- natsume_yoh
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エントリ書くのがめんどくさいから、こちらに概略だけぼんぼん投げていってあとで、エントリとしてまとめることにしよう。そうしよう。
2010-02-01 19:50:46この疑問に対して保坂和志は二つの解答をまず用意する。「自分の死」と「本来、宇宙は人間のような、自分自身を語ってくれるようなものを必要となどしていない」
2010-02-01 19:56:17「自分の死」に関して。これは宇宙の始まりや終わり、外といった観測不可能な部分を自分の死にたとえて解釈しているんじゃないかということ。
2010-02-01 19:58:42「本来~」に関して。これを保坂は「辞書式の解答の破綻による思考の放棄」と言っている。明快な解答は明快な基盤によって成り立っているのであり、そこには当然限界があって、それ以上のことを説明するとどうにもわからなくなって思考の放棄のような答えになってしまう。
2010-02-01 20:02:18これら二つの解答に共通するのは人間中心的な思考であるということ。また、「そもそも存在しなかったのではないか」という一番の気分を隠してしまっているため、この考えが「不安」になっていること。
2010-02-01 20:05:18保坂はその「そもそも存在しなかったのではないか」というのを隠さず、そのまま問えばいいと言う。このような宇宙の始まりや終わり、外について(つまり、言葉も思考も遮断された状態で)考えることは自分自身の「存在」を実感する契機なんじゃね?っていうのが一章。
2010-02-01 20:08:34宇宙の始まりや終わりについて考える→そもそも人間が存在しなかったのではないか→逆説的に私たちは自らの存在を意識するって流れなのかな。この人間が存在しなかったのでないかの想像力を与える希有なものとしての宇宙の話で、一章はまとめられそうかな。
2010-02-01 20:13:25個人的には脱人間中心的な思考のほうが保坂の小説内で展開される思考としてはよくありがちな雰囲気。あと、「言葉というものは(中略)物の実像を隠してしまう」ということをが興味深い。例であげられているこれまでの宇宙の時間と人が生きている時間のその規模の違いを実感できないねって話
2010-02-01 20:17:30