江戸城が風水に基づいて作られた話はガセっぽい?という話

オカルト系書籍でやたらに出てくる、「江戸は風水都市で、天海が徳川家康に進言して造らせた」という説。ところが、江戸城の第一期工事、第二期工事の責任者(本多正信・藤堂高虎)は両方共風水否定派で、家康も風水の話を聞くとキレていたという話も出て来ました。迷信の側面も強い風水説に、江戸初期の為政者が合理的に対処していたこと、江戸幕府衰退期に風水説が復活すること、西洋史や朝鮮史との比較など、色々な方からのご教示で多方面に話が広がりました。
歴史 徳川家康 天海 本多正信 迷信 ニセ科学 江戸城 江戸 東京 藤堂高虎 風水
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松平俊介(東龍) @matu2syun
戸が風水に依って作られたという話、調べてみたけど、ガセみたいですね。
松平俊介(東龍) @matu2syun
江戸城を徳川家康が増築し始めたのは1590年だが、その時の都市計画について「岩渕夜話」「慶長見聞集」等によってみてみると、「ボロボロの城だったのでとにかく住む所を作った。屋根は飛州ぶきなどである。小身の侍を城の近所に置いた」とあるくらいで、風水など気にした形跡はサラサラない
松平俊介(東龍) @matu2syun
「岩渕夜話」「慶長見聞集」を解釈した山本七平は、「屋根は飛州ぶきだというが、この当時の江戸城は終戦直後のバラック程度のものだったと考えられる」と述べており、とにかく粗末だった
松平俊介(東龍) @matu2syun
その時の普請奉行は本多正信で、彼は昼夜兼行の工事の現場立会までこなしており、周囲から恐れられたが、この人は浄土真宗の講義が出来た人で、今でも彼が講義をしていた寺が浅草にある。
松平俊介(東龍) @matu2syun
ところが、浄土真宗は「風水や日の吉凶を気にする人が多いことは悲しいことだ。仏教ではそんなことは気にすべきではない。」といい、迷信を嫌うことでは仏教でも随一といえる宗派で、その宗派の人物が風水説に基づいて江戸を作ったなんて、悪い冗談みたいだ
松平俊介(東龍) @matu2syun
1603年の第二期工事からは築城の名手といわれた藤堂高虎が設計に加わるが、なんとこの人は、自分が風水をよく知らないので一旦城の設計を辞退しているんだよね
松平俊介(東龍) @matu2syun
村井益男氏の「江戸城」に見える高虎と家康の会話 家康「江戸城の縄張りを命じる」高虎「え、オレ全然風水知らないんで、大丈夫ですか」家康「関係ないよ。お前みたいのがやればいいんだよ、おう早くしろよ」高虎「あざっす」 図を引いて持っていたら家康があれこれ加筆して都市計画が決まったという
松平俊介(東龍) @matu2syun
ちなみに、この頃、風水に詳しいと言われている天海は家康の配下ではないです。天海の登場は1608年で、第二期工事は1603年に藤堂が縄張りを引いて既に始まっている
松平俊介(東龍) @matu2syun
1603年の工事は神田山を崩して日比谷入江を完全に埋め立て、また外濠川の工事を行っているんだけど、これは風水的に言えばありえない工事で、加門七海氏も「こんなバカなことを風水をわきまえている人たちは絶対にしないので多分裏がある!」と主張しているが、裏も何もない、気にしてないだけ
松平俊介(東龍) @matu2syun
江戸城の北部にあった台地、神田山は風水的には気が来るすごく重要な土地で、そこをアボーンするのは大凶なのだが、家康はどうでもいいと思っていたんだね。それより都市計画のほうが大事だった。
松平俊介(東龍) @matu2syun
風水を知らない藤堂高虎にやらせたのは、アホな風水師からガタガタ言われて頭にきていたのかもしれないね。鬼門に当たる橋を指摘されて、「どうでもいいじゃねえか!」とキレたらしいし
松平俊介(東龍) @matu2syun
そもそも天海が風水を知っていたという証拠などどこにもないわけですよ。実は。彼は元々天台教学と倶舎論・唯識説の専門家で、スマナサーラ長老が最近訳している原始仏教の心理学の研究を奈良でやっていた人ですね
松平俊介(東龍) @matu2syun
天海が風水を学んだという話は、天海の専門的な伝記「天海大僧正」にはどこにもありません。彼が頭角を現した理由は、「アイツ論戦に強いじゃん」という他の坊さんからの評価。
松平俊介(東龍) @matu2syun
というより、天台教学と倶舎・唯識なんて迷信と全然関係ないんだけど、どこで風水の話が出てきたんだ?なんか、昭和のオカルト系の人らが「天海は密教の大家だから風水とか呪術とかなんでも出来たんだよ!な、なんだってー」的にコジツケたんじゃないの?
