四則計算で論理的とか有り得ない。 四則計算というのは、どこまでいっても「数を数えること」でしかない。 今の学校教育って、ここまでひどいのかと、暗澹たる気持ちになった。
2013-03-01 00:35:07今の子供たちの勉強の仕方を見ていて不安になるのは「正解を書く」ことが「理解すること」だと思っているように見えることなんです。 とにかく解答に丸がもらえたら安心するし、バツだと不安になる。 今、自分が「何を理解しようとしているのか」と考えているように見えないことが多いんです。
2013-02-28 23:58:44例えば漢字を覚えるのも、覚えると「便利だから」のはずなんです。「はし」と書いてあっても「橋」なのか「端」なのか「橋」なのか分からないけれど、漢字なら分かるのは「便利」なはずなんです。 でも、子供達にとっては「覚えなければいけないもの」でしかないので、その便利さが「分からない」。
2013-03-01 00:20:35数学が得意な人が自然と覚えている数字というのがある。例えば素数なんかは分かりやすいけど「4、9、16、25、、、」の2乗の数とその倍数とか「30と45の倍数」(角度の時に出てくる)とか。 そういうのも「数える手間を省く」ために自然と身に付けるんですよね。
2013-03-01 00:38:44勉強というのは「道具」でしかなくて、大事なのは道具の「種類や量」ではなくて「使い方」なんです。「道具」というのは「ただ持っていても意味が無い」んです。 けれど、今の教育は道具はどんどん与えるけれど、その使い方を教えていないように思います。
2013-03-01 00:24:09これ、すごく分かる。僕の場合は「お前は天才かすごい馬鹿になるかどっちかだw」だったけどw RT @genkuroki: ぼくは小学校の算数の時間に他人と違うことをして褒められた記憶しかない。これが逆だったとすると、ぼくの人生は今よりもずっとつまらないものになっていたかもしれない。
2013-02-28 23:45:52「8+3 = 8+(2+1) = (8+2)+1 = 10+1 = 1」と考えることが「論理的」と教える偉い人のうち、どれくらいの人が「1とは何か」って考えたことあるんだろうか。 たぶん、ほとんどの人がそんなことは考えないんだろう。 だから「薄っぺらい」って思っちゃうんだよ。
2013-03-01 01:26:53別に誰もが「1とは何か」を考えたり、説明できる必要はないけれど、算数を教える立場ならば、そのくらいはせめて考えてほしいとは思うんです。
2013-03-01 01:54:20「数えることを発見し、数を生み出し、それに名前を付け、記号を編み出し、順番にならべ、ゼロの概念を発明し、位を作り出すことで表記を安易にした」こと自体が「論理的思考」の賜物です。 その上にへっぽこな論理を上乗せして「論理的教育」とか偉そうにしてるなんてちゃんちゃらおかしいです。
2013-03-01 01:42:27ちなみに「論理的であること」は、特定の分野を除けば、必ずしも「正しさ」を担保しません。 「論理」は、どの「論」を採用するかによって、その結果が大きく変わります。 今の教育が教えたい「論理」は「今の世の中に都合のいい論」かもしれないという視点は忘れてはいけないと思います。
2013-03-01 01:01:25今の子供が論理的に考えられないのは「論理的思考法を教えていないから」ではなくて「最終的な解答の正誤でしか判断してもらえないから」だと思います。
2013-03-01 00:49:35僕が「さくらんぼ算( http://t.co/sBG8OWWWxu )」に違和感を感じるのは「論のための論」に思えるからです。 そして「こう教えれば子供にも分かりやすいだろう」から始まった教え方のはずなのに「こうやらなければならない」になっているらしいことには怒りさえ覚えます。
2013-03-02 23:14:42「工夫」というのは、基本的に各々個人が考えるから「工夫」なのだと思います。 「工夫の仕方」を「教える」というのは「誰かの考え方を押し付ける」ことと同じことになってしまう。 本当に「工夫」をさせたいなら、大事なことは「もっと楽(しい)がある」という期待を膨らませることだと思います。
2013-03-01 09:48:28よく「真面目に先生の言うことを聞いていれば勉強ができるようになる」と思われがちですが、僕は常々生徒には「どうすれば自分がもっと楽が出来るかを考えると勉強ができるようになる」と言っています。 なぜ「学ぶ」のか言えば「自分が楽になるため」でなければ、学ぶ意味などないと思います。
2013-03-01 09:53:52もちろん「相手の言っていることを理解する」には「真面目に話を聞く」ことは重要です。 しかし「真面目に聞けば理解できる」というものではありませんし、ましてや「言われた通りにする」ことで理解が進むというのは大きな間違いだと思います。 重要なのは相互のコミュニケーションのはずです。
2013-03-01 10:46:16様々な要因で、現段階では十全に理解できないということもあるでしょうし、やっているうちに分かってくるということも確かにあります。 しかしそれは基本的に、教わる側に「理解したい」という気持ちがなければ絶対に起こりません。 そこを根本的に忘れてしまっている人が多くなっている気がします。
2013-03-01 10:49:58【余禄】「1」とは何か、という話。
この発言にはビビった。面白いこと考える方もいるのだな。 RT @isa_kent この世の中に「1」なんてものは存在しませんからね。
2013-03-01 01:35:02@isa_kent えっと、「ない」というのは「そう定義されているだけ」という意味で良いのでしょうか? 個人的に面白い内容だと思ったので。
2013-03-01 01:40:20@lim_bay 実際の世の中に存在し得るのは「単位」のついた「具体的なもの」しかないということです。 「1」というのはそれらを人の頭の中で抽象した「概念」ですから、世の中に「実際に手に取れるもの」として「1」は存在しない、という意味です。
2013-03-01 01:47:31@isa_kent なるほど。面白いですね。個人的には、世の中に存在しうる具体的なもの、例えば人と椅子が共通して持つ性質を探求したとき「存在する」という「1」と対応した概念が生まれると思うので、逆に手に取れるものはすべて「1」と考えることもできると思うのですが、いかがでしょう?
2013-03-01 01:55:54