山本七平botまとめ/【器量絶対の価値観/世俗法、貞永式目】/常識のルーツであり、日本人の考え方・行き方を方向づけた「貞永式目」とは/~どこの国の模倣でもない固有法・貞永式目~

山本七平著『1990年代の日本』/器量絶対の価値観/世俗法、貞永式目/26頁以降より抜粋引用。
2
山本七平bot @yamamoto7hei

①【器量絶対の価値観/世俗法、貞永式目】貞永式目については…必要な部分を摘記し、その特徴を記そう。 頼朝が征夷大将軍になったのが1192年、以後、幕府は次第に日本国政府としての体制を整えていき、全国を統治する政権として法を公布したのが1232年である。<『1990年代の日本』

2013-03-04 01:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

②当時のコーロッパは教皇インセント三世の時代、教皇権が最も強大になった法王庁の最盛時、全ヨーロッパがほぼその統制に服した時代であった。 面白いことにその時代に日本は、宗教的権威をもたぬ簡素で能率的かつ実務的な世俗的政府、日本人の独創である「幕府」を造りあげたわけである。

2013-03-04 02:27:45
山本七平bot @yamamoto7hei

③いわば日本には教権と俗権の対立はなく、西欧の教権が最盛時を誇った時に既に俗権の時代であった。 そしてその政府が公布した貞永式目は、当然のことながら宗教法でなく世俗法であった。 これは、どこの国の模倣でもない固有法であり、ここで日本人は、自らが創出した体制と法をもつに至った。

2013-03-04 02:57:38
山本七平bot @yamamoto7hei

④そしてこの体制は1868年の明治維新までつづいたわけだから、日本の歴史に於て最も長くつづいた独自の体制であった。 この政権を創出しそれを担ったのが「武家」であり、簡単にいえば成り上がりの″地下人″である。

2013-03-04 03:27:46
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤頼朝には確かに血統カリスマと言えるものがあったであろうが、北条氏となると伊豆の在地官人、その出自も明らかでなく、官位も低い。 たとえば北条泰時は正規の署名では、武蔵守平朝臣(従四位)泰時に過ぎない。

2013-03-04 03:57:39
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥それは、彼に服従しなければならぬとする伝統的権威も宗教的・思想的権威も法的地位も皆無だということである。 彼は教皇でもなければ中国型皇帝でもない。 また神話時代から継続するとされた血統、宗教的には仏身とされた当時の天皇でもない。

2013-03-04 04:27:49
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦いずれの時代であれ、そのような者が政権を獲得してこれを保持しつづける道は、一つしかない。 一言でいえば「実力」の保持である。 では実力とは何か、 それは人びとを心服させうる「統治能力」であって、それ以外に彼を支えるものは何もない。

2013-03-04 04:57:39
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧そして当時であっても統治能力は必ずしも武力を意味しなかった。 幕府には全国を制圧できる強力な常備軍があるわけでなく、動員令を下しても参加する武家達はある意味では自主参加である。 従って武士団の信望が得られなければ幕府は存立できない。 ではどうすれば統治能力を発揮できるか。

2013-03-04 05:27:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨まず第一に当時の「常識」に基づいて統治することである。 非常識な権力者は、いずれの時代であれ最終的には、たとえ恐怖政治を布いても排除されるが、特に北条氏のような場合はひとたまりもない。 そこでまず、常識からルールを抽出してこれを「法」にすることが要請される。

2013-03-04 05:57:38
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩そのようにして出来たのが貞永式目だから、その中から、後々まで日本人の考え方・生き方を方向づけたと思われるものがあって不思議ではない。 それらの点を摘記してみよう。

2013-03-04 06:27:45