芦田先生 @jai_an の「Twitterの現前性は、どこに位置付くのか、まだ誰も見定めていない」

RT ‏@jai_an 今から思えば、ポストモダンの思想家たちは、単に心理主義でしかなかったのではないか、というのが私の感慨です。 デカルトの〈主観〉の現前性(Anwesenheit)よりもヘーゲルの〈精神〉の現前性。ヘーゲルの〈精神〉の現前性よりもフッサールの〈現象〉の現前性、ハイデガーの〈気分(Befindlichkeit)〉の現前性と、〈現在〉は近代哲学以降……、多様に拡張され続けてきたわけですが、Twitterの現前性は、どこに位置付くのか、まだ誰も見定めていません。
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芦田宏直 @jai_an

死は、もともと忘れてこそ死「である」というように。なぜ、忘れることができるのか? それにはいろいろな答え方と水準があるのでしょうが、一つには、家族(生死の場所)も含めた共同体が解体して人間の死が見えなくなっているということがあります。

2013-04-05 23:43:54
芦田宏直 @jai_an

身近な親の死に際しても、顔も見ず、手も握らず、親族中で「心電図」を見ながら死を“確認”しているという今日この頃。

2013-04-05 23:44:11
芦田宏直 @jai_an

死ぬことが記号化されているわけです。一体、心電図の波形が死の何を代理しているのかわかりもしないのに。死につつある親とわざわざ(遠いところから駆けつけて)直面しているにも関わらず、その遠い彼方でも“観察”できる心電図に集中する人々がいます。

2013-04-05 23:44:26
芦田宏直 @jai_an

また一方、脳科学や免疫学(=他者学)の進歩、および臓器移植における機能主義的な代理も死ぬことを相対的に希薄化しています。

2013-04-05 23:44:43
芦田宏直 @jai_an

さらには、子供が喧嘩をしたり、怪我をしたりするのを極端に避ける親や家庭環境。少子化で子供が1人しかいない(喧嘩しない環境での)子育ての影響もあります。兄弟姉妹喧嘩は、エディプスコンプレックスや虚勢不安と共に、他者の身体を認識する最初の契機です。

2013-04-05 23:45:03
芦田宏直 @jai_an

兄弟姉妹喧嘩は、役割認識(リーダー、中間者、下っ端など)の契機にとどまらず、自-他身体認識の契機でもあります。「痛み」は代理できない。喧嘩も怪我も代理の効かない自分の身体を介在させざるをえない出来事ですが、これはプラトン的に言って死ぬことの練習でもあります。

2013-04-05 23:45:54
芦田宏直 @jai_an

「痛み」が代理が効かないのは、死が代理が効かないことの結果であって、その逆ではない。組織の仕事などは、どんなリーダーであっても、代わりがいるものです。

2013-04-05 23:46:42
芦田宏直 @jai_an

逆に言えば、自分がいなくなっても、いるのと同じように動く体制を作るのがリーダーの仕事であって、そもそも代理性とは近代性の指標であったわけです。

2013-04-05 23:46:53
芦田宏直 @jai_an

そう考えると、今の世の中で、自分でしかできないことは何か、日常的にあたりを見回してすぐにでも思い当たることは、恋愛、散髪、病気(入院)などなど。他人の代わりに恋愛をすることもさせることも出来ない。

2013-04-05 23:47:10
芦田宏直 @jai_an

他人の代わりに髪の毛を切ることも切らせることも出来ない。他人の代わりに治療することもさせることも出来ない。これらは、すべて身体が介在しているからです。そして身体の本質は滅びること、つまり死ぬことであったわけです。

2013-04-05 23:47:28
芦田宏直 @jai_an

しかし、恋愛は24時間サーバー(携帯電話と携帯メール)によって内面の肥大と共にn個の友人関係と変わらないものになり、散髪は伸びる髪の毛を切ると言うよりは、身体の自己表現性と代替し、病気は薬物まみれの“治療”と臓器移植によって身体を相対化しようとしている。

