渡辺真也さん『自由意志論を巡って - オリゲネス、アウグスティヌスとエラスムスから考える』

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Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

連続ツイート 「自由意志論を巡って - オリゲネス、アウグスティヌスとエラスムスから考える」

2013-03-15 20:11:58
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自1)私はデカルト的な心脳問題への感心の延長線上にて、自由意志とは何かについて考える様になったのだが、この論文は大変勉強になった。 「『自由意志論』の動機 - オリゲネス,アウグスティヌスとエラスムス」木ノ脇 悦郎 http://t.co/dWeVPd8nO5

2013-03-15 20:12:33
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自2)木ノ脇悦郎氏によると、ルターは『奴隷意思論』にて、聖書が自由意志を否定していることが明白であるとし、その反対に、聖書は自由意志を肯定している解釈するエラスムスの『自由意志論』を批判したと言う。

2013-03-15 20:12:54
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自3)「もし自由意志の力というものが、あるいは永遠の生命へ、あるいは永遠の死へと創られた人間が、それによって霊を我が物としたり、神の恵みで満たされるのにふさわしいものとなる力だと私達が言うなら、それは正しく語られていることになる」 - ルター『奴隷意思論』

2013-03-15 20:13:21
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自4)ルターは本性的意志や自己意志は罪を犯し得るだけであり、自由意志はただ名のみ存在し、実際には存在しないと主張する。ただ神の恩恵に働きかけられ、捕らえられなければならず、救いや罪の赦しに関しては神への全面的信頼のみが問題となり、人間の働く余地(=自由意志)は否定される。

2013-03-15 20:13:47
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自5)人は自己に絶望する事により、神の救いを全的に信頼するに至る。しかし神は恵みの神であるから、ここで示される絶望とは自己の力への絶望であり、自己の救いへの絶望ではない。つまり神の恩恵によってのみ救われるとすれば、先程示した自由意思は否定されなければならない、とルターは考えた。

2013-03-15 20:15:47
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自6)エラスムスの言う自由意志を"I will"とするのであれば、ルターの奴隷意思とは"Let it be"になるだろう。するとエラスムスの『自由意志論』は日蓮の世直し系の『立正安国論』に、ルターの言う「奴隷意思」は、親鸞の説く癒し系の「他力」に非常に良く似ている。

2013-03-15 20:16:37
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自7)おそらく自由意志を最初に論じたのはアレキサンドリアのオリゲネスだが、彼はプラトンの『ティマイオス』と旧約聖書の『創世記』の世界創造の記述の融合を試みたとされる。オリゲネスの先生に当たるのがアンモニウス・サッカスで、門下生に新プラトン主義を立ち上げたプロティノスがいる。

2013-03-15 20:17:01
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自8)オリゲネスの自由意志論の問題は、人間の行為を意識の成すものとして捉えている点だと私は考える。人間の行為は無意識の集積の結果であり、その行為を時系列にエピソード化しているものが意識であると考えることができれば、オリゲネスの言う意味での自由意志は超克できるだろう。

2013-03-15 20:17:35
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自9)人間の行為が無意識によって決定しているのであれば、その行為の要因は人間にとっての外的な要因である環境に因るから、神即自然とするのであれば、人間が主体であることと、神が主体であることは矛盾しなくなるだろう。

2013-03-15 20:18:13
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自10)すると神は複数であり、同時に一つであるということになるだろう。これは旧約聖書の『創世記』の冒頭に出て来る創造主である神が単数形のエルではなく、複数形のエロヒムと表記されたことや、イオニアの流出(ト・ヘン)の概念にて主語が想定されなかったこととも一致する。

2013-03-15 20:18:35
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自11)木ノ脇悦郎氏の論文を読んで考えたのだけれど、ゾロアスター的な善悪二元論に対して、デュメジルの三機能仮説や、その延長にあると考えられるであろう三位一体は、私は輪廻転生の形態化である様な気がしてならない。これはまだ感覚的なものでしか無いから、引き続き考えて行きたい。

2013-03-15 20:19:04
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

以上、連続ツイート「自由意志論を巡って - オリゲネス、アウグスティヌスとエラスムスから考える」でした。最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございました。

2013-03-15 20:19:30