沼崎一郎先生@Ichy_Numaの「ヘイトスピーチに関して、「規制」という言い方をしてはいけない。ヘイトスピーチは暴力であり、強迫行為であり、それゆえに「犯罪として取り締まるべき」という話なのだから。」

ヘイトスピーチという言い方も問題だ。スピーチという言い方をすることで「言論」というニュアンスが強まってしまう。ヘイトクライム(hate crime)つまり憎悪犯罪と呼ぶべき。それが「言葉による暴力」であったとしても。 by 沼崎一郎
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沼崎一郎 @Ichy_Numa

ヘイトスピーチに関して、「規制」という言い方をしてはいけない。ヘイトスピーチは暴力であり、強迫行為であり、それゆえに「犯罪として取り締まるべき」という話なのだから。

2013-04-05 21:34:00
沼崎一郎 @Ichy_Numa

「規制」というのは、交通規制のように、「悪くないけれども調整する必要がある」という問題に使われるべきことばであって、犯罪という「悪いことなんだから取り締まるべき」という問題と一緒にしてはいけない。

2013-04-05 21:35:14
沼崎一郎 @Ichy_Numa

ヘイトスピーチという言い方も問題だ。スピーチという言い方をすることで「言論」というニュアンスが強まってしまう。ヘイトクライム(hate crime)つまり憎悪犯罪と呼ぶべき。それが「言葉による暴力」であったとしても。

2013-04-05 21:40:39
沼崎一郎 @Ichy_Numa

ヘイト(hate)すなわち差別的な憎悪を動機とする犯罪の複合体があって、それには様々な暴力が含まれていて、言葉によるものはその一部に過ぎない。その一部が問題にされなければならないのは、それが言葉の問題として独立しているのではなく、他の暴力と組み合わされているからなのです。

2013-04-05 21:44:53
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

そのロジックだと、日本の法体系そのものが暴力ということに。 “@Ichy_Numa: ヘイトスピーチに関して、「規制」という言い方をしてはいけない。ヘイトスピーチは暴力であり、強迫行為であり、それゆえに「犯罪として取り締まるべき」という話なのだから。”

2013-04-05 21:49:53
沼崎一郎 @Ichy_Numa

@han_org あら、どこの法体系も……?

2013-04-05 21:50:40
take_tk @take_tk

法は暴力行使の基準であり、権力は暴力の独占を主張する。 司法や警察は逮捕、監禁。死刑や軍隊は殺人。税金は恐喝。 だから、憲法によって、その暴力が適正に行使されるように制限する。 @han_org @Ichy_Numa そのロジックだと、日本の法体系そのものが暴力ということに。

2013-04-06 00:09:16
沼崎一郎 @Ichy_Numa

ヘイトクライムが問題なのは、特定のカテゴリーの人々を暴力と恐怖に晒すからだけではなく、そのことによって社会に亀裂を生じさせ、社会を壊すからなのです。だから、反社会的行為すなわち犯罪なのです。

2013-04-05 21:56:02
沼崎一郎 @Ichy_Numa

乱暴な言い方をすると、抑圧は「主観的」で、差別は「客観的」。「○○人お断り」と店に入れないのが差別。そうあからさまには言わないが、○○人が店に入りにくい状況を作り出すのが抑圧。 RT @guriko_ 抑圧と差別は同じなのかな。なんか違う気がするけどな。

2013-04-05 22:01:33
沼崎一郎 @Ichy_Numa

搾取は、不当にぼったくることです。抑圧せずにぼったくることもできるから、二つは別物。ぼったくりがぼったくりに見えないのが資本主義で、そうは見えないけどぼったくりだべと言ったのがマルクス。 RT @guriko_ 抑圧と搾取もまた違う気がします。 @Erinadinfinitum

2013-04-05 22:09:10
沼崎一郎 @Ichy_Numa

搾取無き抑圧もあるよね。ベティ・フリーダンのフェミニン・ミスティークは、まさにそれじゃない? リッチな団地妻でも、ジェンダー的な抑圧ゆえに憂鬱…… @guriko_ @Erinadinfinitum

2013-04-05 22:12:03
沼崎一郎 @Ichy_Numa

差別が「目に見える力」の働きだとしたら、抑圧は「暗黒エネルギー」の働きのようなものかな。

2013-04-05 22:16:22
沼崎一郎 @Ichy_Numa

抑圧(oppression)は、グッと押さえつけられて身動きが取れない状態。差別(discrimination)は、待遇に露骨な差がある、扱いが明らかに違う状態。

2013-04-05 22:37:56
沼崎一郎 @Ichy_Numa

排外主義の英語は2つあるのか。Xenophobia と Antiforeignism と。ずいぶん語感が違うなあ。

2013-04-06 12:20:57
沼崎一郎 @Ichy_Numa

これは @han_org 先生の議論とはズレるのだけど、「排外主義」=外国人・移民・異文化の排斥の反対(否定)は「受外主義」=外国人・移民・異文化の受容、「多文化主義」の反対(否定)は「単一文化主義」であり、それぞれの対は、二つの異なる次元に属するね。

2013-04-06 13:23:13
沼崎一郎 @Ichy_Numa

(承前)この二つの軸をかけあわせると、排外主義的多文化主義、排外主義的単一文化主義、受外主義的多文化主義、受外主義的単一文化主義の4つが論理的に想定される。

2013-04-06 13:26:30
沼崎一郎 @Ichy_Numa

(承前)この4つの実例を考えてみると、日本の「多文化共生」は排外主義的多文化主義に該当し、かつてのアメリカのメルティング・ポット主義は受外主義的単一文化主義に該当するのではないか?

2013-04-06 13:28:48
沼崎一郎 @Ichy_Numa

(承前)オーストラリアの多文化主義は受外主義的多文化主義かな。では、排外主義的単一文化主義の実例はどこだろう?

2013-04-06 13:31:00
沼崎一郎 @Ichy_Numa

(承前)排外主義的単一文化主義の原初的な例は、本居宣長かもしれないなあ。ただし彼は、個別主義者ではなく、普遍主義者だけどね。

2013-04-06 13:34:27
沼崎一郎 @Ichy_Numa

(承前)かつてのアメリカのメルティング・ポット主義のような「同化主義」は、受外主義的単一文化主義であって、「受外」の点では「排外」と対立する。単一文化主義は、決して自動的に「排外」にはならない。

2013-04-06 13:36:22
沼崎一郎 @Ichy_Numa

(承前)フランスのリパブリカニズムや、伝統中国の中華思想も、受外主義的単一文化主義であって、決して「排外」ではない。むしろ、自文化のパワフルな普遍性は「外」を同化せずにはおかないということが前提されている。

2013-04-06 13:39:01
沼崎一郎 @Ichy_Numa

(承前)排外-受外、多文化-単一文化という2軸に、公-私の軸を加えて3次元で8象限考えることもできる。そうなってくると、いくら連ツイしても難しいから、もう止めるけど。(結)

2013-04-06 13:49:51