松平俊介(東龍) @matu2syun
そもそも天海が密教の大家なのかはかなり怪しいのではないか。天台教学は法華経の解釈を行う哲学で、加持祈祷とあまり関係ない。勿論護摩ぐらいはやろうと思えば出来るだろけど、こういう学僧が呪術をするかというと案外しないよね
松平俊介(東龍) @matu2syun
天海の法力を示すエピソードは1593年の常陸の国江戸崎での雨乞いだけです。でも雨乞いなんか栄西でも道元でもやるし、出来たからスゴイ法力があるってえわけでもないだろう、マニュアルもあるんだし
松平俊介(東龍) @matu2syun
道元は呪術否定派ですが、近所の農民が困っていた時にはちょくちょくやってますね。記録見る限り龍神への祈祷を読経と太鼓でやっただけだけど、雨は降ったみたいね
松平俊介(東龍) @matu2syun
江戸城の風水を大々的に言い出した加門七海さんも、余りにも鬼門除けの寺社と江戸城の位置が合わないので、「江戸城って、風水関係ないんじゃ…?!くやしいっ!絶対見つけてやる!」とか言ってますね。
松平俊介(東龍) @matu2syun
そもそも、鬼門除けの寛永寺と目黒不動尊(この二つは記録に鬼門除けとして出てくるのでほぼ確実)は、1622年、江戸城がほとんど完成してから作っているので、元々は全然風水と無関係だったと思うね
松平俊介(東龍) @matu2syun
加門さんは苦し紛れに昭和時代に金物屋が作った神社まで鬼門除け扱いしているが、あそこの神社は僕も取材というか見に行きましたが、ボロボロで、風水とか何の関係もないと思う
松平俊介(東龍) @matu2syun
以上、村井益男『江戸城』講談社学術文庫、『東京市史稿』、山本七平『徳川家康』、加門七海『大江戸魔法陣』を元ネタにした連ツイでした。
松平俊介(東龍) @matu2syun
あとと学会の一連の書籍も参考にしました。まあ、と学会の考証は古文献まで当たっていないのだけど、相当いい所ついてると思いますよ。加門さんは単に神社に一生懸命線を引いているだけですね。江戸だけじゃなくてどこの都市でも神社仏閣に線を引きまくれば六芒星ぐらい出来ると思う
松平俊介(東龍) @matu2syun
江戸城の築城年表を「徳川実記」や三田村鳶魚・鈴木理生の説により作ってみました。 http://t.co/sUtPPOZJzS
 拡大
松平俊介(東龍) @matu2syun
年表を作ってみて唖然としたのは、本当に本多正信とか藤堂高虎は風水を気にしていないですね。というより、天海が寛永寺と目黒不動を整備するまでその手の話は都市計画の話題にすらなっていなかったことが分かります。
松平俊介(東龍) @matu2syun
というより、そもそも論として、1615年までは江戸が首都になるかどうか幕府内でも流動的だったんですね。鈴木理生氏が指摘する通り、1603年の徳川幕府開府は伏見城だったわけで。大阪移転の話も出てますね
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コメント

松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
まとめを更新しました。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
ちなみに、書店で市販されている風水関係の占い本も複数見ましたが、なんと江戸城と風水の関係について言及しているものは一冊もありませんでした。ドクターコパも書いてないよ。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
中国の学術機関の風水研究家らしき黒門さんという方の本では、そもそも鬼門という概念が日本でできたものだと説明されており、そうなると江戸城風水築城説は益々怪しいことになりますねえ。
神無月久音 @k_hisane 2013年4月13日
matu2syun 風水とは別に、造営に際して陰陽師なりに相談してた記録はあるのでしょうか。自分でざっくり調べた範囲だと、「そんな話もある」程度だったので…。その頃の陰陽頭が幸徳井友景(柳生宗矩の従兄弟)なので、伝奇的に気になるところなのです。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
k_hisane 質問ありがとうございます。陰陽師の相談の記録ですが、村井本ではありませんね。家康がこの頃やたらに江戸市中の寺院を訪問していたという矢田挿雲『江戸から東京へ』の伝承を信じれば、そっちの系統から話があったかもしれませんが、家康って案外人の話聞かないんですよね。聞いたけど右から左で流したんじゃないかと
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
k_hisane 柳生宗矩はこの頃は全然下っ端で、秀忠の剣術指南役に過ぎませんので、親戚に陰陽師が居ても意見が反映された可能性はあまりないんじゃないかなあ。村井本では、江戸城縄張りの藤堂案を家康が加筆して、一応秀忠も見たが、秀忠は何も言わなかったと書いてありますね
神無月久音 @k_hisane 2013年4月13日
