福島共同診療所報告会

Akira Tsuboiさんの、2013年3月10日、福島共同診療所の報告会の書き起こしをまとめさせていただきました。私が理解しやすいようにと、実際のツイート順を一箇所編集させていただいた失礼をお許し下さい。
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Akira Tsuboi @1876to1945

2013年3月10日、福島共同診療所の報告会に参加した。この時の見聞をすこしず忘備録をかねて呟いてゆくが、甲状腺の状態について実際に診療した医師からの発言を重要と思われるのでここでおおまかに書いておく。元国立がんサンター放射線診療医科長の松江寛人氏、杉井吉彦氏の発言。―

2013-03-13 15:44:22
Akira Tsuboi @1876to1945

-福島診療所は、2011年8月の広島平和式典で、福島の市民と向陽第一診療所の医師が出会ったからことから始まっている。医師はこう言ったそうだ。「これから福島も広島と同じように国との長い戦いになるでしょう。国は病態を隠そうとするはずです。病態をちゃんと残してゆかないといけません」-

2013-03-22 11:54:17
Akira Tsuboi @1876to1945

-福島の市民は医師に、市民カンパによる正当な医療からの被曝診療を目的とした診療所の建設への協力を打診した。医師は快く応じた。中核派と共産党は主導権争いをほぼ修復不可能なレベルまでこじらせ、現在に至っている。-

2013-03-22 12:13:10
Akira Tsuboi @1876to1945

-被曝から逃れる、ただこの目的が一つ同じようにしてあるのだが、その関係性がふとしたおりに露出する。隣の伊豆の一行がそうした外部からすると不可解な対立にぶつかる前に協調が図られればいいのだが。自分は言葉にしなかったが彼等の前途を案じた。と、会場に建設委員の方が入ってきた-

2013-03-22 12:17:41
Akira Tsuboi @1876to1945

福島行-司会に促されて皆の前に一人の女性が出てきた。福島市で有機、自然農法を長年やってきた女性だった。彼女の農法は農薬も使わず、土を耕すこともしないという独特のもので、震災以前には多くの研修の者が彼女の元を訪れていた。文科省の役人との折衝で汚染された土を差し出した女性だった-

2013-03-23 10:43:06
Akira Tsuboi @1876to1945

-彼女の環境への意識は3.11以前からのもので、震災の前の段階で彼女は東京に居る知人にもし原発で事故があった場合、彼女のこども預かったもらう手筈を整えていた。その手筈の通り、彼女はごく早い段階でこどもを東京に逃していたことを聞いていた。その彼女が話し始めた。―

2013-03-23 10:45:24
Akira Tsuboi @1876to1945

-建設計画から一年で福島共同診療所が立ち上がったことからはじめて、彼女は建設までの経緯を語り始めた。「まず子供を逃さなきゃいけない、そう私も思って疎開活動に関わってきました。で、戦中の疎開のことを調べたんです。縁故のあるこどもは縁故を頼って、ない子は先生が引率して疎開した-」-

2013-03-23 10:49:31
Akira Tsuboi @1876to1945

-「でも、あまりにも小さくて親から離せないこどもが一割いたんです。その一割は結局、空襲で命を落としたということがあったんですね。私としてはその一割ももらさない、どう救うか、病気にさせないことが必要だと思ったんです。今、現実として福島から逃げた子供は一割いるかいないかです-

2013-03-23 10:55:55
Akira Tsuboi @1876to1945

-診療所建設のことを疎開に携わられているお医者さんに話したら、「こどもを逃がすのが第一でしょ、なんでこどもを逃がさないんだよ」熱い気持ちをもった言われたのが最初でした。でも、現実として避難しているのは一割程度なんです、残っているこどもが病気を作ってから治療するわけではない-

2013-03-23 11:01:04
Akira Tsuboi @1876to1945

-病気にさせないための診療所が必要だと思ったんです。私はもともと医者嫌いです。お産の時でさえ行ってないんです。この診療所建設の話があった時にだから言ったんです。「普通の病院はいりません、」言いました。建設委員であることにバッシングを受けました。仲間からされるのは一番つらい。―

2013-03-23 11:05:01
Akira Tsuboi @1876to1945

-健康調査はまだまだ実施をまっている段階です。いわきにはヨウ素がいったはずで知り合いの医者では癌が最終的に50人いくのではという声もあります。」女性はこの会合の前に行った講演で500人の参加者から22万のカンパを頂いた事、週刊金曜日がフラットな視点で取り上げていることを言った-

2013-03-23 11:10:53
Akira Tsuboi @1876to1945

福島行-続いて、福島共同診療所事務局長の男性が皆の前に出てきた。会場の60人掛けの椅子は満席で、みな前へ出るように言われた。会場の後ろに立ち見の人間があふれていたのだった。男性は語り始めた。「3.11で、放射能が大量にばらまかれた状況で子供たちは情報をもらえなかったんですね」-

