山本七平botまとめ/【履歴書の検討】/思考不能に陥った「自己把握なき」日本/~明治維新とアメリカ占領統治、二度にわたる過去否定が招いた「無意識の拘束」とは~

山本七平著『1990年代の日本』/民族の履歴書/履歴書の検討/16頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【履歴書の検討】明治、それも初期の人達はこの様な問題意識をもたなかったし、もつ必要もなかった。 というのはその人達はその半生を「鎖国下の徳川幕藩体制」という伝統的世界で現実に生き、その生活規範、価値観、道徳観をそのまま保持して来た人達だったからである。<『1990年代の日本』

2013-03-02 08:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

②もちろん多くの者は意識的にはこれを捨て、あるいは故意に忘却し、また時にはその気になって、外国に学ぼうとしているが、現実の生きざまを見れば決してそうではない。 そしてそれは当然なのである。

2013-03-02 09:27:56
山本七平bot @yamamoto7hei

③だが明治のこの傾向、さらに第二次大戦後に占領というはじめての体験を通じてもたらされたアメリカ文化とそれに基づく過去の否定は、明治が自覚していた、伝統が形成したものを見失わせる結果となった。 だが、見失ったことは無くなったことではない。

2013-03-02 09:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

④それは、表面的にはさまざまに変化しながらも基本は厳然と存在してわれわれを拘束している。 そして見失ったがゆえにそれは無意識の拘束となり、それだけに逆に強固になったことは、後述する統計にも現われている。 日本の存立も発展もその伝統的文化が基盤であることは言うまでもない。

2013-03-02 10:28:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤それは明治を可能にしたし、戦後の繁栄をも可能にした。 しかしそこに常に問題が存在する。 一つは、それを把握しないがゆえに逆に宿命のようになり、それがもつプラス面とマイナス面を把握して意識的にこれに対処することができなくなった点である。

2013-03-02 10:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥戦後の繁栄は誰もこれを予測したわけではなく、もちろん計画したわけでもない。 気がついてみたらこうなっていたのである。 これの裏返しは日華事変から太平洋戦争に、更に敗戦の悲劇に至る道について言える。 誰一人として綿密な中国征服計画などはもっていない。

2013-03-02 11:27:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦それどころか戦争のための総合的プランさえない。 否、終局的な作戦目標さえない。 さらに対米戦争といえば、もう何から何まで全然ないと言ってよい。 そして気がついてみたら廃滅の淵に落ち込んでいた。 …当時の新聞の論説・記事等を追っていっても、そう思わざるを得ない。

2013-03-02 11:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧いわば、繁栄も廃滅も常に予測せざる結果なのである。 これは一定の理論に基づき意識的にニュー・ディール政策を実施していったアメリカなどと基本的に違う点である。 到達すべき目標をある先進国に設定している時は、そこへ到達すればよいのだから、将来のことを「考える」必要はない。

2013-03-02 12:28:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨だがそれがなくなった時、自己把握がなければ思考不能になる。 これは問題の基本だが、このことが、対外摩擦と外国の疑心暗鬼を誘発する。 というのは日本は何を目標とし、何をやろうとしているか、誰にもわからないからである。 本人にもわからないのだから、誰にもわかるはずはない。

2013-03-02 12:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩さらに日本がそのときどきに掲げる美辞麗句を連ねた目標と、日本が現実に到達した状態とを対比すると、何とも白々しい感じにならざるを得ないのである。 この状態からどのようにして脱却すべきか。

2013-03-02 13:27:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪振り返ってみれば、我々は新左翼の如くに暴れまわって挫折した太平洋戦争という一時期があったとはいえ、明治以降約120年、おおむね順調に欧米学校に学び、少なくともある「科」は卒業した。

2013-03-02 13:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫そして別の「科」に再入学する気は毛頭ないなら、ここで一先ず、自己の位置を整理把握する為に「履歴書」を書いてみる必要があるだろう。履歴書とは不思議なものである。というのはいかなる人間も自己の両親を選ぶ事はできず、幼児生活環境は自ら設定する事はできぬから、それは一種の運命といえる。

2013-03-02 14:27:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬そこを出発点としてどの様に生きて来たかの摘記が、皮肉な事にその人の将来を決定する。 それは継続的な運命の働きのようなものであり、人はそれを逃れる事はできない。 履歴書は勿論「自伝」ではない。 それは人生の様々の経過を、一定の基準に基づいて「点」を打っているようなものである。

2013-03-02 14:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭ただそれを座標として、その延長線上に、ある程度自分の未来が予測できるということにすぎない。 もちろん、履歴書の延長線上に未来が確定しているわけでなく、予期せざる突発事故で、自己の運命が大きく狂う場合もある。

2013-03-02 15:27:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮民族とて同じであろうがしかし、将来を予測するにあたって自己の履歴書を検討する事は必要な事であろう。 民族の履歴書を記せばどうなるであろうか。 個人の場合と似た点があるであろう。 日本民族が東アジアの中国大陸から程遠からぬ所に生まれたという事は、誰もどうもできぬ。

2013-03-02 15:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯日本列島がハワイの近くにあったら別の文化が生まれたかも知れぬといった空想は「あの家に生まれていたら……」という空想同様意味をもたない。 これはいずれの民族でも同じであろう。 更に風土という環境も自ら設定したわけではなく、その点では、その発生期の状態は幼児生活環境に等しい。

2013-03-02 16:28:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰いわばその文化的環境も風土的環境もまた選ぶことは不可能である。 日本人がまだ文字を知らぬ「幼稚園」の時代に、隣りの中国は「唐」帝国という文化の隆盛期、ある意味では中国文化の完成期を迎えていた。 そして日本人にとって「師」といえばこの中国しかなく、選択は不可能であった。

2013-03-02 16:57:40