都名所図会巻之一

図会の解説 現代語
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なんでも かんでも @kandemo

「… 法然水(ほうねんすい)は、塔頭松鴎軒(しょうおうけん)にある。[この地、初めは、加茂の神宮寺であって、百万遍の旧地である。法然上人が、ここにお住まいであったので、法然水と名づけられた] 」 RT @kandemo

2013-03-03 08:39:33
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都名所図会巻之一 「京極八幡宮(きょうごくはちまんぐう)は、上御霊(かみごりょう)の西にある。諸社根元記(しょしゃこんげんき)には、古(いにしえ)は、三條京極にあり。應仁(おうにん)以後、此の地にうつす、と書かれている。…」

2013-03-03 16:10:53
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「… 盛衰記(せいすいき)には、京極寺(きょうごくじ)は、日吉(ひよし)の末社(まつしゃ)であると書かれている。今は、真言(しんこん)の僧(そう)が、これを守(まも)っている。」 RT @kandemo

2013-03-03 16:11:32
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「出雲路神(いずもじのかみ)は京極の西、今出川(いまてがわ)の北にある。猿田彦命(さるたひこのみこと)が祭られており、道祖神(どうそしん)である。今、幸神(さいのかみ)と言う。旧地(きゅうち)は、京極の東である。」 RT @kandemo

2013-03-03 16:12:35
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「縣(あがた)井戸は、洛陽(らくよう)(=左京)の名所である。古(いにしえ)は、一条の北、東洞院(ひかしのとういん)の西にあった。[縣宮(あがたのみや)の傍(かたはら)にあったという。そのために縣井戸と名づけられた] …」 @kandemo

2013-03-03 16:16:53
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「… 後撰 都人(みやこひと)きてもおらなん蛙(かはつ)なくあかたのゐどの山吹(ふき)のはな 橘公平女  続後撰 蛙(かはつ)なくあかたの井とに春(はる)くれて咲(さき)やしぬらん山吹の花 後鳥羽院」 RT @kandemo

2013-03-03 16:17:50
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都名所図会巻之一 12頁 「妙覚寺(めうかくじ)」 http://t.co/ADI0yHeekN

2013-03-04 17:07:35
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「具足山(ぐそくさん)妙覚寺(みょうかくじ)は、新町頭(しんまちかしら)にある。法華宗(ほっけしゅう)にして、開基は、日實(にちじつ)上人である。楼門(ろうもん)の金剛(こんごう)力士は、弘法(こうぼう)大師の作である。…」 RT @kandemo

2013-03-04 17:09:41
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「… 祖師堂には、日蓮(れん)日朗(ろう)日像(ぞう)の三師の像(ぞう)を安置してある。[この堂は、飛騨(ひだ)の工(たくみ)の造立(ぞうりゅう)で、その恰好(かつこう)は比類(ひるい)がない。諸堂建立の規矩(きく)とされる] …」 RT @kandemo

2013-03-04 17:16:08
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「… 花芳塔(けほうのとう)には、日蓮(れん)自筆(じひつ)の法華経を収(おさ)めてある。紫印金(むらさきいんきん)の曼荼羅(まんだら)、角龍(かくりゅう)の曼荼羅(まんだら)は、共に、日蓮(れん)の筆であって、当寺の什宝(じゅうほう)である。…」 RT @kandemo

2013-03-04 17:19:30
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「… [此の寺、昔は、衣棚(ころもたな)二条の南にあった。今は、妙覚寺町と言う。天正年間、秀吉公の命で、此の地にうつされた。又、当寺に画工(がこう)狩野(かのう)古法眼(こほうげん)元信(もとのぶ)他、狩野家数代(すうだい)の墓がある]」 RT @kandemo

2013-03-04 17:23:31
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都名所図会巻之一 14頁 「妙顕寺(めうけんじ)」 http://t.co/c6aw2TPc5i

2013-03-05 11:32:47
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「具足山(ぐそくさん)妙顕寺(みょうけんじ)は、小川の北にある。法華宗(ほっけしゅう)であって、開基は日像(ぞう)上人である。洛陽(らくよう)では、日蓮宗最初(さいしょ)の寺である。後醍醐(ごだいご)天皇の勅願(ちょくがん)所となる。…」 RT @kandemo

