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山本七平bot @yamamoto7hei
①【『論語」は、あらゆる教育の聖書(バイブル)である】…「人は教育によって善とも悪ともなるのであって、人間の種類に善・悪があるわけではない」 「子曰く、教(おしえ)有りて類(るい)無し」(衛霊公第十五147)<『論語の読み方』
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②これは、たいへんにおもしろい言葉で、 「善玉・悪玉」とか「善人・悪人」という区別をしない という点では、新約聖書とある種の共通性を持っている。 孔子はそれを一(いつ)に教育によると考えた。
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③だが、この「有教無類」とは、孔子が「人間とは能力・資質全て無差別で平等だ」といったという事ではない。 …孔子のこの言葉が日本にどの様な影響を与えたかを考えてみよう。 日本人は大体において、教育によって人は善くも悪くもなると考えており、この考え方は徳川時代に深く広く浸透した。
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④徳川時代には「識字率五割」…同世代の最高水準と思われる程教育が普及したが、この背後には「有教無類」があったであろう。 と同時に儒教は「生涯教育」であり「秘伝を授ける」とか「奥義を伝授する」とかいった考え方、同時に「それで卒業」という考え方がなかった事も影響していると思われる。
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⑤これが神道などと違う点だということを、山崎闇斎(江戸前期の儒者)の弟子の佐藤直方は…述べている。 …これが後に、神道に凝った闇斎から直方が破門される一原因となる。
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⑥というのは、神道の「秘伝の伝授」を受けた者が、学問では劣っても上座につくことになり 「直方先生云(う)、今日アホウモノガ大分上座シテイタト」 という結果になる。 事実、「伝授」でその評価が確定するのはおかしい。
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⑦「芽を出しても花が咲かず、花が咲いても実を結ばぬものもある」 …からである。 これは儒学から見れば「学問的序列」を乱すことであり、直方には耐えがたいことであっただろう。 こういう点、孔子の教育は近代的で「秘伝の伝授」といった神秘的要素はまったくない。
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⑧孔子にとって「学」とはそのようなものでなく 「学は及ばざるが如くするも、なおこれを失わんことを恐る」 …で…一心不乱に追いかけても、学ぶところを見失いがちのものなのである。
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①【『論語』に能力平等主義の思想はない】…このリアリズムは当然 「人間全員資質能力平等」 というあり得ない事を、あると信ずる″空想主義″をも排除する。 人間には「才・不才」がある。 しかし「才・不才」は「徳・不徳」ではない。 「才あって徳なし」という人間は勿論存在する。
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②しかし大部分の人間は、天才でもなければ不徳義漢でもない。 そう見ることは、現実をそのまま見ることであっても、上記のような″空想主義″ではない。 この二つは一見似ているようだが、実はまったく違う。<『論語の読み方』
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③と同時に孔子は決して教育は一律であってよいとはしていない。 これは弟子に対する教育にはっきりと現われている。こういう点にも孔子が決して「人間全員資質能力平等」とは見ていなかった事が現われている。 優れてリアリストであった彼がそんな空想的な見方をしなかった事は言うまでもない。
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④そこで孔子が、以上のような点では、人間は同じではないが、似たりよったりで 「人間の天性は大体同じだが、習うことで善悪賢愚の差が大きくなる」 …と考えても不思議ではない。 そこで学ぼうとする者にはだれにでも教えようとし、絶対に差別はしなかった。
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⑤【弟子は区別し「一律平等教育」は行なわず】…だが、この「有教無類」は前述のように「一律平等教育」だという事ではない。 孔子の弟子には様々な人がおり孔子はその一人ひとりをよく見ていた。 …相手に応じてそれぞれに教える事が孔子の教育であった。 これが本当の平等教育であろう。
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⑥そこでそれぞれの特徴に従って教育するから、極端な例を挙げると、孔子は弟子によってまったく反対のことを言っている場合がある。 …公西華が不思議に思って孔子にたずねた。
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⑦「由(子路)が、聞いて納得したら即時実行してよろしいでしょうかとたずねると、先生は、父兄がいるではないかとこれを制止され、求(冉有(ぜんゆう))が同じことを聞くと、聞いて納得したらすぐ行なえ、と言われました。 私にはこの理由がわかりませんので、あえておたずねします」と。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑧「『求(冉有)は引っ込み思案だから激励したのだ。由(子路)はすぐ出しゃばるから、これを牽制したまでだよ』と」 いわば、各人にちょうどいい靴を与えるのが平等であって、靴を固定して、昔の日本軍のように「靴に足を合わせろ」は平等ではない。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑬いまの日本の平等教育なるものは、孔子から見れば、ひどい不平等教育であろう。 …さらに、それが受験勉強の押しつけとなると、これはもう教育の部類に入らない。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑭孔子の教育は「啓発教育」であった。 …だが、この「啓発」ができるには、弟子のひとりひとりの特性を知って、正しくこれに対応することが必要であろう。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑮…だが「教える」ということが一面、ひじょうに危険であることを孔子は知っていた。 一歩誤れば、教えに乗って自分を売り出すことになってしまうからである。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑯「人間は努力して正義の道を拡充しなければならない。 どうかすると人間は、正義の道に乗りかかって自分の名を売り拡めようとする」(宮崎市定訳)… 自戒すべき事であろう。 正義を売りものにしたり、正義や知識によって自分を売り出そうとする、 それをやればもうお終いである。

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