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山本七平bot @yamamoto7hei
①【現実からの逃避は、無規範社会の肯定に同じ】「長沮と傑溺の二人が並んで耕していた。 孔子が楚から蔡へ帰る時、偶然、そこを通り過ぎたので、子路をやって二人に渡し場のある所をたずねさせた。 子路が車から下りたので、孔子は子路に代わって手綱をとっていた。<『論語の読み方』
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②長沮が子路に問うて言うには 『あの車の上で手綱を執っているのは誰だ』 子路『孔丘(孔子)です』 …長沮『孔丘は四方を廻り歩いているから渡し場のある処ぐらいは知っている筈だ。何も訊く事はあるまい』。 子路は長沮から訊く事ができないから、傑溺に問うた。
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③…傑溺『天下の人は皆、水の低きに流れてもとにもどらないように日に乱におもむき悪に走っている。 誰もお前の先生を任用してその説を聴く者はいないのに、一体誰とともに、悪を変じて善となし、乱を変じて治にかえようとするつもりなのか。』
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④まぁお前は人をさける(この人がだめならさけて別の人の所へ行き、それを繰り返し続けている)孔丘の様な人に従うよりは、世をさけるわしらの様な人間に従う方がましだ』 と言って、種に土をかけてやまず、ついに渡し場のある所を言おうとしなかった。 子路は去って二人の言葉を孔子に告げた。
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⑤孔子は二人が自分の考えている事の真意をさとらないのを惜しみ、憮然として嘆息して言う。 『彼は、世をさける士に従うほうがよい、と言うけれども、われわれは人類なのだから、いかに世をさけたからといって、まったく人と交わらないで鳥獣と共に群(むれ)を同じくすることはできない。
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⑥『人類とともに群を同じくするのでなくて誰と群を同じくできよう。 それゆえ、世をさけ人と絶つことがどうしてできよう。 彼は、天下に道がないから一体誰とともにこれをかえようとするのか、と言うけれども、もし天下に道があるならば、私も治に安んじてかえようとはしない。』
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⑦『今、天下に道がないからこそ、道を行なってこれをかえようとしているのに』(微子第十八446) 言うまでもないが、無規範社会から逃れ、人里離れたところで自給自足していれば、本人たちはそれでよいであろう。
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⑧だが、それは 「其の身を潔(いさぎよ)くせんと欲して大倫(たいりん)を乱(みだ)る。君子の仕(つか)うるや、其の義を行わんとするなり、道の行われざるは己(すで)にこれを知れり」(微子第十八467) であって、現実からの逃避は、逆に無規範社会の消極的肯定になってしまう。
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⑨いわば「世俗から超然としているように見える人間は、実は、世俗をそのまま肯定している」結果になるのであり、しかも現実には、孔子の時代ですら完全に社会から断絶して超然としていることはできない。
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⑩まして現代では、「世捨人」のような顔をしているヒッピーなどは、近代化・工業化社会に寄生して生きていながら、それを無視しているような顔をしているだけである。
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⑪このことは神学者のティリッヒが指摘して批判しているから、洋の東西を問わず、昔から今に至るまで、同じような考え方が常に存在していることを示している。 孔子はこの逃避的な発想を容認しない。
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⑫また「人間と無関係に鳥獣と群(むれ)を同じくする」ことは不可能である。 彼らは自然的秩序の中で、自らにインプットされた本能のままに生きている。 人間にはそのような生き方はできない。
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⑬といって「乱におもむき悪に走る」無規範社会を批判し、呪いつつ、実はその中にそのままどっぷりつかって生きているなら、自らもその社会を構成している一人にすぎない。
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⑭その中にいて、なお、人間の相互信頼を回復できる共通の規範を打ち立てようというのが、孔子の生き方であろう。

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