戦前唯一の選挙無効判決、その裏側

島の人Part2さんによる当時の大審院判事「吉田久」の判決に向けての動きについての連続ツイートをまとめました。 一票の格差問題の裁判自体色々な意見があるとは思いますが、こういったことがかつてあったということは知っておいても良いのではないでしょうか。
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島の人Part2 @simasyodes

広島や岡山で「一票の格差」で戦後初の選挙無効の判決が出て話題になってるので今日は戦前唯一の選挙無効判決を下った裁判の話をしてみたい

2013-03-27 19:03:26
島の人Part2 @simasyodes

昭和20年3月1日 大審院(現在だと最高裁)である判決が下ります。

2013-03-27 19:20:08
島の人Part2 @simasyodes

主文 昭和十七年四月三十日施行セラレタ鹿児島県第二区於ケル衆議院議員ノ選挙ハ之ヲ無効トス 訴訟費用ハ被告ノ負担トス

2013-03-27 19:20:38
島の人Part2 @simasyodes

昭和16年に始まった太平洋戦争の日本の戦局はすでに末期であり終戦まで後5ヶ月東京が焦土と化した東京大空襲まで後9日の出来事でこの裁判は昭和17年に行われた衆議院議員選挙鹿児島第二区の選挙のやり直しを求めた裁判でした。

2013-03-27 19:21:45
島の人Part2 @simasyodes

大正14年に普通選挙法成立により今までは一定の税金を納めないといけなかった選挙権が25歳以上の男子全員に与えられ昭和3年の衆議院議員選挙が初の国政選挙になりました。

2013-03-27 19:23:47
島の人Part2 @simasyodes

有権者が300万人から1200万に増えたことで小選挙区制から中選挙区制に変わっています。(平成5年に現在の小選挙区に戻る)昭和16年4月衆議院は任期満了を迎えますが日中戦争中だった事を理由に当時の近衛文麿内閣は任期を一年延長します。

2013-03-27 19:24:50
島の人Part2 @simasyodes

しかし昭和15年8月には政党はすでに解散しており大政翼賛会が組織されていました。大政翼賛会とは簡単に言えば内閣と議会が一緒に活動する状態で三権分立の「立法」と「行政」が合体している形です。

2013-03-27 19:25:54
島の人Part2 @simasyodes

戦時下で軍部や政府は議会で議員が「反対」する状態をなくしたかったわけで当然、反発する議員もいましたが軍部の力や‘当時も’既存の政党への国民の不信感等があり新体制運動と呼ばれた近衛らの活動で政党は最終的に全て解散してしまいました。

2013-03-27 19:27:33
島の人Part2 @simasyodes

大政翼賛会により与党も野党ない衆議院が誕生し、その議席を争う選挙が昭和17年の衆議院議員選挙でした。前年に太平洋戦争が開戦しており全国民が戦争に傾く状況で「聖戦遂行」を目的とした議会運営を望んだ軍部や政府の思惑が色濃く出た選挙でした。

2013-03-27 19:28:44
島の人Part2 @simasyodes

いわゆる「翼賛選挙」と呼ばれています。定数466人に対して1719人が立候補しています。すでに政党はないですが翼賛政体制協議会「翼協」という全国組織があり(表面上は民間組織という形にした)立候補者466人を「推薦候補」として掲げました。

2013-03-27 19:29:56
島の人Part2 @simasyodes

もちろんこの推薦がなくても立候補はできました。しかしこの推薦がない候補者は非推薦候補として不利な面が多かったのです。演説会を開けば警察が介入し、投票しないように呼び掛けたり役場が候補者のポスターや看板を勝手に没収したりしました。

2013-03-27 19:31:42
島の人Part2 @simasyodes

政府は推薦候補には選挙費用まで渡して非推薦候補を落選させようと工作していました。昭和17年4月30日投票日投票率は前回を上回る83・1%で推薦候補は381名が当選し、非推薦候補は85名が当選しています。