matu2syun なるほど。ありがとうございます。そのデンだと家光期の寛永の増築時も方針は継続されてた可能性が高そうですね。その頃だと、宗矩は幕府惣目付で普請奉行だったので、何かしら話くらいは行ってたのかしらん、と。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
『東京市史稿』のこの辺りの記述を見るととにかく作業が大変で、風水なんていうようなヒマなネタはそれどこじゃないだろって感じ。http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0601kojo01.htmを見て頂ければ、このあたりの史料の出所が見えるかと。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
金地院崇伝の「本光国師日記」みたいな、ちょっと伝奇クラスタが喜びそうな奴もあるんですが、内容は「土木技術者紹介したんでよろしく」みたいな実務レベルの話ですね。崇伝は結局行政官僚だからなあ。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
k_hisane そのくらいまで官途がいっておれば陰陽師の話も出せた可能性はありますね。慶長元和年間の当たりでは難しいでしょう。寛永寺・目黒不動修築の当たりで、記録があるかなあ。徳川実記を見てみますね。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
東京市史稿の史料出所を見ると、藤堂高虎没後の寛永期の修築まで藤堂家が関わっているようですね。高虎の息子の藤堂高次も石垣普請を相当やっているので、縄張り関係はひょっとすると藤堂家が長いこと世襲していた可能性もあるなあ。
神無月久音 @k_hisane 2013年4月13日
matu2syun ありがとうございます。宗矩が普請奉行を務めていたのは寛永十二~十三年頃ですが、毛利家の「公儀書日乗」から見るに、寛永十一年には既に内定していたようですので、同年の将軍家上洛時に京で会ってたかも?と妄想を逞しくしてたのです
なっかわ @yaemon_the_tank 2013年4月13日
そもそも風水は呪術ではないと思ってます。 実用の経験則をさきに集め、その理由を五行に求め解析しようとした体系なのだから、同じ程度の技術力で実用的に構成した街並みは風水と一致して当然
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
k_hisane おお、そういうことですか。寛永12~13年について「徳川実記」を国史大系本でざっと見てみましたが、柳生宗矩は寛政12年11月に幕府の制度改革で大目付就任という記事のほかは、能楽をやったということしか書いてないですねえ。この頃の普請といっても江戸城は町人地の造成と総曲輪建設位ですから、実記には余り出てこないですね
神無月久音 @k_hisane 2013年4月13日
matu2syun ですです。なので、基本となる本丸普請の時点で、家康or秀忠が特に風水なり陰陽道なりを気にしてないのであれば、寛永期も一緒かなと。気にしてるなら、何かしら友景の名も実紀なり関連する史料なりに出てそうですし。
神無月久音 @k_hisane 2013年4月13日
matu2syun あと寛永十三年だと八月十四日に四千石加増で大名になってますね>宗矩 寛永期の普請と合わせてこの辺でもざっくり書いてますのでよろしければー。【やる夫で学ぶ柳生一族その38】http://tagenmatome.blogspot.jp/2010/10/38.html
語られざるもの、悉若無@神精宝具開発中(🌳)(💧)(💀) @L_O_Nihilum 2013年4月13日
民俗学でなんていうんだっけ、風水(だけじゃなくても伝承や当時の元素への体系のルール、魔法陣とか)とか使って建物創るっていう性質。アレ使ってるみたいな話あったんだけどガセだったのか
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
L_O_Nihilum 元素:木火土金水に基いて不動尊を配置するという「五色不動」の件は、明治期に出来た話ですので明確にガセですね。発想自体は仏教思想にあるし、京都では部分的に行われたのですが、東京では目黒と目白だけですので、五色が江戸時代には揃っていなかったようです
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
http://machi.monokatari.jp/fudou/item_1838.html  岡本氏はここで東京日日新聞明治十四年の記事を発見する。これは前年に目黄不動が新設され、横浜に目青不動が安置されることになったという記事だ。とすると、目黄不動・目青不動の出現は明治十三年以降ということになる。ということですので、その話は当初からガセだろーなーと見ていました。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
