シンガポールを歩いていると全体にデジャブ感があり、思い出すと神戸なのだった。須磨に伊東さんのVIVO CITYがあり、須磨浦公園から須磨アルプスを歩き、途中の橋から塩屋のあたりが見えて、そこにリベスキンドのコンドミニアムがあり、舞子にOMAの集合住宅の現場があるという距離感w
2013-03-08 13:09:43セントゥーサへ向かうモノレールのワクワク感はポートライナーの三宮駅でポートピアへ向かうときの感じを思い起こさせた。セントゥーサ島とサザン・リッジズを結ぶロープウェイはポートアイランドから貿易センターの最上階経由で布引ハーブ園へ向かう感じ(ただし距離はもっと短い)w
2013-03-08 13:13:25サザン・リッジズの新しい遊歩道から市街地を見下ろす感じは布引のオリエンタルシティから浄水場跡地の裏を通って異人館へ向かう遊歩道の感じに似ている。既存の要素を繋ぐというコンセプトも似ているのでは。
2013-03-08 13:15:09背景も神戸とシンガポールは共通点が多い。漁村から貿易港へ展開した歴史とか、中心に中華街があり、郊外にジェネリックなニュータウンが広がるとか。オール与党の議会で安定した政治状況を背景に戦略的な都市経営を次々に繰り出すところも。
2013-03-08 13:19:11「過密の解消」や「貨物輸送量の増大」「住宅地の確保」を背景にポートアイランドや須磨ニュータウンを開発していた神戸と、「飲料水の確保」や「国際競争」を背景にマリーナ・ベイや緑地の開発をするシンガポールは政治のトピックの中心がインフラ政策であり、成果がよく見えることが共通している。
2013-03-08 13:26:35ではなぜ神戸は没落し(失礼)、シンガポールはグローバルシティになり得たのか。政治経済の問題は置いておくとすると、インフラの配置の観点からいくつかポイントがあったと思う。
2013-03-08 13:27:47ひとつはグローバルシティの条件である国際空港がほとんど神戸沖で決定していたにも関わらず市民の反対運動により誘致を見送ったこと。あとから地方空港を開設したが後の祭り。ポートアイランドの沖合に関西国際空港が開港していればスキポール並にスムーズな配置だった。
2013-03-08 13:31:29コンテナ埠頭の船舶貨物の取り扱いは1995年の震災による閉鎖が響いて釜山に持っていかれたというのが定説だが、小林郁雄さんにご案内頂いた際の話では神戸港の水深が決定的に不足しているという。シンガポールには巨大なコンテナ埠頭がある。
2013-03-08 13:33:25セントゥーサ島にはユニバーサルスタジオがあるが、ポートアイランドに誘致するという話もあった。神戸にチャンギとマリーナ・ベイとセントゥーサ島が出現した可能性はあり得たかも知れない。80年代までは。
2013-03-08 13:37:54逆に言うとシンガポールがどこかで戦略を誤ると神戸のようになるということでもある。栄枯盛衰、奢る平家も久しからず。
2013-03-08 13:38:48そういえばシンガポールの地下鉄は神戸の川崎重工製だったのでは。アジアへの鉄道輸出は兵庫運河から。神戸とシンガポールを結ぶホットラインw
2013-03-08 13:42:01神戸とシンガポールといえば、P&Gのアジア事業の戦略立案部門が神戸の六甲アイランドからシンガポールのワン・ノースに移転しましたのは象徴的。少なくともP&Gが六甲に集約移転した1993年には外資系企業がアジアの拠点を神戸に構える空気があった。残った日本本社も三宮に移転するとか。
2013-03-09 12:43:17ワン・ノースはシンガポール西部の郊外に研究開発地区を整備するというもので、シンガポール国立大学を始め、学術機関が多く、最近の外国人建築家のビルはこのあたりに多い。生物とか生命科学の研究機関を集めたBIO POLISのマスタープランはザハ・ハディト。
2013-03-09 12:47:13神戸にも西神ニュータウンに「学研都市」という場所がありますね。ワン・ノースと似たコンセプトで位置関係がこれまたよく似ている。
2013-03-09 12:49:11