2013-03-05 11:34:28
なんでも かんでも @kandemo

「… [初めは、西洞院(にしのとういん)二条の南にあった。天正年間に、この地にうつした] 立像(りつぞう)の釈迦佛は、長け三寸で、黄金仏(おうごんぶつ)である。日蓮上人は、いつも持念(じねん)されていた言う。…」 RT @kandemo

2013-03-05 11:35:51
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「… 蜀錦(しょくきん)の曼荼羅(まんだら)、経一丸(きょういちまる)の曼荼羅(まんだら)、共に、日蓮の筆(ふで)で、当寺の什物(じゅうもつ)である。[経(きょう)一丸は、日像上人の字(あざな)である]」 RT @kandemo

2013-03-05 15:46:29
なんでも かんでも @kandemo

都名所図会巻之一 15頁 「本法寺(ほんはうじ)、大應寺(だいをうじ)、報恩寺(ほうをんじ)、妙蓮寺(めうれんじ)、千宗佐宅(せんのそうさがたく)」 http://t.co/KMMgPoqfQ3

2013-03-07 13:06:14
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「卯木山(ぼうもくさん)妙蓮寺(みょうれんじ)は、寺内(てらのうち)通り小川の西にある。妙覚寺と同じ宗派、法華宗で、開基は、日像(にちぞう)上人である。古(いにしえ)は、西洞院五條にあった。…」 RT @kandemo

2013-03-07 13:09:17
なんでも かんでも @kandemo

「… 柳屋仲興(やなぎやなかおき)という者が、日像に帰依(きえ)し、宅地を寄附したので、柳寺(やなぎてら)と称(しょう)する。その後、大宮通り四条の南に遷(うつ)し、又、元誓願寺(もとせいがんじ)通り大宮に遷(うつ)り、天正二十四年にここに遷った。…」 RT @kandemo

2013-03-07 13:11:55
なんでも かんでも @kandemo

「… 当寺の什宝(じゅうほう)として、祈雨(きう)の本尊(ほんぞん)という日蓮上人自筆の法華の曼荼羅(まんだら)がある。後光厳院(ごこうごんいん)の御宇に、天下長く日照りが続いた。この本尊で、桂川(かつらがわ)のほとりで諸雨の法が修せられると…」 RT @kandemo

2013-03-07 13:14:51
なんでも かんでも @kandemo

「… 忽(たちま)ち、霊応(れいおう)があって、大雨が数日降り続いた。その故に、日蓮上人に大菩薩(だいぼさつ)の号(ごう)が賜られた。」 RT @kandemo

2013-03-07 13:15:58
なんでも かんでも @kandemo

「金剛山(こんごうさん)大應(だいおう)寺は、妙覚寺(みょうかくじ)の西にある。宗旨(しゅうし) [天台(てんだい)真言(しんごん)禅(ぜん)兼学(けんがく)] 比叡山(ひえいざん)に属して、開山は、虚應和尚(きおうおしょう)である。…」 RT @kandemo

2013-03-07 13:18:27
なんでも かんでも @kandemo

「… 仏殿は、釈迦(しゃか)佛を本尊とし、迦葉(かしょう)阿難(あなん)を脇士(わきじ)としている。額(がく)は、大應寺と書いてあって、黄檗(おうばく)隠元(いんげん)の筆である。後花園院(ごはなぞのいん)の御陵(みささぎ)は南西の隅、竹林の中にある。」 RT @kandemo

2013-03-07 13:19:43
なんでも かんでも @kandemo

「叡昌山(えいしょうさん)本法寺(ほんぽうじ)は、大應(だいおう)寺の南にある。法華宗で、開基は、日親(にっしん)上人である。本堂の額(がく)は、光悦(こうえつ)の書である。…」 RT @kandemo

2013-03-07 13:20:42
なんでも かんでも @kandemo

「… 初めは、綾小路(あやのこうじ)の西にあったが、中頃一条堀川の西に移り、又、天正年間に今の地に移った。」 RT @kandemo

2013-03-07 13:21:34
なんでも かんでも @kandemo

「今日庵(こんにちあん)宗旦(そうたん)の家は、本法寺(ほんぽうじ)前の町にある。千家累代(るいだい)の茶人(ちゃじん)は、ここに住んで、上(か)み流(りゅう)と号(ごう)する。…」 RT @kandemo

2013-03-07 13:22:54
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