寛永寺が鬼門除けというのは徳川実記に書いてありますので、ほぼ明らかです。言い出したのは天海です。最も辻達也氏はこれすら疑問視しています。
akita_komachi @antiMulti 2013年4月13日
面白いなー。あの頃の日本の宗教観って、神・仏・陰陽道・土着宗教がごっちゃ混ぜに集合していそうなイメージが有るんですけど、どうなんでしょう。江戸城造営当時の人よりも、後世の人のほうがそういうことを気にしていそう。当時の建物や都市の造営の「作法」として、風水的な考えが根付いているわけじゃなかったのか。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
antiMulti >江戸城造営当時の人よりも、後世の人のほうがそういうことを気にしていそう。 それはあると思います。意外と迷信を信じないですね。風水とか、言い出すのは後世の人のようです。
須田浩之・スダヒロシ @Sudasan 2013年4月13日
法隆寺や東大寺の数学的物理学的合理性と、とんでもないほどの経験則を、風水という形で当てはめようとして、なんとか説明しようとしているだけなのか。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
yaemon_the_tank それもあるでしょうね。ただ、江戸は風水説とはほとんど一致しませんし、風水説そのものが迷信じみたところもあります。風水の流派もいろいろありますが、例えばある一派が重んじる盛り塩だの祐気取りの根拠なんか全然無いですよ
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
ちなみに、祐気とり(ゆうきとり)というのはいわゆる「方違え」と同じで、平安貴族の間で流行っていた根拠レスな迷信です。未だに元気なのには驚きます。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月13日
Sudasan 基本的にはこじつけですね。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
調べれば調べるほど、江戸と風水とのつながりは信じがたいものになっていくなあ。江戸城第2期工事中に太田道灌が作った結界を破壊したことも出て来ましたね。すごいよ藤堂高虎。胆力が違う。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
まとめを更新しました。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
@nonomaru116 そうですね、まさにそういうことですね。あ、その発言、とうぎゃらせて頂きました。有難うございます
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
まとめを更新しました。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
個人的に、鈴木理生氏の「大江戸の正体」三省堂は荒山クラスタは読んどくと楽しい本だと思いますよ、江戸学の大家による割と真面目な歴史書なんですが、実にアレな史実が出てきますね
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
目黄不動の文化財指定書と談志の墓を見た時点で、あ、これは壮大な釣りだったんだなと思いましたね。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
まとめを更新しました。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
まとめを更新しました。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
四神相応について更に調べると、実は江戸の四神相応説は一旦否定されているんですね。江戸初期の大道寺友山「落穂集」では、「江戸は四神相応だという話があるが」という質問に対して「四神相応は江戸築城の理由の一つだが、もっと重要なのは江戸は交通の要衝で流通の拠点だということだ。家康公の構想は両方兼ね備えたということだ」と述べており、江戸風水説をやんわりと否定しています
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
ところが、前述の菊池弥門の後、松平定信の側近・古川古松軒が「江戸は四神相応の素晴らしい土地」という『四神地名録』を著し、江戸風水説は更に勢力を増します。定信が反資本主義者で「商業は詐欺だ」と主張していたのは有名ですね
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
『四神地名録』って、少女漫画・ふしぎ遊戯の『四神天地書』の元ネタなんだろうか…題名が似てるよなあ…
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
ちなみに、ふしぎ遊戯のヒロインの志望校は「城南高校」でした。恐らく設定は東京南部。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
