクライマックス!

2012-10-21 11:59:41
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】当時の羅府新報の記事。連日動向が掲載されて、読者は固唾を呑んで見守っていた。(つづく) http://t.co/I45h8b6X

2012-10-21 21:59:00
拡大
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】結婚式の朝、バス会社の地元支局の所長自らがトランクを持って、母が居候する家の玄関へ。その時には地元の新聞社とテレビ局が集まり、花嫁衣装を抱き締める母の写真が新聞の一面を大きく飾る。両親は一夜にしてウェイコの町の有名人となった。(つづく)

2012-10-21 22:00:46
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説】けっこう大きな地元紙の一面記事に写真入りで登場する母。(つづく) http://t.co/zKTVwfOO

2012-10-21 22:02:14
拡大