関係性の創造

モノとモノの適切な関係を生み出すという行為は、どこまで普遍的か?
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as @asatohan

「演劇作品を創るという作業は、化学や物理学の実験に似ている。この喩えに従えば、私にとって演劇における戯曲の役割は、実験を行うための作業仮説にあたる。...」

2010-02-03 16:39:40
as @asatohan

「 ... 戯曲には、劇作家の見ている世界の見取り図が描かれている。「おそらく私はこのように世界を見ているのだろう」「おそらく私は、このように人間というものを捉えているのだろう」という、劇作家にとっての概念図のようなものだと言ってもいい。...」

2010-02-03 16:40:00
as @asatohan

「Aという人間がいる。そこにBという人間が入ってくる。Bが入ってきたことによって、Aはどのように変化するか。BはAと出会ってどのような反応を示すか。その変化や反応の過程についての仮説を書き記していくのが劇作家の仕事である。」 『演劇入門』

2010-02-03 16:40:27
as @asatohan

ここでは、AやBにあたるものが人間だったけれど、物や概念でも同じようなことが言えそうに思える。たとえば、家具の配置としても言えるかも。ゲームシステムでの各システム要素としても言えるかも。

2010-02-03 16:42:59
as @asatohan

でも、AやBが、プログラムでの関数とかクラスとかになると、ちょっとイメージしにくい。僕が具体的に慣れすぎているのが原因かもしれない。あるいは、逆に、僕が演劇のことを知らないからこそ、さっきのAやBが人間の場合のケースに違和感を感じないだけかもしれない。

2010-02-03 16:45:52
as @asatohan

Aというクラスがあるとことに、Bというクラスを追加したら、「Aはどのように変化するか。BはAと出会ってどのような反応を示すか。」というような問いかけをしながら設計・プログラムをすることは、個人的にはなかったように思う。

2010-02-03 16:48:05
as @asatohan

Aというクラスがあるところに、Bというクラスを追加してみることで、分かることはある。たとえば、AとBでコードの重複が存在するようになったという事実や、その事実から保守性が悪くなった、という評価をすることはある。

2010-02-03 16:50:17
as @asatohan

そこから、たとえば、共通の抽象クラスCを導入するようなリファクタリングするようなこともある。

2010-02-03 16:51:15
as @asatohan

これらの具体的な過程を、「Aはどのように変化するか。BはAと出会ってどのような反応を示すか。」という抽象度で説明することはできるかもしれないけれど、そこに意味はあるのだろうか。

2010-02-03 16:54:31
Ken.Matsuo. of N24S @cap_ken

@asatohan 発想の方向が逆のような。演劇的な視点で見ると、ブラックボックスであるAやBがあって、Aの挙動を観察から推測して、Bの(おそらくはイレギュラーな)アウトプットを食わせてみるとどうなるか予想する、というあたりになるのではないかと。

2010-02-03 17:06:40
as @asatohan

@cap_ken む、ちょっとよくわからないかも。プログラムの視点では、どうなりますか? あと、逆になるかどうかは、ブラックボックスかどうかで決まるということですか?

2010-02-03 17:15:25
Ken.Matsuo. of N24S @cap_ken

@asatohan プログラムで言うと、リバースエンジニアリング的な方向なんじゃないかな、ってことです。演劇が対象とするのは大抵人間だから、ブラックボックス的だなあということで。

2010-02-03 17:18:51
as @asatohan

@cap_ken では、人間でなく、たとえば、建築物で(?)はどうなるのか気になりました。 たとえば、公園(A)があって、すべり台(B)を公園内のどこにおくとどういう反応になるのかどうか、など。

2010-02-03 17:25:59
Ken.Matsuo. of N24S @cap_ken

@asatohan 思いついたままで書きますが、滑り台を置く場所が日向だと、今の時期は暖かくていいかもしれないが、夏場は逆に暑いかもしれない。総合的に考えて、滑り台を置くのはここがベストだと思う、というあたりを考えるということかと。

2010-02-03 17:32:40
as @asatohan

@cap_ken なんとなく言いたいことがわかってきました。プログラムの場合は、Aがあって次にBがあって、次に関係性を分析するけれど、だからといって、その分析結果はBを使わない、ということにはならない、ということですかな? ちょっと違うか・・・。

2010-02-03 17:40:02
as @asatohan

@cap_ken ちょっと公園とすべり台の例は適切じゃなかったきもしますけども、すべり台をどこに配置するかによって、すべり台自体の価値に影響するだけでなく、そのすべり台を含んでいる公園の価値にも影響する、という見方ができるんじゃないかなと。

2010-02-03 17:52:09
Ken.Matsuo. of N24S @cap_ken

@asatohan ちょっとまだ考え中でまとまりきってないんですが、やはりAとBの少なくとも一方はブラックボックス的でないと「仮説の構築」にならない気がしています。A,Bの両方がコントロール可能な状態で協調すると、AとBはそもそも分離された概念じゃなくなる気が。

2010-02-03 17:54:05
as @asatohan

@cap_ken なるほど、僕が適切じゃなかった気がしました。引用したんですけど、僕は「仮説の構築」にはあまり関心がなくて、Aが存在しているところにBがくることで、互いに(?)影響しあうということ自体に関心があります。また、AとBの関係からなる価値が決まる、かも、という点です。

2010-02-03 18:02:26
Ken.Matsuo. of N24S @cap_ken

@asatohan つまりゲームの製作というのはプレイヤーのある操作に対してこういう反応を返せば面白いとおもってもらえる気がするぞ、という仮説の検証なのだ、というある意味至極当たり前なことの言い換えなのか?

2010-02-03 18:04:47
as @asatohan

@cap_ken 昨日の続きです。ゲーム製作については、AやBはゲームシステム上の各要素にあたると考えています。さらに、これら要素は、各ゲームで必ずしも新奇でないとします。ここでの僕の関心は、Aに対してうまく反応するBをゲーム制作者が体系的に把握できているのかということです。

2010-02-04 08:06:26