広島教員採用塾さん「学校とは、学びとは、そもそも何なのでしょうか?」のツイート。

3
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

今日のお話です。実は、昨日(水曜日)から明日(金曜日)までは、私、休暇中なのです(微笑)。最近、本当に休みがなかったので、この3日間、お休みをいただいて、海が見えるところで、素敵な友人とオフタイム中です。とは言うものの、愛読者の皆さんのことは忘れていないので、お話しは継続します!

2013-03-07 17:16:18
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

オフタイム中なので(微笑)、今日はゆっくりと、じっくりと、教育や学習の本質について語っていきましょう。またまた、古代ローマや古代ギリシャの時代に遡ってみましょう。学校とは、学びとは、そもそも何なのでしょうか? そんなことを少し考えてみましょう。

2013-03-07 17:18:42
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

学校は英語でスクールと言いますが、スクールの語源をご存知ですか? スクールの語源は、古代ギリシャ語の「スコレー」です。「スコレー」とは、「暇」とか「自由な時間」という意味だったそうです。このスコレーから、英語のschoolやscholar(学者)といった単語が生まれました。

2013-03-07 17:23:12
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

古代ギリシャのポリス(都市国家)の自由市民は労働は全て奴隷たちに任せて、自分たちは言論や政治などに専念していました。自由でたっぷりとある時間を積極的に駆使して、学び、議論し、知を蓄積していきました。それがスコレーなのです。豊かで落ち着いた品格のある知の時間、それがスコレーでした。

2013-03-07 17:25:16
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

学問はあくせくしていてはできません。学問に一番必要なものを一つだけあげるとすれば、それはやはり「時間」だと思われます。たっぷりと時間を使って考察し、実験し、経験しなければ、学びは完成しません。古代ギリシャにおいては、学問は、有り余る時間を享受できる人の特権でした。

2013-03-07 17:27:05
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

時間に追われる学びは、その本質において学問たり得ません。知に時間の制限を課すことは真実の追求を曇らせることになります。古代ギリシャのこの学問の本質は、現代においては随分と忘れ去られています。私たちが生きる現代では、学問は時間によってがんじがらめに縛られています。

2013-03-07 17:28:54
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

学校には時間割があります。45分や50分や90分といった時間単位で学問は教えられます。1年は2学期や3学期に区分されます。宿題には期限があります。レポートにも卒論にも期限があります。学問は時間に従属してしまっているかの感さえあります。

2013-03-07 17:30:19
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

この学問に関する英語で有名な単語として、アカデミックとかアカデミーという言葉がありますよね。academicとは学問的な、academyとは大学に準ずる学校に付けられる名称です。このアカデミーの語源も古代ギリシャです。古代ギリシャ語のアカデメイアから来ています。

2013-03-07 17:32:52
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

教育史を学んだ人ならご存知でしょう。アカデメイアとは、プラトンが創設した学園ですよね。この学園の名前がアカデメイアなので、西洋諸語ではアカデミーやアカデミックが学問を示す言葉になりました。ところで、古代ギリシャ語のアカデメイアのもともとの意味をご存じでしょうか? 

2013-03-07 17:34:26
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

アカデメイアは、もともとは古代ギリシャ語で「快楽」という意味です。自由な時間をゆったりと使い、友と語り、飲み食いを共にし、真理を追究していく、まさにアカデメイアという学園は「快楽」の場所でした。「快楽」こそ学問を生み出す時間であり、空間でした。

2013-03-07 17:36:08
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

もうひとつ古代ギリシャ語起源の言葉をご紹介しますね。英語にシンポジウムという言葉があります。シンポジウムとは現在では、あるテーマを決めて公開討論する形式をさしますが、古代ギリシャや古代ローマでは違います。当時のシンポジウムはシンポジアと呼ばれ、敢えて和訳すれば「饗宴」となります。

