茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第880回「欠落に、気づくこと」

脳科学者・茂木健一郎さんの3月4日の連続ツイート。 本日は、ふりかあえり系、そうか系ツイート。
コラム 茂木健一郎 けき
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茂木健一郎 @kenichiromogi
しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう! 
茂木健一郎 @kenichiromogi
連続ツイート第880回をお送りします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、ふりかえり系、そうか系ツイート。
茂木健一郎 @kenichiromogi
けき(1)常々言っているように、創造性とは、ざっくり言えば、側頭連合野の経験が、前頭葉の意欲やヴィジョンによって再配列される過程である。だから、創造性とは若者の特権でだというのはウソで、年寄りでも、意欲的な人は創造的である。側頭連合野の「素材」が多いから、それだけ創造的になる。
茂木健一郎 @kenichiromogi
けき(2)側頭連合野の経験の方は、生きているうちにさまざまなことに出会えば、自然に蓄積されていくとして、前頭葉の意欲の方はどんな風に生み出されてくるか。私は、それは、「欠落」の感覚だと思う。自分には何かが欠けている、社会には何かが足りないと思うことで、行動に駆り立てられる。
茂木健一郎 @kenichiromogi
けき(3)もっとも、欠落の認識が行われるかどうかは、人によって違うし、また、欠落に対すてどのような「行動の文化」、目標の網をかけるかも、人によって異なる。いずれにせよ、現状には欠けているものがあるんだという胸の痛みが、すべての創造の源泉になっているように私には思われる。
茂木健一郎 @kenichiromogi
けき(4)Steve Jobsの養父母は素敵な人だったようだが、彼の創造性の源泉を考える時に、やはり、シリア人学生だった父親と、若い学生だった母親が、生まれてすぐにSteveを養子に出した、ということからくるある種の「欠落」の感覚が、作用したのではないか。自分を充足したかった。
茂木健一郎 @kenichiromogi
けき(5)個人的な物語でなくても、イノベーションを駆動するのは、欠落の感覚である。社会の「あるべき姿」がある。ところが、現状はこうなっている。そのような「差異」、「距離」を痛々しく感じ、その結果として、胸の中に風が吹く時、人は創造性の奔流に飛び込む原動力を得るのだと思う。
茂木健一郎 @kenichiromogi
けき(6)問題は、人は、案外簡単に満足してしまうということである。世界は広く、その中にはさまざまな「ニッチ」があり、そのニッチの中である種の市場性を持つと、それが大したことだと「勘違い」してしまう。ニッチなど泥であり、あくまでも空の星を見上げるのだと思い続けることは難しい。
茂木健一郎 @kenichiromogi
けき(7)永遠の不平家、ずっと、胸の中に風が吹いている人は、不幸なのだろうか。私にはわからない。しかし、昨日夜道を歩きながら、この点こそが、(私にとっての)真の友人と、そうでない人を見分ける一つの基準なのだと思った。与えられたニッチでかびが生える人は、むしろ世の中の多数である。
茂木健一郎 @kenichiromogi
けき(8)永遠の不平家は、幸福になれないのだろうか。私はそうは思わない。胸の中に風が吹いていると、それだけで、生きるということが痛々しいほど充実することがある。永遠の不平家も、与えられたニッチの中で微睡むことはあるけれども、決して、自身の全存在をそれで置き換えようとはしない。
茂木健一郎 @kenichiromogi
けき(9)欠落に気づくためには、文脈の外に出る必要がある。自分の与えられた文脈で満足する人は、結局外の世界に気づかない。気づかないと、不平を持ちようがない。創造的であるとは、結局、文脈の外に出続けることである。日だまりの中で微睡みつつも、木枯らしの吹く外を忘れない。
茂木健一郎 @kenichiromogi
以上、連続ツイート第880回「欠落に、気づくこと」でした。

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