書くこととしての学問

学問と勉強の違いは?という疑問をきっかけに、学問とは何かということを考えてみました。ツイート中にもあるように、「学問とは特定のスタイルで読み、書くことであり、書かれたもののみを対象とする」という着想は、佐々木中さんの「切りとれ、あの祈る手を」から得ています。
人文 哲学
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あすこま @askoma
「まだ発見されてないことを考えるのが学問で、もう誰かが発見した大事なことを知るのが勉強」娘(7歳)「じゃあグリコ森永事件の犯人を見つけるのが学問?」「…違うねえ」「どうして?大事じゃないから?」「いや、大事なんだけど…」
あすこま @askoma
誰か小学一年生にわかるように「学問」と「勉強」の違いを説明して下さい…
あすこま @askoma
「先行する知識を学ぶのが勉強で、まだ未知のことを探究するのが学問」的な説明だと、未知の探究でも学問に入らないものがありそう(例:グリコ森永事件の真犯人)なことが気になる。
シータ @Perfect_Insider
@askoma でも一方で、本能寺の変の真相究明は明確に歴史研究ですよね。研究は客観的分析を志向するので、「未知の対象」と「研究者」が当事者としての関係でないというのはあるかもしれません。だから現代の事件は時間を経ないと学術研究とみられにくい
あすこま @askoma
@Perfect_Insider 確かにグリコ森永事件と異なり、本能寺の変の真相は研究ですね。なるほどなるほど。
carmine @carmine_RR
学問とは何ですか、というお話から。何なんだろうねえ。取り扱い方、かな…。
carmine @carmine_RR
例えば、こうやって学問と勉強の違いってなんだろう?って考えることは、テツガクしてるって言えるけど、(哲学は、とりあえずものの本質を考えるという事にしておこう)考えたり発見したりしただけじゃ、哲学という学問をすることにはならない。
carmine @carmine_RR
あなたが何か大事なことを考えたり見つけても、それだけじゃ学問とは呼べない。学問であるためには、それを誰にでもわかるかたちにして、共有する必要がある。誰にでも、というのもホントは嘘なんだけど、とにかく原理的には誰にでも。じゃあどうやってか。言葉によって。
carmine @carmine_RR
言葉によって、と言ってもかたちがのこらないと、そのままの情報を広く伝えたり次の時代に残すことは難しい。口伝えでそのまんま繰り返していって残したとしても、それを知らない人が聞いたら、本当かどうかわからない。知識は書かれた時点で学問になるんだ。
carmine @carmine_RR
今の時代なら、ビデオもとれるし録音もできるけど、学問という「概念」ができた時にはそんなものは無かったから、文字にして書き残す、ということが唯一の方法だった。
carmine @carmine_RR
(いま気付いたけどこれはヨーロッパで生まれた「学問」の説明で中国とか別のところでは、もっと違う考え方かも。とにかく今の日本で、ふつう学問と言った場合の話。)
carmine @carmine_RR
逆にいえば、「書かれたもの」でなくては学問の対象とはいえない。どうしてそういうことになっているか、という話は長くなるので、とりあえず後回しにして、と。
carmine @carmine_RR
例えば、今まで誰も見たことのない珍しいチョウを捕まえることは学問だろうか?
carmine @carmine_RR
実は、珍しいチョウを捕まえるだけでは学問とは言えない。学問として認められるためには、自分の捕まえたチョウがどんなふうに珍しいかを、誰にでもわかるやり方で記録して、発表しないといけない。
carmine @carmine_RR
逆に、自分ではチョウを捕まえなくても、そのチョウを手に入れて正式に記録し、発表すれば、その人はチョウの学問の仕事をしたことになる。
carmine @carmine_RR
チョウ学のためには絶対必要なことのはずだけど、チョウを捕まえること自体は学問ではない。あるものごとやできごとが学問の対象になるのは、それが記録され、公表されてみんなが見ることができるかたちになったとき。そのプロセスを学問という。
carmine @carmine_RR
といっても、好き勝手に記録したらダメ。学問として認められるためには、書き方が決まっている。まず、誰にでもわかるように、誰が読んでも同じ意味に読めるように書くこと。(客観性の保証。)せっかく記録しても、読む人によって意味の取りかたが違うような書き方だと、正確に伝わらない。
carmine @carmine_RR
それから、書き方がバラバラだと読みにくいし、まとめるのが大変だから、同じ学問の中では書き方はある程度揃えましょうってことになっている。
carmine @carmine_RR
チョウの標本はひとつだけあってもあまり意味がないけど、たくさん集めて、似たハネの模様や、捕れた地域ごとにまとめたり比べたりすることで、どこにどんな種類のチョウがいるのかや、今度見つけたチョウが、まだ見つかってない新種なのかどうかが分かる。だから、記録をまとめることはすごく大事。
carmine @carmine_RR
記録の書き方がバラバラだと、まとめるときにすごく苦労するし、他の人と違う書き方をしていると、その人の記録と一緒にするときに大変だ。だから、同じことを研究する人同士で、記録の書き方のルールが決まってることが多い。
carmine @carmine_RR
未解決事件の犯人を捕まえること自体は学問をすることではないし、学問の対象でもない。けれど、「未解決事件の記録」は学問の対象になる。
carmine @carmine_RR
もうひとつ大事なのは、学問は普遍性に向かう営みであるということ。普遍性の志向は、より具体的には共有の志向と抽象化・一般化の志向というかたちをとる。
carmine @carmine_RR
「森永グリコ事件を解決すること」は学問ではないけど、「森永グリコ事件の真相を知ることで、似たような特徴をもつ事件が起きたときに役立つような知識・考え方を発見する」ことは学問になる。
carmine @carmine_RR
ある具体例を分析して、より一般的に言えることを見つけ出すということは、その事例よりも抽象度の高いレベルで捉えるということで、だから当事者と分析者は重なりにくい。
carmine @carmine_RR
もっといえば、記述するということそのものが、メタレベルで捉えるということと、共有することを兼ねている。
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