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以下、連投。 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー1】 3月10日13時に配信した、福島県浪江町にある「希望の牧場・ふくしま」吉澤正巳代表インタビューの報告ツイートを開始します。同牧場は福島第一原発から14キロ地点にある。#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:44:22連投2 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー2】 岩上「以前はエム牧場という名前だったと聞いている」吉澤氏「エム牧場は県内7ヶ所の牧場(牛1200頭)を知人らで共同運営。私は自分の土地の浪江牧場で330頭預り、責任者だった」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:44:46連投3 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー3】 岩上「吉澤さんはお幾つに」 吉澤氏「3月6日で59歳。自分に残された時間を考えた。だいたいあと20年だろう。どういう生き方をするのか色々考えていた。その最中に大震災が起きた」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:45:15連投4 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー4】 吉澤氏「原発事故が発生し、その日のうちに避難区域が3キロ、5キロと拡大していった。家から第一原発の排気塔が見えるが、11日の夜に第一原発の上をヘリが5~6機旋回し始めた」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:45:47連投5 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー5】 吉澤氏「請戸漁港が津波で相当やられレスキューの体制を組んでいた。だが12日に『だめだ』と。早朝に浪江町長が避難を決断した。第一原発から25キロ地点の津島に避難することになった」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:46:05連投6 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー6】 吉澤氏「12日早朝、浪江牧場に警察ワゴン車が3台入ってきた。衛星通信に使うパラボラなど機材を持った福島県警の部隊。第一原発上空のヘリコプターのライブ映像を県警本部に送るため」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:46:26連投7 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー7】 吉澤氏「彼らは1号機爆発のライブ映像を県警本部に送った。その後『申し訳ないが本部から撤退命令が来た』『とうとう来た』と言い、部隊は撤収。さらに『国は情報を隠している』とも」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:46:52連投8 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー8】 吉澤氏「浪江町長はテレビの報道で事態悪化と情報孤立を悟り避難を決断。津島に逃げろと。そこに9000人ぐらい、津島の人を含めて約1万人が12日から3日間、津島にとどまった」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:47:12連投9 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー9】 吉澤氏「14日・15日の2号機・4号機の爆発。肝心なのは、津島に避難していた1万人近い人達は、ものすごく高い線量の放射能が津島に来ているのを15日にようやく知ったという点」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:47:34連投10 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー10】 岩上「避難する方向次第で放射能の被曝総量が全然違ったのでは。情報提供がない中、良かれと思い町長が決断した25キロ地点の津島が、一番風が流れ込んで、被曝してしまったとは」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:47:59連投11 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー11】 吉澤氏「避難した浪江の人達は『棄てられた』『見捨てられた』という怒りの思いを持っている。11日夜の段階で、富岡町や大熊町には国が手配した大型バス100台以上が来ている」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:48:30連投12 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー12】 吉澤氏「他町では12日からバスで避難できた。浪江町には情報やバスの提供は一切ない。国道114号は避難する車の渋滞で動かない。駐屯していた自衛隊も15日には全くいなくなった」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:49:15連投13 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー13】 岩上「福島第一原発に隣接する市町村において、福島第一に近い浪江と双葉や大熊との違いは何か」 吉澤氏「浜通りの町には火力か原発のいずれかが存在するが浪江町にはどちらもない」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:49:33連投14 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー14】 吉澤氏「浪江・小高原発計画が持ち上がったとき、反対運動が起きて造られなかった」 岩上「結果として大熊・双葉にまたがる場所に造られたと」 吉澤氏「福島第一、第二が造られた」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:49:53連投15 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー15】 吉澤氏「オフサイトセンター。原子力安全・保安院の人達が3日位で福島市に逃げた。事故対応をすべきなのに停電だ?電話が通じない?発電機が回らなかった?放射能が来た?(続く)」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:50:17連投16 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー16】 吉澤氏「(続き)自分達の都合でやることをやらず、彼らは逃げた。彼らは仕事をせず、肝心要の時に敵前逃亡した、腰抜けの役所、役立たずの役所。これが国の、原子力の安全対策の姿だ」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:50:40連投17 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー17】 岩上「満州で逃げた関東軍と重なる」 吉澤氏「国策が破綻し、例えば、戦争で敗北し、われ先に軍が逃げてしまう。住民のことなんか考えない。満州開拓団のたどった最終的な姿は棄民だ」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:50:59連投18 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー18】 吉澤氏「国策で戦争遂行。僕の親父は満州開拓団に動員。敗戦でシベリア抑留。3年間も強制労働させられた。生きて帰ってきたのが不思議な程。あの時、開拓団はたくさんの命を見捨てた」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:51:23連投19 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー19】 吉澤氏「いざ敗戦になれば、国は国民を見捨てるんだと思い知った。親や子供達を足手まといということで、殺して引き揚げてきた人が大勢いる。残留孤児の問題にはそういう背景がある」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:51:43連投20 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー20】 吉澤氏「自身が生きるため、足手まといは棄てる。それは大震災の現場にもあったと思う。たくさんのペット、犬猫を、連れてこなかった。あるいは牛たちを、捨てて逃げるしかなかった」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:52:04連投21 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー21】 吉澤氏「福島事故の後、僕はむなしい気持ちになった。反対運動に意味があったのか。俺たちの町はこんなになってしまった。浪江・小高原発を止めたのに、なぜこんな目にあったのかと」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:52:26連投22 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー22】 吉澤氏「大柿ダムという水源があるが使い物にならない。除染なんか無理。大丈夫だなんて言われても、こんなところの水を引っ張って、町の水道?米作り?そんなものはないと思う」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:52:52連投23 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー23】 吉澤氏「浪江町を成り立たせる大事な、どの要素を見ても、絶望してしまう。クビになった大臣さんが『死の町』と言ったが、全くその通りだと思う。僕は『絶望の町』と言ってやりたい」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:53:17連投24 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー24】 吉澤氏「置かれている厳しい現状を認識しないとだめだ。浪江町役場が事故直後、戻ろう、帰ろうと一生懸命呼び掛けたが、僕はそれはむなしい願望だと思った。はっきり見たほうがいい」#iwakamiyasumi
2013-03-12 17:53:43連投25 RT @IWJ_ch1: 【希望の牧場インタビュー25】 吉澤氏「自分のお墓がある人や、残り人生の帰る場所を求めるお年寄りなど、10分の1ほどしか町に戻らないだろう。若い人は絶対に返らない。当時2万1千人いた町が2千人ぐらいに」#iwakamiyasumi
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