幽斎さま、義輝さまについて語る
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あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ! 『ちょっと目を閉じて、次に目を開けたら 丑の刻を回っていた』 …な、 何を言ってるのか わらねーと思うが儂も何をされたのか分からなかった… 催眠術だとか超スピードだとか そんなチャチなものじゃねえ、もっと恐ろしいものの片鱗を
2013-02-27 02:21:41幽斎さまはお疲れの模様で激しく寝落ちしたようです
@13ystl 義輝様……祝うなど。あの日、義輝様をお救いできずに長らえた命です。申し訳なさの方が先に立ちますゆえ。 本当になんであの日に限って儂、非番?何あのたいみんぐ……(グスン)
2013-02-27 02:36:52@yuusai1534 お前の兄も間に合わなんだぞ?別に俺が責めたわけでもあるまいし、気に病むだけ疲れるぞ(笑)時の運というやつだ。お前には他の役目があったのだろうよ
2013-02-27 02:57:15そして始まる夜中の語り。
義輝様はの、わずか11歳のときに父君の義晴様から将軍職を譲られた。 管領細川晴元殿と対立し近江に追いやられていたが、1550年、細川家で実権を握っていた三好長慶殿と何とか和睦し、儂らは京へと帰郷した。
2013-02-27 03:44:50これを機に、一気に将軍の権威復活を目指すが、三好殿の跡を狙う松永久秀殿や三好三人衆が黙ってはいない。 義輝様は松永殿を倒すことを決めた。 が、この動きは相手にばれていた。
2013-02-27 03:45:39信長公記を元に話していこう。 当時、5月の中旬に清水寺へと参拝する風習が民の間で流行していた。 松永殿達はそれを利用し、「清水への参拝」として怪しまれることなく兵を集め、そして1565年……永禄8年5月19日の深夜。
2013-02-27 03:46:27兵は義輝様のいる二条御所を囲んだ。 義輝の住む二条御所は周囲に掘をはりめぐらし、高い土塁に囲まれた鉄壁の城郭であったが、 その日は修理の為に扉が取り外されており、易々と敵が侵入できてしまった。
2013-02-27 03:46:44実はこれも敵の工作だったのじゃ。 さらにたまたま宿下がりしていた者も多く、警備も手薄。 ……この宿下がりしてた者の一人が儂です……。
2013-02-27 03:47:18一気に攻めこむ敵。 混乱の中、義輝様の御伽衆がそれを迎え撃つ。 そんな中、義輝様の傍らに控える細川隆是殿が静かに語り出した。
2013-02-27 03:47:45段々と近付いて来る喧騒の中、 女房の小袖を羽織ると、義輝様の前で最期の舞いを演じた。 そして数十人の手勢とともに松永・ 三好軍の真っ只中に突入。 果敢に戦い、その命を散らせた。
2013-02-27 03:48:43「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」 (降りしきる五月雨は露だろうか、それとも私の涙だろうか。 どうか、ほととぎすよ、私の名を天まで広めておくれ。)
2013-02-27 03:49:35そして、屋敷にあった家伝の名刀をすべて取り出すと、鞘から抜き出し、一つ一つ畳に刺していく。 そこへついに敵の兵がやってきた。
2013-02-27 03:50:43わっと襲い掛かる敵兵! しかし義輝様は塚原卜伝先生直伝の一の太刀で、次から次へと斬り伏せた。 刀が刃こぼれしたら、先ほどの畳に刺した刀と取替え、名刀を惜しげもなく斬っては捨て、また斬っては捨て。 たちまち、座敷は敵兵の骸だらけになった。
2013-02-27 03:52:15所詮、将軍など家臣の後ろでふんぞり返っているとたかをくくっていた敵はひるみ、一歩も近づけなくなった。 しかし松永殿の家臣・池田丹後守の息子が、密かに戸の後ろに隠れ、義輝様の死角から槍で一撃――。
2013-02-27 03:53:27足を負傷した義輝様が倒れると、敵は何枚もの障子を上から一斉にかぶせて押さえつけた。 そして身動きがとれなくなった義輝様をいくつもの槍が襲い……
2013-02-27 03:54:25あの日、何故、よりにもよってあの日、儂は非番だったのか。 お守りすることが出来なかったのか。 煙の上がる二条御所を見て、すぐさま取って返し義昭様の元へと向かった儂を、人々は血が冷えている、冷たいと言ったという。(戴恩記)
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