2013-03-07 17:38:54
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

「饗宴」つまりは、飲み食いをするパーティーのようなものです。古代ギリシャや古代ローマのシンポジウムは、友人が集まり、長椅子に寝そべって、葡萄酒を飲み、贅沢な食べ物を食べながら、政治談議や哲学談義をする催しのことでした。

2013-03-07 17:40:26
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

飲み食いをしながらの哲学、それも、それぞれの参加者がひとりずつ長椅子にゆったりと横になり、酒を飲み、時には何日もぶっ続けで、飲み、食い、語りあったのでした。それが、今から2,000年以上も前のシンポジウム(饗宴)でした。

2013-03-07 17:42:36
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

古代ギリシャや古代ローマで最高の自由時間に行われていた学問が、現在では、どちらかというと「苦行」のように受け取られているのは残念なことです。これはもしかすると、日本語の「勉強」という言葉にも責任の一端があるのかもしれません。

2013-03-07 17:44:57
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

「勉強」という字は、「勉」も「強」も「無理やりする、させる」という意味を持っています。「勉強」という言葉のニュアンスは「苦労して、歯を食いしばって頑張る」ということなのでしょう。

2013-03-07 17:46:31
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

また、別の日本語の「学習」という言葉を考えてみるのも興味深いかもしれません。「学習」の「学」も「習」も、どちらももともとは、「真似る」という意味なのだそうです。つまり、親や教師の言葉や行動を一生懸命、真似て習得するという意味なのだそうです。

2013-03-07 17:47:59
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

古代ギリシャや古代ローマでは、自由市民がその特権である自由な時間を積極的に駆使して、有意義に楽しみながら、考え、語り合ったのが2,000年前の「哲学的まなび」であったのに対して、現在の日本のまなび観の根底には「苦労して、頑張って、真面目に、自分を抑えて」というのがありそうですね。

2013-03-07 17:50:33
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

別に古代ギリシャ・ローマと現在の日本を比べて、どちらが良いとか悪いとかを結論付けるつもりはありません。ただ、学びの本質をどうとらえるかは、教育において、また、学習において、根本的な問題だと思うのです。

2013-03-07 17:51:37
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

勉強は我慢してするもの、辛いもの、一度は通らなければならない関所、という風に捉えていると、いつまで経っても、勉強は楽しく感じられないでしょう。勉強が避けて通れない苦行であると考えていると、勉強を一生の共にすることは難しいものとなります。

2013-03-07 17:53:36
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

古代ギリシャや古代ローマのように、学問は、最高の自由時間の使い方であり、暇を優雅に使って、友と語らい、真実を追い求め、語りの中に真理を見つけ、先人の知恵をどんどん吸収していこうという考えであれば、学問は楽しく、いつまでもやり続けたいものに感じられるでしょう。

2013-03-07 17:55:15
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

日本人はとかく禁欲的です。勉強する時は、姿勢を正して、飲食などもっての他で、ただひたすら苦労して、頑張れという感じが主流でしょう。暇な時に、ワインを片手に寝そべって、友と語らうことが学問だと思う人は皆無に近いのではないでしょうか。

2013-03-07 18:00:29
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

いわゆる勉学に関してだけではありません。スポーツでも同様でしょう。スポーツ(sport)の元来の意味は、「気晴らし、息抜き」という意味です。自由な時間に、心を豊かにするために、気晴らしで行っていたのがスポーツのもともとの姿でした。

2013-03-07 18:02:18
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

しかし、近代以降、スポーツもスコアや勝敗が最重要になり、スポーツも苦行を乗り越えるといった練習のされ方をすることが多くなっているのは事実です。

2013-03-07 18:04:22
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

古代ギリシャにもオリンピアの祭典があり、これが近代オリンピックの源流となっています。しかし、古代ギリシャのオリンピアの祭典は、あくまでも「祭り」として行われていました。

2013-03-07 18:07:02
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

確かに、勝敗は勝負で決めましたし、そこには厳しい勝ち負けがありましたが、競技者(男性)は全員、全裸で行うという優雅なものでもありました。

2013-03-07 18:07:20