「チェルノブイリいのちの記録」(菅谷昭)読書録
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「チェルノブイリいのちの記録」(菅谷昭著)をいくつか抜粋します。菅谷昭医師は1991年に初めてベラルーシを訪問し、1996年1月から本格的に滞在して5年ほど医療支援(甲状腺腫瘍診療)を行いました。 #チェルいのち
2013-03-17 09:19:41#チェルいのち はじめに:初めてベラルーシ共和国の汚染地を訪れたのは、1991年の3月下旬だった。以後、現地において小児の甲状腺検診を実施したり、首都ミンスクにある国立甲状腺がんセンターをたびたび視察した。
2013-03-23 01:59:48#チェルいのち 劣悪な医療環境下で理不尽な手術を受ける子どもたち。しかも、手術手技に問題があることを知るにつけ、甲状腺外科医として「これは何とかしなければ」との思いが次第に募ってきた。そして熟慮を重ねた末、ベラルーシに長期滞在することを決意し、…信州大学を退職したのである。
2013-03-23 02:01:57#チェルいのち 1996.1.22 午前10時半、ユーリー・デミチク医師(腫瘍外科医。93年9月から二ヶ月間、信州大学で一般外科の研修をした)とともに、私の医療支援活動の拠点となる国立甲状腺ガンセンター(チェルノブイリ事故後、ミンスク市立腫瘍病院内に併設された)へ出かけた。
2013-03-19 20:22:42#チェルいのち 1996.2.21 ミンスクでの生活を開始して以来、ちょうど一ヶ月が経過。予想以上に順調な毎日。デミチク教授より、早くも手術執刀の許可がおりた。21歳の青年の甲状腺腫瘍に対し、日本式のスタイルで甲状腺切除術を行った。がんセンターにおける記念すべき第一例である。
2013-03-17 09:24:47#チェルいのち 1996.3.3 夕方、チェルノブイリ事故に関する科学的支援活動を勢力的に継続している京都大学原子炉実験所の今中哲二氏と、ミンスク在住の二人の共同研究者が私のアパートを訪れた。彼らはウォッカを飲みながら,興味深い様々な話を語ってくれた。
2013-03-17 09:28:04#チェルいのち 1996.3.3 私は彼に「今年は事故10年目に当たるが、ベラルーシ政府の事故対策の取り組み姿勢はどうなっているのか?」と尋ねた。すると、マリコ氏は歯に衣着せぬ勢いで「今の我が国においては、チェルノブイリは四番目の問題だよ」とあっさり言ってのけた。
2013-03-17 09:31:24#チェルいのち 1996.3.3 第一番目は、低迷する経済不況。(略)第二番目は、新ベラルーシ人(ニューリッチ)の登場。つまり、違法好意やブラックマーケットに寄って金を稼ぐ人々。彼らの90%はマフィアがらみである。第三番目は、凶悪犯罪の急激な増加。
2013-03-17 09:35:03ユーリー・デミチク教授による健康被害状況概説
#チェルいのち 1996.9.4 日本の医薬品業界欧州視察団の一行がセンターを訪問。デミチク教授はこの視察団のために、チェルノブイリ事故後の小児甲状腺ガンの現状に関する特別の説明会を設けてくれた。そこではかなり詳細なデータが語られた。
2013-03-17 09:37:12#チェルいのち 1996.9.4 視察団とデミチク教授とのやり取りのいくつかを記録しておく。
2013-03-17 09:38:49#チェルいのち 1996.9.4 「甲状腺定期検診の現状は?」 たいへん重要な問題である。検診ではとくに超音波診断が不可欠である。しかし地方の多くの医療施設では、この診断装置が備わっていないので、苦労している。現在は年一回の住民検診が実施されているが、できれば半年毎が望ましい。
2013-03-17 09:41:10#チェルいのち 1996.9.4 小児甲状腺ガンはすべて当センターで治療しているが、1センチ以下の小さなガンでも頸部リンパ節への転移や、肺への転移が認められた症例もあった。やはり、早期発見,早期治療が大切だ。
2013-03-17 09:42:30#チェルいのち 1996.9.4 「今後のガン発生の予測は?」 事故当時、ウクライナ共和国に隣接するゴメリ州には30万人、ブレスト州には20万人の子どもが住んでいた。今後10〜20年の間に、この集団の中からさらに甲状腺ガンが発生して来るものと推測している。
2013-03-17 09:44:21#チェルいのち 1996.9.4 事故後、現在までに約500名の小児が等センターで手術を受けている。甲状腺以外にも、セシウムやストロンチウム、プルトニウムなどによる臓器の発がんの問題が依然として残されている。汚染地の土壌中には、まだ高濃度のセシウムが検出される。
2013-03-17 09:46:23#チェルいのち 1996.9.4 「現在治療中、あるいは術後経過観察中の小児の心理的問題は?」 臨床心理面でのリハビリテーションが極めて重要と考えている。専門家によるケアが不可欠だ。子どもたちももちろんだが、両親の精神的苦痛、とくに母親の持続性苦悩は深刻である。
2013-03-17 09:48:03#チェルいのち 1996.9.4 (原発事故の対策について)デミチク教授は「日本はこの事故の教訓をもっと生かすよう努力すべきだ」と口にしたことがある。私も「その通り。これは政府を含めた日本人の怠慢です」と答えた。
2013-03-17 09:49:59
#チェルいのち 1996.10.2 ヴィクターの部屋でコーヒーを飲み、小児甲状腺ガンの再手術症例の問題点について意見を交換した。結論として、私も彼も同じ考えだった。つまり、初回の手術において頸部所属リンパ節の郭清術が不充分なのだろう、とヴィクターも私も推測している。
2013-03-17 09:53:40#チェルいのち 1996.11.7 甲状腺ガンの外科的治療のポイントは、1根治性の高い、必要にして充分な手術様式の選択、2手術に伴う術語合併症の回避(解剖学的手術の習熟)、3美容への配慮、この三点に集約できる。
2013-03-17 09:56:10#チェルいのち 1996.11.13 ここにきて、ようやく日本からの支援グループによる医療機器や機材などの援助物資が、医療現場に顔を見せ始めた。物資到着から使用開始までに、とにかく時間がかかる。今日は病棟で使う吸入器が入った。これは甲状腺の手術後には非常に有用である。
2013-03-17 09:58:12#チェルいのち 1997.6.18 今日は四例の手術が行われた。一例目は14歳の少女で、小さな良性腫瘍であった。手術が終了し麻酔から醒めると、少女は突然声をあげて泣き出した。その理由は、ボーイフレンドが彼女の首の創を見て、「さよなら」と去って行ってしまうことが切ないというのだ。
2013-03-17 10:03:25#チェルいのち 1997.6.18 私にもそのやり切れない気持ちがよく理解できる。この子に限って言うならば、いますぐ手術をするのではなく、当分の間、定期的に経過を観察しても良いのでは……と私は考えていた。
2013-03-17 10:05:30#チェルいのち 1997.6.18 しかし、病棟医たちから、万が一見逃したらどうするのだと言われれば、手術以外に方法はない。このセンターの診断能力の問題もあるが、まことに残念至極なり。結果論であるが、今回は経過観察で十分であった。
2013-03-17 10:06:55#チェルいのち 1997.9.25 子どもの甲状腺ガンが減ってきている。ヴィクターによると、7月から8月にかけて、センターで手術した甲状腺ガンはわずか二例とのこと。たいへん喜ばしい展開だ。とはいうものの、このところ小児や15歳を超えた若年齢者の入院が再び増加している。
2013-03-17 10:09:08