初心者向け「一式七糎半自走砲」(一式砲戦車)のお話

所謂一般的に有名な「一式砲戦車」こと一式七糎半自走砲。ではそれの開発経緯はどのようなものだったのか? 今回はスマホを使ってその開発経緯について簡単に解説します。
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這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

お詫びにあとで旧軍小話を何か考えよう。何か旧軍戦車について聞きたい人はいるだろうか?

2013-03-09 11:06:12
名無しほむほむ @nonameagent

ホニたんでは駄目かしら? RT @Nyarlathotep_44: お詫びにあとで旧軍小話を何か考えよう。何か旧軍戦車について聞きたい人はいるだろうか?

2013-03-09 11:12:07
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

さて、電車も出発したし、一式七糎半自走砲について小話でも致しますか。

2013-03-09 12:10:44
一式七糎半自走砲(一式砲戦車)

・主要諸元 砲身口径:75mm 砲身長:2883mm(38口径) 重量:387kg 閉鎖機:水平鎖栓式 後坐長:680mm 高低射界:-15°~+25° 方向射界:22° 放列砲車重量:14,640kg 最大速力:38km/h 弾量:6.02kg(榴弾) 弾薬筒重量:7.45kg(榴弾) 初速:668m/s(徹甲弾) 522.6m/s(榴弾) 最大射程:7800m 弾種:九四式榴弾、一式徹甲..

這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

一式七糎半自走砲は、九○式野砲の機動力を向上させるため、昭和十四(1939)年十二月に九七式中戦車の車台を利用した自走砲の開発を開始したところから始まります。

2013-03-09 12:15:35
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

昭和十六年五月に試製砲が完成、同年六月には九七式中戦車の車台に実際に搭載し、そのまま400kmの運行試験にまわして良好な成績を収めました。

2013-03-09 12:19:59
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

そして同年十月に陸軍野戦砲兵学校に実用試験を委託し、あらゆる角度からその実用性について検討をすることとなります。

2013-03-09 12:23:23
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

その後、昭和十七年の三月六日に兵器本部において、兵器本部、技術本部、相模造兵廠、大阪造兵廠による自走砲の量産についての打ち合わせがありましたが、それによると昭和十七年の五月頃から自走砲の量産が開始されており、砲と車台に別々の秘匿番号が振られて自走砲としての番号はありませんでした。

2013-03-09 12:30:49
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

一式七糎半自走砲は、主に機動砲兵連隊に配備され、昭和十七年に機動野戦砲兵学校の教導連隊に自走砲中隊を新設し、自走砲の教育訓練を始めています。その後、昭和十八年に機動砲兵第一連隊の1個中隊が機動九○式野砲から一式七糎半自走砲に改編され、満州に初の自走砲隊が完成します。

2013-03-09 12:38:11
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

翌年十九年には戦車第四連隊の編成にあたり、各戦車連隊の対戦車火力の中心として1個中隊6門ずつ編入します。なお、同年編成の独立部隊は4個中隊からなり、一式七糎半自走砲または一式十糎自走砲4門を装備していました。

2013-03-09 12:44:41
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

さて、そこで皆さんが気になる「一式砲戦車」の名称ですが、これはこの頃に一式七糎半自走砲が安価な対戦車火力として利用できることに気づいた旧陸軍が、戦車連隊に一式七糎半自走砲を配備するためにつけた名称であり、本来この車両は砲戦車ではありませんでした。

2013-03-09 12:48:46
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

これは砲戦車としての秘匿名称がホ「ニ」であるのに対して、四式十五糎自走砲の秘匿名称がホ「ロ」であることからもわかります。どうやら昭和十九年に秘匿名称をまとめてつけられた際にこのような形になったようです。

2013-03-09 12:53:11
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

そんな一式七糎半自走砲は、九七式中戦車の、主として後期型車台に七糎半の火砲を搭載したもので、前面50mm、側面12mmの防楯をつけたもので、砲弾は車体内に24発、車体上8発の計32発を搭載しており、随伴する弾薬運搬車(装甲兵車で行う)と合わせると、計150発の砲弾を運用できました

2013-03-09 12:59:56
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

人員は自走砲に分隊長、砲手3名、操縦手1名、無線手1名、運搬車に操縦手1名、予備操縦手1名、砲手4名で編成され、放列布置に当たっては、運搬車の操縦手と砲手2名が砲側に残り、車外の弾薬運搬を行っていました。放列布置から射撃開始は30秒かかったようです。

2013-03-09 13:08:27
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

そんな一式七糎半自走砲の徹甲弾は射距離500mで80mm、1000mで70mmの鋼板を貫徹し、徹甲弾特甲となると射距離500mで100mm、1000mで85mmの鋼板を貫徹させることができました。

2013-03-09 13:11:56
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

かくしてそんな一式七糎半自走砲は昭和二十年となると戦車師団所属の機動砲兵連隊に機動九○式野砲と交換され、3個中隊編成の自走砲大隊を編合したほか、一部の戦車連隊に配備もされたのですが、大半が本土で温存されてそのまま終戦、これらの自走砲が火を吹く機会は殆どないまま大戦を終えたのでした

2013-03-09 13:18:16
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

と、言ったところで今日の旧軍小話終了致します。電池も少なくなってきたしね、電車内で小さな端末に向かって小話は疲れるよ。

2013-03-09 13:19:38
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

今日は質問タイムはなーし。流石に質問に回答できるほどの資料も根気も電池も無いや。

2013-03-09 13:21:46