2013-03-27 19:36:09
島の人Part2 @simasyodes

8割が推薦候補であり議会を賛成派で抑える政府の目論見は成功しました・・・そんな中で落選した非推薦候補達が声を上げます。その1人が鹿児島第二区の候補者冨吉栄二です。(戦後、芦田均内閣で逓信大臣)

2013-03-27 19:36:28
島の人Part2 @simasyodes

労働や農業問題の専門で演説のうまさから人気がありました。選挙期間中、冨吉が演説会を開くと翼協の活動家が聴衆を足止めして演説会を妨害したり、警察は「冨吉に投票する者は非国民である」と‘注意’している。

2013-03-27 19:38:07
島の人Part2 @simasyodes

二度当選して前回はトップ当選だった冨吉はこの選挙妨害によって落選(17000票→2600票に減る)鹿児島二区は全て推薦候補が当選していました。不当な介入があったとして冨吉は選挙のやり直しを求めました。

2013-03-27 19:39:22
島の人Part2 @simasyodes

地元の名士である警察署長、町長、青年団長、校長、鹿児島県知事(当時は選挙はなく内務省から派遣された役人)までが冨吉への投票をやめるように活動していました。「冨吉に投票したら逮捕される」「冨吉に投票したら配給を止める」と言われた者もいました。

2013-03-27 19:41:02
島の人Part2 @simasyodes

当時の選挙やり直しの裁判は一審制で東京の大審院への提訴のみでした。翌月30日間の申立て期限ギリギリの5月29日に遂に冨吉は大審院民事部へ提訴しました。担当判事は吉田久こうして裁判は始まった。

2013-03-27 19:42:20
島の人Part2 @simasyodes

裁判の話に入る前に非推薦候補の人達がどのような介入をうけていたか見ていきましょう。

2013-03-27 19:44:16
島の人Part2 @simasyodes

戦後、自民党の金権政治批判から「クリーン三木」として首相になった三木武夫は警察の介入をうけていました。

2013-03-27 19:45:00
島の人Part2 @simasyodes

「嘘の召喚状というのが来る。『何月何日、何々署に出頭すべし』と印刷した葉書なんです。 それがぼくに投票しそうな有権者のところに来る。それでその日時に警察に行くと、呼んだ覚えはないと言うんです。(中略)

2013-03-27 19:45:47
島の人Part2 @simasyodes

それが大量に来るんですよ。しかも各地でね。当時の警察というのは、今と違って怖かったですよ。『おいこら』の時代ですから。そこから召喚状が来るものだから、だれだってもう『この選挙にはたずさわれない』という気持ちにさせられたでしょうね」(『昭和史探訪C』)

2013-03-27 19:46:51
島の人Part2 @simasyodes

また「趣味田中角栄」と揶揄され自民党副総裁等を歴任した田中派の重鎮二階堂進は当時まだ珍しい米国滞在の経験があった。

2013-03-27 19:47:35
島の人Part2 @simasyodes

二階堂は冨吉と同じ鹿児島で妨害をうけていました。「ただでさえ自由候補(非推薦候補)は国賊よばわりされていたうえに、今度は『アメリカ帰りのスパイ』とか『共産党員』といったデマまで加わった」

2013-03-27 19:48:34
島の人Part2 @simasyodes

「翼賛会の人が演壇にかけ登って『今しゃべった二階堂はアメリカ帰りのスパイである。このような人に投票する者には・・・』と聴衆を脅迫するようなことを言った。」(『己を尽くし-私の履歴書』)

2013-03-27 19:49:23
島の人Part2 @simasyodes

このような妨害や介入は全国的ではないものの各地で行われていました。この裁判を担当した吉田久が当時住んでいた東京北区滝野川の東京府六区は非推薦候補の赤尾敏(戦後大日本愛国党を結成し、辻説法と呼ばれた街頭演説が有名な右翼活動家)が当選している。

2013-03-27 19:50:18
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