《『福島民報』連載 安全の指標 揺らいだ基準 第3回》

空本氏による小佐古氏の話の続き。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

第二部 安全の指標(8) 揺らいだ基準 採用されない「提言」 | 東日本大震災 | 福島民報 http://t.co/9R5gT15N5n @FKSminpoさんから 前回の続きで、「影の助言チーム」の話。法的にあいまいな組織だったので、提言が内閣に容れられなかった、という趣旨。

2013-03-20 11:09:09
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

1 以下、『福島民報』記事の引用と紹介。 平成23年3月16日朝、東大教授の小佐古敏荘氏は内閣官房参与の辞令を受けた。昼食を挟んで東京・内幸町の東京電力本店で助言チームの初会合が持たれた。(まとめ人注 参与は公表された肩書き。助言チームは「影」の組織。)

2013-03-20 11:11:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2 内閣府原子力委員会の委員長で小佐古に近い近藤駿介氏、東電顧問で原子力委員会委員の尾本彰氏もいた。尾本氏は小佐古氏と東大の同期で国際原子力機関(IAEA)の原子力発電部長を務めた経歴のある専門家だった。

2013-03-20 11:12:36
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3  内閣府原子力安全委員長の班目春樹氏も顔を出したが、わずか数10秒で退席した。内閣との連絡調整役を担っていた民主党の衆院議員の空本誠喜(47)は出席者を書き留めたノートの「班目」の名前を横線で消した。

2013-03-20 11:13:35
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

4 以後、班目は助言チームの会合に出席することはなかった。空本は「安全委への信頼は大きく揺らいでいたから面目がなかったのではないか」と班目が追い込まれた立場を推察した。  2回目以降の会合は原子力委員長の近藤の部屋で開かれることになった。

2013-03-20 11:14:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

5 東電本店に置かれた政府や東電の統合本部に陣取っていた首相補佐官の細野豪志氏や官房副長官の福山哲郎氏らも顔を出した。

2013-03-20 11:14:36
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

6 助言チームは18日時点で、放射性物質の放出量や気象データから拡散状況を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI」を活用し、避難区域の在り方を検討するよう提言した。

2013-03-20 11:15:10
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

7 SPEEDIの存在すら知らない閣僚は少なくなかった。航空機を使った放射線測定なども提言していた。

2013-03-20 11:15:37
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

8  官邸側は原子力安全委員会に状況を問いただしたが、委員長の班目は「活用可能なレベルではない」と慎重な姿勢を示し、SPEEDIはすぐには活用されなかった。予測結果の不正確さや混乱回避などを理由にした。

2013-03-20 11:16:17
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

9  その後、大気中のちりを採取した実測値から放射性物質の放出量の逆算が試みられた。12~23日の積算線量の試算が23日に初めて官邸で配布された。福島第一原発から半径20キロの避難区域の外でも飯舘村など北西方向で帯状に線量が高かったことが判明した。

2013-03-20 11:16:39
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

10 小佐古は内閣官房参与を辞任する直前にまとめた報告書などで、放射性物質の拡散予測が十分に活用されず、住民に無用な被ばくをさせたと指摘している。

2013-03-20 11:17:12
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

11 避難区域の設定をめぐって小佐古らは3月24日、SPEEDIによる予測を踏まえ、20~30キロの屋内退避区域の住民を自主避難させるべきだと提言した。

2013-03-20 11:17:39
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

12 原子力安全委は翌25日、臨時会で「放射性物質の放出が継続すると考えざるを得ず、屋内退避区域のうち線量が高いと考えられる区域に住む住民に対し積極的な自主避難を促すことが望ましい」との見解をまとめるに至った。

2013-03-20 11:18:04
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

13  一方で、30キロ圏外で高線量が計測された飯舘村の立ち入り制限を3月末に提言したが、計画的避難区域となるまでに3週間以上が費やされた。(まとめ人注 大事なこの文で、誰が提言したのか、主語が抜けている。助言チーム?安全委員会?)

2013-03-20 11:20:59
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

14 助言チームは発足した3月16日から2週間余りで、60件以上の提言を官邸や各省庁に出した。空本は「助言チームの法的あいまいさを回避するため」に内閣官房長官の枝野幸男(46)や副長官福山らを通じて各省庁に提言されるよう働き掛けた。

2013-03-20 11:21:43
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

15 だが、多くの提言が採用されなかったり、実現するまでに時間がかかったりした。小佐古氏は空本氏ら周囲に不満を漏らすようになっていた。 (文中の肩書きは当時) 以上引用終り

2013-03-20 11:22:42
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

16 以後、疑問と感想。今日の記事にも、山下俊一氏は登場しない。主役は、小佐古氏。小佐古氏を空本氏の目で見た物語になっている。しかし、今日の記事には空本氏の紹介は一言もない。フルネームも年齢も出てこない。

2013-03-20 11:31:43
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

17 2011年3月16日朝、小佐古氏は内閣官房参与の辞令を受けた。場所は明記されていないが、首相官邸だろう。その午後、東京電力本店で、原子力委員会近藤委員長、同委員の尾本氏らと、影の助言チームの会合を持った。その場には最初原子力安全委員会の斑目委員長も顔を出したが数十秒で退室。

2013-03-20 12:22:20
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

18 以後、斑目氏は、この助言チームから外れた。この記事には、斑目氏が退室した動機を推察する空本氏の言葉が書かれている。つまり、今回の連載のこの部分は、空本氏に対する取材で構成されているのだろう。通常のルポや調査報道なら、情報源の明記は鉄則だが、そういう常識がないのだろう。

2013-03-20 12:27:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

19 2回目以降は、原子力委員会の近藤委員長の部屋で「影の助言チーム」の開催されたことになったと記述されている。細野豪志首相補佐官や福山哲郎官房副長官も顔を出したと。これのどこが「影の助言チーム」なのだろう?税金から給与が支出されている公的な人間の集まりではないか?

2013-03-20 12:38:11
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

20 しかし、この集会が「影の助言チーム」たるゆえんは、ここに名前や肩書きが記されていないメンバーが「影の助言」しかできないメンバーとして参加しているから、なのだろう。ここでSPEEDIの活用や航空機を利用した放射線測定も提言した、という。航空機利用の測定は実施されたはずだが。

2013-03-20 12:55:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

21 「影の助言チーム」が出した提言を、斑目委員長以下の原子力安全委員会が否定し、採用されなかった、という形を繰り返している。が、そのあとで、「影の助言チーム」による積算線量の試算が出され、原発北西方向で20キロ以遠で「住民に無用な被曝をさせた」と提言を出したことを書いている。

2013-03-20 13:01:43
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

22 小佐古氏らは2011年3月24日、「20~30キロの屋内退避区域の住民を自主避難させるべきだ」と提言した。原子力安全委員会も25日、同じ趣旨の提言をまとめた。記事には出ていないが、枝野官房長官も「30キロ圏内の住民は自主避難してほしい」と会見で発言した。

2013-03-20 13:05:18
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

23 さらに記事から離れるが、3月25日の「自主避難要請」に対して、福島県庁と、該当する地域を含む飯舘村長と南相馬市長は反感を表明し、その範囲に残る人への積極的支援を要望した。マスコミは概ね、「自主避難要請」に否定的だった。

2013-03-20 13:10:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

24 「影の助言チーム」が提言したのだろうが、飯舘村の立ち入り制限を3月末に提言したと記述されている。「計画的避難区域となるまでに3週間以上が費やされた。」と書いてあるが、3週間後に決まったのは、「計画的避難区域の設定」で、実際の避難完了は、7月だった。

2013-03-20 13:13:13