沼崎一郎先生@Ichy_Numaの「高校野球には絶対に球数制限を導入すべきだ。高校球児の健康権を保障するために。これは人権問題だ。休日を挟まないトーナメント方式を維持するなら、延長も廃止すべきだ。延長を戦ったチームと、そうでないチームの対戦という不公平・不公正を無視するのは、フェアプレーの精神に反するだろうに。」
高校野球には絶対に球数制限を導入すべきだ。高校球児の健康権を保障するために。これは人権問題だ。休日を挟まないトーナメント方式を維持するなら、延長も廃止すべきだ。延長を戦ったチームと、そうでないチームの対戦という不公平・不公正を無視するのは、フェアプレーの精神に反するだろうに。
2013-04-04 00:48:57まあ、甲子園というのは、高校球児を供犠とする国民的儀礼だから、人権も公正も問題にならないのだろうが……。いつまで人身供犠の儀礼を続けるのだろうねえ。
2013-04-04 00:51:05野球というのは、短期のトーナメント制に最も不向きなスポーツだと思う。だから、オリンピックからはずされるし、WBCも問題だらけなのだよ。
2013-04-04 00:51:54.@seikaisei @takeuchmasahiro 甲子園における投手の酷使は、教育的配慮の問題ではなく、健康権という基本的人権の侵害の問題ですよ。
2013-04-04 01:57:34甲子園では、自己犠牲と苦行が、単に仲間のためや学校のためではなく、郷土のためと美化される。それが全国的に組織されることによって、ナショナリズムへの献身が美化される。そのような制度を支えているのが、朝日新聞と毎日新聞である。どちらも、戦前は愛国新聞であったよな。
2013-04-04 02:02:17だから私は甲子園は大嫌いなのだが、それでも「感情的に」郷土の高校が優勝しないものかと願ってしまうのだ。東北六県の高校の残りを応援し続けるのだ。この心情につけこむのが、甲子園であり、ナショナリズムなのだ。
2013-04-04 02:04:04なぜ頭では否定しながら、心で応援してしまうかと言うと、地元の高校や高校生には「つながり」を感じるからだ。日常的な「つながり」が、感情を高ぶらせる。そのような「つながり感」を巧みに組織化して動員するのが、ナショナリズムなのだ。
2013-04-04 02:06:48だが、頭で否定すべきものは、否定しなければならない。少なくとも、より公平で安全なシステムへと変革しなければならない。他の高校スポーツと比して、甲子園の不公平さと理不尽さは突出している。それを少しも問題にしない朝日新聞と毎日新聞は、フェアな報道機関かと疑いたくなる。
2013-04-04 02:10:41甲子園の「聖地化」がもたらした弊害を、そろそろなんとかすべきだろう。甲子園での投手の連投と酷使は、立派な「体罰」だよ。実際、投手生命を潰された選手もいるのだから。郷土愛やナショナリズムのために、高校生を犠牲にする儀礼はおかしい。健全なスポーツとして、安全化・合理化しなければ。
2013-04-04 02:17:01高校野球は、甲子園という「聖地」へ全国から「巡礼」が集まる祭典であり、そこで球児たちが「人身供犠」に供される儀礼なのである。それでいいのかい?
2013-04-04 02:26:30郷土への「つながり」を、私は愛する。それゆえに、それがナショナリズムに回収されることに、強い憤りを感じる。特に、1000年虐げられ続けてきた東北を郷土とするがゆえに。
2013-04-04 02:30:13郷土とそこに暮らす人々への「つながり感」と、国家への「帰属感」とは、本来まったく異なるものである。それを巧みに混同させるのが、ナショナリズムの罠である。
2013-04-04 02:33:15郷土とそこに暮らす人々への自己の「つながり感」を、他の郷土とそこに暮らす異なる人々への他者の「つながり感」とを、対等なものと認め、その共存を図るのが、文化相対主義という人類学的イデオロギーである!
2013-04-04 02:35:11WBCは、ナショナリズムを巧みに利用しつつ、メジャー中心のグローバル・ベースボール・システムへと、世界の野球国を統合していく「甲子園」なのだ。日本は、見事に嵌っているよねw。
2013-04-04 02:37:34WBCで、アメリカが何連覇もしたら意味がない。日本が連覇したり、ドミニカが優勝したりすることに、WBCの意義がある。それで、メジャーの中心性が高まるのだから。
2013-04-04 02:38:32ちょっと考えてみて欲しい。なぜ、WBCの決勝ラウンドがアメリカで行われなければならないのか? それは、アメリカこそが、グローバル甲子園であるということだろう?
2013-04-04 02:43:16