大道寺友山「落穂集」は面白い本でして、これを読むと江戸城の結界などというのが完全にガセネタというのがよく分かります。何しろ、日枝神社(裏鬼門除けとされる)の創建について、「あそこは市民のリクリエーションのために城外に移転したんだ」と述べていますから。鬼門に関しても言及しないし
なっかわ @yaemon_the_tank 2013年4月14日
分派があるのを前提に、そのうちのひとつが理不尽ならばすべて理不尽だろうという論理展開には無理があるように感じます。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月14日
江戸史の年表をみてみると、ちょうど江戸風水説が鼓吹された時期と風俗産業の盛んな時期が重なりますね。これも年表にしたい所
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月15日
yaemon_the_tank はい、展開は強引なのですが、風水説の場合はどれが本流でどれが分派なのか占いの門外漢の私にはサッパリわかりませんので、ああ申しました。そもそも鬼門というのは日本流ですし、大道寺友山のいう風水説と最近のオカルト本の風水説はぜんぜん違うものですからご教示頂ければ幸いです。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月15日
風水批判についてはこのサイトが面白かったですね。 http://www.geocities.jp/kutabare_kaso_fusui/#02
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月15日
「建築の研究者の報告によると,多数の家相文献を調べたところ,台所,浴室,便所3室についての 記述が同じものはなかったそうです。このように,家相風水には多くの流派があり,鑑定結果がまったく異なることも珍しくないのです。」とありますねえ。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月15日
風水説は個人的には全部否定すべきものでもなく、古来の人類が積み重ねた経験値も含まれていると思いますが、迷信じみたものもずいぶん多いですね。四神相応はまだ環境学で説明がつきますが、鬼門の話は迷信の類でしょう。余り頭ごなしに否定するのも人心に不安を招くので、申し訳程度のものを作ったというだけで、為政者はどこまで信じていたのかは疑問です
なっかわ @yaemon_the_tank 2013年4月16日
四神相応を言うほうが「外敵に襲われにくいように山を背負い、商業に向くように河に面するが良い」と言うより通じやすい時代もあり、山を背負っても外敵への備えにならないようになれば古い設計思想となります。 江戸結界説をもてはやす人がいた時代は世情が不安に満ちていたことでしょう。『頭から迷信と否定する』よりも『なぜ、そんな説が世に広まったのか』と推測するほうが、古いもの、いまの時代に合わないものを根底から否定する近道ではないかと思う次第
なっかわ @yaemon_the_tank 2013年4月16日
そうそう。盛り塩は商家や妾宅で牛馬の足を停めて客や主人を呼び込む生活の知恵から始まったと思ってます
なっかわ @yaemon_the_tank 2013年4月16日
そうそう。盛り塩は商家や妾宅で牛馬の足を停めて客や主人を呼び込む生活の知恵から始まったと思ってます
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月16日
yaemon_the_tank なるほど、ご教示ありがとうございます。その四神説はどの本に載っているのでしょうか。デ・ホロート『中国の風水思想』では、史記楽書や易経文言伝を引いて、四神のうち風水を表す白虎と青竜が重要だが他の2方位はどのようにこじつけても良いと述べております。後半のお話は同感です。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月16日
yaemon_the_tank 盛塩は晋書の武帝本紀ではなかったかと思うのですが…
なっかわ @yaemon_the_tank 2013年4月17日
書籍の著者があたまで考えて創出したことならば『経験則』とは呼びませんね。それは起源ではなく、すでにその時代には風習があったという記録に過ぎません >「盛り塩は晋書の……」
なっかわ @yaemon_the_tank 2013年4月17日
「どの四神相応」といわれたら「京都や奈良の観光ガイドブック」てことになりますかね(^-^; ホロートなるひとがどう資料を分析したかしりませんが、日本では治水が商用の運搬路を兼ねて、山が外敵を防ぐってくらいにしか重視されてないのは共通認識と思ってました。川の流れてない古くからの町なんて日本では海が代わりしてる下関くらいしかみたことがないし。山を背負わなくても良い時代になったと相模平野をみて看過したのが家康の功績とは江戸の町の本に書いてあるけど、あとはこじつけでしょ?