2013-04-05 23:48:08
芦田宏直 @jai_an

いずれも死ぬことを忘れるかのように。

2013-04-05 23:48:17
芦田宏直 @jai_an

Twitterの微分が進めば進むほど、忘れるのがこの出来事なんです。過去や未来は「もはやない」「まだない」という意味で実在的ではないという点では、Twitterの心理主義的な現前性は効力を持っている。

2013-04-05 23:48:42
芦田宏直 @jai_an

つまりTwitterというのはいろいろな人のストックだとか専門性というのを微分において解体するという点では、そしてまた今-現在に並べて流し去るという点では、「俺は実はこう見えてもえらいんだぞ」とツイートする馬鹿がいるけれども、それはまったく通用しない。

2013-04-05 23:49:12
芦田宏直 @jai_an

それは、ニーチェ的には「背後世界の倒錯」というものです(笑)。

2013-04-05 23:49:23
芦田宏直 @jai_an

今書いているツイートに魅力的でなければ、その人がすごく偉い人であろうとすごく実績を持っていようと馬鹿は馬鹿だというところで、実在的な過去=実績をつぶすだけの十分な威力をTwitterは持っています。皆が興奮しているところはそこです。

2013-04-05 23:49:43
芦田宏直 @jai_an

「タイムライン」は、そういう輩に、ニーチェのように、死を宣告しているのです。「話せばわかる」というような担保は、人間には元々ない。

2013-04-05 23:50:04
芦田宏直 @jai_an

「話せばわかる」というのも一つの態度表明だからです。「話せばわかる」と言って殺された首相もいるくらいなのですから。そこだけは、自分の態度の意味作用を抑えるなんてできるわけない。どんな場合も、人間は現れているのですから。

2013-04-05 23:50:24
芦田宏直 @jai_an

この片時も抑えようのない現れを、フッサールは〈現象〉と呼んでいたわけです。

2013-04-05 23:50:41
芦田宏直 @jai_an

よく、「外見ではなくて、内面が重要。人間は外見じゃない」って言う女の子がいるでしょ。そんなのウソです。

2013-04-05 23:50:57
芦田宏直 @jai_an

〈内面〉はながーい時間の交際の結果、見えてくるものなわけですから付き合わないことにはわからない。だから、私は「外面ではなくて内面だ」という娘には、「だったら、無条件で私と付き合うのか」と言うことにしています。絶対に付き合ってもらえません(笑)。

2013-04-05 23:51:16
芦田宏直 @jai_an

つまり、付き合うかどうか、〈内面〉を見に行こうとするかどうかを決めている《外面》があるのです。この《外面》が分母として真っ先に(ア・プリオリに)存在している。その娘の言う外面と内面の差異は、実は、この分母としての《外面》の分子で生じている〈外面/内面〉に過ぎない。

2013-04-05 23:51:39
芦田宏直 @jai_an

この、分母の、あるいは大文字の《外面》がフッサールの言う〈現象〉です。ハイデガーはこのフッサールの〈現象〉を〈気分(Befindlichkeit)〉とも言い換えました。気分は主体的な選択=〈私〉を超えているわけです。現象学的にはすべて決着が付いている。

2013-04-05 23:51:56
芦田宏直 @jai_an

この決着性を、ハイデガーは〈視〉の決着性、見終えていることの決着性(見終えていることの継続性)としたわけです。エネルゲイア→ノエイン→現存在の「死への先駆的決意性Vorlaufende Entschloßenheit zum Tode」という流れにおいてです。

2013-04-05 23:52:17
芦田宏直 @jai_an

担保できない時間(決着が付いてしまっている継続)=現象という点で、Twitterの微分性とフッサール・ハイデガー的な現象性とは限りなく類似性を有しています。ここではなお類似性に過ぎないわけですが(笑)。

2013-04-05 23:52:34