2013-03-24 11:37:47
Akira Tsuboi @1876to1945

-皆さんご存じの山下さんはじめ安全を説いたんですが、飯舘村浪江町のこどもたちは高線量のなかで暮らし、水を汲みに表に並んでいました。ヨウ素を大量に吸い込んだはずなんです。そんな中でこどもを何とかして守りたいと動き始めたんです。-

2013-03-24 11:42:57
Akira Tsuboi @1876to1945

一昨年の10月、全ての原発いますぐなくそう全国評議会の結成集会に広島の向陽病院の吉田さんをお招きして提言をいただいたんです。その提言で吉田さんは「福島の人は戦わないと行政は動かない、被曝手帳のようなものを書きとめてゆくこと、診療所をつくること」を言われたんです-

2013-03-24 11:47:42
Akira Tsuboi @1876to1945

-大変な提言を頂いたな、と思ったんですが、その集会のメンバーがそっくり建設委員会に入り、呼びかけにおうじて全国の医師が応じてくださいました。今起きていることは、甲状腺問題です。3人の癌が出て、7人が疑いである。しかし2月の時点でも白河、会津地方はまだ調査されていないんですね-

2013-03-24 11:51:06
Akira Tsuboi @1876to1945

-それなのにもかかわらず福島県立医大は放射能の影響はない、因果関係は認められない、と言うんです。甲状腺のエコー調査はもうしなくってもいいと言うんです。でたらめな情報を出した揚句に新たな癌が見つかるのを恐れてもうやらないってことを言っているわけで、これはもうちょっと耐えられない。―

2013-03-24 11:55:14
Akira Tsuboi @1876to1945

-そんな意味でも診療所を作ってよかったと思います。一昨年の呼びかけから丸々一年でさっき教えてもらったんですが、全国から約4988万円の支援をいただきました。今、診療所の甲状腺エコー検査は五月先まで予約がいっぱいで、これはどれだけ医大が信用ならないか、不安かということだと思います-

2013-03-24 12:02:28
Akira Tsuboi @1876to1945

--で、山下さんもいたたまれなくなって、この春で長崎に帰るんですね。この2年間でやってきたことがまったくの嘘でたらめだったことが分かったしまったんです。そんなところでも少しは貢献できたかなと思います。昨年、IAEAが郡山に来て国際会議を開きました。-

2013-03-24 12:11:11
Akira Tsuboi @1876to1945

-世界153カ国から人が来て、国際的な推進機関が三春と南相馬に常駐して福島のこどもの健康状態のデータを直接とることになりました。そんな中で福島の人間が生きてゆくためには自分たちがお互いにこっそり自分の体を守ってゆくことが必要なんだと思います。全国の医療団体と連携をとりながら。」―

2013-03-24 12:16:43
Akira Tsuboi @1876to1945

-「こっそりと」。何気なく差し挟まれた言葉に、福島のおかれた状況の困難さを重く感じた。朴訥として郷の言葉で話すこの男性の娘さんが県民健康調査でa2判定であったことを自分は昨年の閉じられた場所での会食で聞いていた。-

2013-03-24 12:23:19
Akira Tsuboi @1876to1945

福島行-男性は当初この診療所を600坪の近隣の土地に建てようとしていたことを明かした。大通りに面し、福島市の市街化調整地域に当たるため医療施設建設の許可が下りずらいこと、状況の悪化をみて現在の40坪の土地ではじめたことを語った。-

2013-03-25 12:52:53
Akira Tsuboi @1876to1945

-男性は、加えて東洋医学をふくめた予防医学の勉強の場として、そして福島で生きることで生じるストレスを吐き出す場所としてもホールの建設を念頭に置いていることを語った。それは診療所の第二期、として考えていることを語った。そうして男性の話が終わると、院長の松江寛人医師が呼ばれた―

2013-03-25 12:54:36
Akira Tsuboi @1876to1945

福島行-福島共同診療所建設委員事務局長の男性の話が終わると、ひとりの小柄な初老の男性が前に出てきた。マスクをしていた。診療所長の松江寛人医師だった。元国立癌センター放射線診断部医長のこの医師は昭和11年生まれで、癌センターに38年勤務し、定年後銀座に癌相談センターを開設していた-

2013-03-30 10:41:48
Akira Tsuboi @1876to1945

-福島診療所のよびかけに応じ、甲状腺検査を担っている。彼の診察に予約が殺到し、五月末まで待ちがでている。松江氏はまず宇都宮の大気の黄砂の話をし、花粉にどれだけ放射能があるかと話し始めた。福島駅に着いたときから鼻血が出たといい、マスクを外してからティッシュを丸めて右孔につめた。―

2013-03-30 10:49:39
Akira Tsuboi @1876to1945

-その様子に失笑があちこちから漏れる中「開設してまだ三カ月ではそれほどの報告はできませんが」と前置きして語り始めた。「まずびっくりしたのは医療に対する不信感がものすごいことです。福島県内では一般の疾患はまあふつうにみてくれるんですが、放射能に対する不安、検査はみてくれない。」-

2013-03-30 10:53:22