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我乱堂 @SagamiNoriaki
北辰一刀流が復元…という話をTLで見かけたけど、幕末でかなり盛んだった流派でも今ではそういう扱いになってるというのに無常を感じる…明治維新からこっち、武道、特に剣術には逆風が強いからなあ…新当流とか新陰流とか示現流とか、江戸初期の流派が今も残っているのは、奇跡にも似ているよな
みんみんぜみ @inuchochin
まあ、その伝書書いた師範の系統を復元、て話ですよね。北辰一刀流は水戸藩のものは切組が残ってますし、まだ他にもあるという話も。 RT @SagamiNoriaki: 北辰一刀流が復元…という話をTLで見かけたけど、幕末でかなり盛んだった流派でも今ではそういう扱いになっ
我乱堂 @SagamiNoriaki
どっちにしても、音に聞こえた大流派が、という感じではあります。他の神道無念流、鏡心明智流、心形刀流、直心影流…いずれも… RT @inuchochin: まあ、その伝書書いた師範の系統を復元、て話ですよね。北辰一刀流は水戸藩のものは切組が残ってますし、まだ他にもあるという話も
みんみんぜみ @inuchochin
まあ、それらはみんな形より撃剣主体ですから、当然の成り行きですよね。そもそも神道無念流は形が十数本だし男谷派直心影流にいたっては形は捨てたみたいですから。 RT @SagamiNoriaki: どっちにしても、音に聞こえた大流派が、という感じではあります。他の神道無念流、鏡心明智
みんみんぜみ @inuchochin
武道学会なんかの論文や引用されてる資料読むと、幕末には試合主体の流派ではかなり流儀間の試合技術が共通化されてたらしいし、ましてや全国規模の武徳会が出来て、全国から有名流儀の子弟が集まって学んだりしてたんだから流儀の特徴が無くなって当たり前。
みんみんぜみ @inuchochin
試合での流儀の特徴が無くなれば、形と試合が直結せず、流儀の形の意味も薄くなって伝承する意味も小さくなるし、せいぜい同門間の精神的な象徴やセレモニー的な演武用の形になってしまう。そうしたら門下生が形を稽古する情熱も弱くなるよね
みんみんぜみ @inuchochin
例えば、全国統一ルールの試合があって、それがそれなりに武術的意味があると考えられ、その価値観で実力があれば社会的にも認められ食い扶持に繋がるとすると、試合と違う価値観で出来ている形を稽古するのに多くの時間を費やすのは勿体無いと感じる。
みんみんぜみ @inuchochin
某地方の武徳会師範は東軍流免許皆伝で、多くの弟子を育てたけど誰も形を習ってない。ある馬庭念流の道場では普段は武徳会剣道形と竹刀稽古をしていて、師範クラスだけが念流の形を知っていた。栃木の某道場は平常無敵流系統の道場だったけど、竹刀稽古だけになり極意の形五本だけ残した。
みんみんぜみ @inuchochin
そういう例は私が資料を見たり聞いたりした限りでもたくさんある。大正頃の武徳会の名簿みたいなものをみると、戦後活躍した剣道家の人でも流派名を名乗ってる。ところがその人らの弟子になると形や流派について知らない人ばかりになってる。
我乱堂 @SagamiNoriaki
土佐の無外流の坂本土佐海師範なんかも、『剣と人』の推薦文みたいなの弟子が書いてるんだけど、演武会の前には居合の稽古してたけど、無外流の形は知らないから、英信流のそれを使ってたとか普通に書かれてたものなあ。坂本師範も師匠から形は教えてくれなかったらしい。
我乱堂 @SagamiNoriaki
徳島のある剣道家の自伝を読むと、学校で貫心流居合の免許を先生にもらったけど、口伝と巻物はいただいたが、その巻物に何が書いてあるのかはずーっと後になるまで解んなかった、なんて話がある。まあこれらは以前にもツイートしたけど、明治大正の教伝事情はだいたいこんな感じだったみたいねー
みんみんぜみ @inuchochin
大正頃の流派を名乗ってる人もたしかに形を稽古したり免許貰ったりしていても、修行の主体は竹刀稽古や乱取の場合が多かったり、形を習っていたのは十代の時だけだったりした例も多いようです。そういう人にとっ技の説明にしろ流派の理合で説明するより武徳会式の方がし易いのもあったのかも。
みんみんぜみ @inuchochin
ある古流の人で、武徳会でも修行した人がある時、その流派純粋の人と形を合わせたら、「流派道場だけの人は形の出来が違う、真似出来ない」という感想をもった話もあります。試合の実力はともかく、流派の動きに限れば剣道柔道合気道の人が古流の形をやれば動きの風格がそれになるのはよく見ます。
みんみんぜみ @inuchochin
http://t.co/ftGYiXxJeP 理心流に入門お願いしたら「剣道三段とったらいらっしゃい」と言われた話があるけど、熱意チェックとか、体良く追払われた、とかじゃなく、本気で言ってるとすると「流派の基礎は無いです。中身は剣道と同じです」と言ってるのと同じじゃないか?
