足立智美・岡﨑乾二郎チャット対談「音楽の条件」

音楽の快楽、そして不快。 音楽は差異を受け入れる?あるいは消去する。 暴力としての音楽。音楽という武装解除。そして武装解除をおこなう技術としての『音楽』
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四谷アート・ステュディウム @art_studium

(3/4):恥じらうことは大事な客観化である。声をあげることは恥ずかしい。恥を「耳の心」と読んだのはパイクだったか。声を耳の心で受け止める。自分の心=息だけではまだ足りない。息と恥のすれ違いが音楽を生む。 http://ow.ly/2rBPO

2010-08-19 12:10:02
四谷アート・ステュディウム @art_studium

(4/4):ケージは音を解放したと言われる。では解放された音は皆どこに行ったのか。——足立智美  「Musique Non Stopゼミ」9月13日(月)開講!どうぞお早めにお申し込み下さい。講座の詳細はこちらです:http://ow.ly/2rBR9

2010-08-19 12:15:02
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

RT @art_studium: (2/4):音楽の外から音楽の本質を突き抜けて、再び音楽の外に出るために。 / 音楽の成立に不可欠と考えられている技術のほとんどは必要ない。いくつかの古い技術、いくらかの新しい技術。手持ちのものを組み合わせて、いままでなかったものに作り直す。 http://ow.ly/2v9ca

2010-08-31 17:09:56
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

不連続統一体? 音楽形成の条件(出発点)はつねに不連続性にあった→足立智美先生の海外ワークショップの模様《Romeo (Yumiko)》http://ow.ly/2wmXf 《Amacha》http://ow.ly/2wnVQ 四谷講座の詳細:http://ow.ly/2wIdK

2010-08-31 17:17:16
四谷アート・ステュディウム @art_studium

9月13日開講の「Musique Non Stopゼミ」http://ow.ly/2wmV3 を巡って。本講座の講師、足立智美先生と本校ディレクター岡﨑乾二郎によるチャット対談『音楽の条件――音楽のイヤーなところ、ととっても素敵なところ』本日12時よりそのすべてを配信いたします。

2010-09-01 11:02:56
四谷アート・ステュディウム @art_studium

★★配信はあと1時間後(お昼の)12時からです。→9月13日開講の「Musique Non Stopゼミ」http://ow.ly/2wmV3 を巡って。本講座の講師、足立智美先生と本校ディレクター岡﨑乾二郎によるチャット対談

2010-09-01 11:05:05
四谷アート・ステュディウム @art_studium

岡﨑:こんにちはお世話になります。音楽とはなにか、その嫌なところと、素敵なところとを足立さんとお話したいと思います。音楽とは何か?(1/65)

2010-09-01 12:00:37
四谷アート・ステュディウム @art_studium

足立:こんにちは。何を持って音楽とするか。形式か素材か、形式とは歴史からくるのか。形式だったら素材は入れ替えられるはず。(2/65)

2010-09-01 12:05:57
四谷アート・ステュディウム @art_studium

岡﨑:まずはそれを支える感覚、聴覚からはどうでしょう?(3/65)

2010-09-01 12:07:04
四谷アート・ステュディウム @art_studium

足立:音を出すということと、聞くということの間にあるずれ。(4/65)

2010-09-01 12:09:06
四谷アート・ステュディウム @art_studium

岡﨑:ええと。たとえばオルフェウスの神話というのがあるでしょう?オルペウスhttp://twitpic.com/2ecnor/full この絵はオルフェウスが竪琴を弾き、動物たちが聞いているところの場面です。描いたのはヤン・ブリューゲル。(5/65)

2010-09-01 12:12:20
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四谷アート・ステュディウム @art_studium

足立:はい。動物に聞かせるんですね。(6/65)

2010-09-01 12:15:24
四谷アート・ステュディウム @art_studium

岡﨑:よく見ると取り巻く動物たちに階層があります。そばにいるのは猫とか犬とか家畜たち、だんだん遠くになるにつれ野生化する。蛇はいません。蛇は耳がない正確には鼓膜がないから。体内にある耳にあたる器官は大地の振動だけを感じる、蛇の聴覚は一種の触覚です。(7/65)

2010-09-01 12:18:28
四谷アート・ステュディウム @art_studium

岡﨑:動物たちに囲まれているオルフェウスは少し浮かない顔です。彼の音楽をどの動物でも同じように聞かないこと。必ずしも同じ関心を持たないことが、彼のメランコリーの原因かも知れません。手前のヒョウも奥のダチョウも無関心。蛇はいない。(8/65)

2010-09-01 12:21:37
四谷アート・ステュディウム @art_studium

岡﨑:その蛇に、オルフェウスの妻エウリュディテは、咬まれ死ぬ。オルフェウスは黄泉の国へ彼女を取り返しにいく。http://twitpic.com/2ecvoy/full 同じ画家による。(9/65)

2010-09-01 12:24:42
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四谷アート・ステュディウム @art_studium

岡﨑:黄泉の国のオルフェウス。ところがこの絵の中のオルフェウスはむしろ楽しそうです、地下のクラブでウキウキという感じ。黄泉には時間も空間もない。感覚に隔たりがないのです。(10/65)

2010-09-01 12:27:49
四谷アート・ステュディウム @art_studium

岡﨑:http://bit.ly/a8Msr8 同じ画家のこんな絵もあります。聴覚の条件。演奏者は見ず、音楽の女神だけがいる。これは芸術一般の問題。感覚一般の問題ですが。感覚は、まず差異、隔たりを出発点としていますね。(11/65)

2010-09-01 12:30:52
四谷アート・ステュディウム @art_studium

岡﨑:対象は、感覚を通してしか(いわば間接的にしか)知る事が出来ない。だからこの絵でも演奏者が見えない。その隔たった対象を視覚や聴覚、触覚がいわば痒い所に直接手がとどかないように、間接的な隔たりをもって感じる。その間に空間があり時間がある。(13/65)

2010-09-01 12:34:02
四谷アート・ステュディウム @art_studium

岡﨑:一方で感覚が働いている最中において、そこに前提となった隔たり、差異があったのが乗りこえられ忘却されてしまうような、一つの把握が先取り(獲得)される。さまざまなる感覚の差異がその過程のなかでは確かに融合(統合)される(構想力?)。芸術的経験?(14/65)

2010-09-01 12:36:06
四谷アート・ステュディウム @art_studium

岡﨑:その知覚のプロセスにおいて、あたかも差異が差異でなく、有機的な(組織だった)連合体、統合体であるかのように感じられ、把握される。 これは幸福な感覚ともいえますが。(15/65)

2010-09-01 12:39:09
四谷アート・ステュディウム @art_studium

足立:おっしゃる通りだと思います。ロマン派の詩人にとっての音楽とはまさにそういうものだったのでしょう。(16/65)

2010-09-01 12:42:14
四谷アート・ステュディウム @art_studium

岡﨑:いいことかどうかわからない。(17/65)

2010-09-01 12:43:16
四谷アート・ステュディウム @art_studium

足立:では不幸なことをなんでやるんでしょうか。(18/65)

2010-09-01 12:45:17
四谷アート・ステュディウム @art_studium

岡﨑:ただの転倒かもしれませんね。へたすれば、むしろ悲劇。オルフェウスのように。ではなぜ不幸なことを行うのか。(19/65)

2010-09-01 12:45:18
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