じこぼう氏の三信鉄道(現・飯田線)の話

私的な記録を兼ねてまとめました。何らかの宣伝・主張を意図したものではありません。
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じこぼう @kinkuma0327

大した地場産業もなく過疎化と高齢化が進み、いまや廃村寸前のぼくの「ふるさと」には、ひとつだけ巨大な歴史的建造物がある。1938年、戦時中に建設されたダムである。当時、軍事産業が集中する名古屋に電気を供給するために作られたものであり、天竜川に設けられたダムとしては最大級のものだ。

2013-03-24 08:45:48
じこぼう @kinkuma0327

昨日、地元についてツイートした際に三信鉄道(現飯田線)の話をしたけど、その工事に際し一番の難所といわれていたのが「天竜峡ー三河川合」の区間だという。この区間は、トンネルが171ケ所(全線の46%)、橋梁も97ケ所(全線の6%)。平地の部分はほとんどない。まさに、難所中の難所だ。

2013-03-25 23:03:33
じこぼう @kinkuma0327

韓国併合前後、朝鮮人労働者の渡航が拡大し、長野県内でも1919年に大桑発電所工事に、朝鮮人労働者が集団で就労したのを皮切りに、多くの朝鮮人労働者が就労した。ぼくの出身地である南信でも、三信鉄道、泰阜ダム、平岡ダムなどの工事に多くの朝鮮人が就労、あるいは強制徴用されたという。

2013-03-25 23:04:45
じこぼう @kinkuma0327

三信鉄道会社は、三信鉄道開発の当初から資金不足に苦しんでいて、工事の途中からは賃金の未払いなどの事態も生じ、1930年には、朝鮮人労働者がストライキに入ったこともあった。「三信争議」と呼ばれているそうだが、これには警察が介入し、検束されたり、拷問を受けた者もいたという。

2013-03-25 23:05:39
じこぼう @kinkuma0327

三信鉄道の工事は、困難を極めたという。中でも、満島ー小和田間は、全線中最も困難を極めた区間であったという(ちなみに、「満島」は現在の平岡駅で、ぼくが生まれた地である。小和田駅は、皇太子の結婚が決まった際に、雅子妃の旧姓と掛けて、縁結びの駅として話題になった駅である)。

2013-03-25 23:06:49
じこぼう @kinkuma0327

平岡ー小和田間は、ぼくが高校通学に飯田線を使っていた時も、しばしば不通になっていたが、工事の際にも絶えず地滑りが起こり、その度に工事は中断された。これらの危険な工事を実際に担っていたのも、多くの朝鮮人労働者だったという。最盛期には5千人ほどの朝鮮人労働者が、長野県にいたそうだ。

2013-03-25 23:07:55
じこぼう @kinkuma0327

三信鉄道、泰阜ダム、平岡ダムといった公共事業の中で、どれだけの朝鮮人の人夫が亡くなったかは、よくわかっていないという。平岡ダムに関しては1500人を超える「脱走者」が報告されているが、脱走者とされている中にも、工事や過酷な環境の中で亡くなった人が相当含まれるかもしれない。

2013-03-25 23:10:21
じこぼう @kinkuma0327

三信鉄道についてはこの論文が詳しいです。 http://t.co/KTE6dMZqte (pdfにつき注意) 平岡ダムについては、こちらが詳しい。 http://t.co/43tX6VNiQT

2013-03-25 23:28:24