みんみんぜみ @inuchochin
@SagamiNoriaki あったみたいですが、書いた通り一般門人が古流形を熱心にやるメリットが全く無い上に「私がやらなくても他の師範が…」と考えていた臭いです。免許者がたくさんいたのも悪い方に働いたんでしょうね
にゃる@ネクロマンティック @nyarl_nyarl
古流剣術を学ぶのに剣道三段が必要な理由を考えてみる。まず三段が取れるレベルなら、剣道とは違う技術だということを十分に理解出来るはず。次に、人と打ち合うことが日常茶飯事で、恐怖が大幅に減っているはず。また、練習環境に恵まれた剣道なら、古流の道場がカバーしにくい、(続く)
にゃる@ネクロマンティック @nyarl_nyarl
単純に人と競い、争うという経験の量を十分満たせるだろう。また、三段ともなれば、量産型を越え、技術について考える習慣を持つだろう。そして、それなり以上の技術の相手と戦うことで、「気配、雰囲気、打ち気、殺気、心、などなど」といった非言語の領域こそ、技術が構築・展開される(続く)
にゃる@ネクロマンティック @nyarl_nyarl
領域だということがはらわたで理解出来るはず、というあたりだろうか。太気拳の澤井健一も、初期は空手や柔道をそれなりにやり込んだ者しか弟子にしなかったそうだし。
にゃる@ネクロマンティック @nyarl_nyarl
あと中国武術でいうなら、門派を代表する達人は、他派からの転向者が多かったような。あるいは、複数の門派をマスターしてたり。一門派だけの純粋培養の達人はあまり思いつかない。
ちていのき @baritsu
柔術の本だと流派を名乗り、自流の形を解説しつつ、同時に載せている乱取技が次第に講道館流になっていく様子が垣間見えますね。乱取でも対等にいける→やっぱ敵わないかな、になって古流らしさを改めて打ち出していったのかしらと RT @inuchochin: @SagamiNoriaki
みんみんぜみ @inuchochin
理想的はそうなんですよね。ただ、この場合剣道三段を要求する古流師範は本業が剣道の師範というのが多いんです。なので中国武術の例といささか話が変わって来ます。 RT @nyarl_nyarl: 古流剣術を学ぶのに剣(略)練習環境に恵まれた剣道なら、古流の道場がカバーしにくい、(続く)
みんみんぜみ @inuchochin
剣道の高段者じゃないと形を教えない、と言ってる流派は昭和の天然理心流、今はわからないけど戸ヶ崎流(神道無念流)、以前は北辰一刀流もそうだったとか。どこも剣道主体でやってるところ。
みんみんぜみ @inuchochin
元は組太刀で学びながら竹刀打をやってたんだろうけど、各流派の交流で竹刀稽古自体の基本や稽古法が完成して、それだけで独立したわけだから竹刀稽古が主、形や組太刀が従になったり、どこかの道場みたいに「古流の形は剣道の極意を表すから高段者になってからやるべき」という考えになるんだろうかな
みんみんぜみ @inuchochin
私は剣道は剣術と別物、みたいな言説には賛同できないけど、剣道が高段者になれば古流の形が理解出来るとは思えない。剣道の先生が自分の考えからか、形に改変してる例も見たことある。たしかに剣道的にはその改変がいいんだろうけど伝書や先師の記述、何より先代の演武と全然違うのはいいんだろうか。
みんみんぜみ @inuchochin
話がそれたけど、剣道◯段が条件、というところは古流を修行の主体にしていない印象がある。神道無念流、天然理心流や北辰一刀流も古流を主体にしているところは条件出して無いし。もちろん例外はあるだろうけど。
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