なっかわ @yaemon_the_tank 2013年4月17日
「どの四神相応」といわれたら「京都や奈良の観光ガイドブック」てことになりますかね(^-^; ホロートなるひとがどう資料を分析したかしりませんが、日本では治水が商用の運搬路を兼ねて、山が外敵を防ぐってくらいにしか重視されてないのは共通認識と思ってました。川の流れてない古くからの町なんて日本では海が代わりしてる下関くらいしかみたことがないし。山を背負わなくても良い時代になったと相模平野をみて看過したのが家康の功績とは江戸の町の本に書いてあるけど、あとはこじつけでしょ?
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月18日
yaemon_the_tank 申し訳ない、観光ガイドブックは制作現場の内情をよくしっておりますが、あんなものは典拠になろうはずがない。そこらへんの人が言っていた話を元にしていますから。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月18日
yaemon_the_tank エッ、あなたは晋書を読まれたことはないのですか?!
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月18日
yaemon_the_tank ホロート氏は中国宗教史の大物学者で、古文献も相当渉猟していますし、20世紀初頭の福建省で風水のフィールドワークも散々やった方ですが、日本では余り知られていないようですね。風水説を語る上で彼の本を読まない日本人が多いのは悲しいことです。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月18日
こういう風水説とかはいい加減な説がやたらに出てくるので、原史料や論文を渉猟して現地調査もしながら本や記事を書く必要性があるのですが、そこをおざなりに済ませて適当に受信した電波を飛ばす人が多いのは悲しいことです
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月18日
あのねえ、電波を受信するのなら他所行ってやってよ、と言いたくなる人が多いこと。いずれまとめますが、江戸風水説で天海を持ちだした元凶は学研の「密教の本」ですよ。あの記述は本当に間違いだらけなのですが、あれを加門七海が本の名前を隠して引用したんじゃないかと思えるんですね
なっかわ @yaemon_the_tank 2013年4月18日
エッ、あなたは読んだことがありながら歴史書と気づかなかったのですか? もしくは歴史書の記載が記録でなく起源だと信じて書かれるなり、意図して詭弁を弄されるなりされたのですか!? "QT @matu2syun: @yaemonTheTank エッ、あなたは晋書を読まれたことはないのですか?! "
なっかわ @yaemon_the_tank 2013年4月18日
わたしも『あえて言えば観光ガイド程度の常識』(常識=正解ではなく、そんじょそこらの人がふつうに知ってるつもりの内容)て言い回しをしたのが『観光ガイドしか読んだことがないアホ』扱いされるとは思いませんでしたよ(苦笑
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月18日
yaemon_the_tank 風水説の典拠はほとんど歴史書です。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月18日
yaemon_the_tank 語るに落ちましたな。申し訳ないが今後書き込み頂いたものは全て削除します。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月18日
食って掛かってきた上に、誤謬を指摘されて逆切れとは恐れ入る。
松平俊介@暑い @matu2syun 2013年4月23日
まとめを更新しました。
語られざるもの、悉若無@神精宝具開発中(🌳)(💧)(💀) @L_O_Nihilum 2013年6月12日
yaemon_the_tank 「そもそも風水は呪術ではない」これは私の母も言ってたな。経験的な原則を体系化した図形であって,それこそ呪術にもつかわれはしたがそれ自体は「当時の」自然科学の体系にすぎない,と。言い換えれば,経験による自然にかんする知識を集積していけば,風水論のいうような形に(それこそ自然科学的な理由で)似通うことだってあっていいわけだと。
語られざるもの、悉若無@神精宝具開発中(🌳)(💧)(💀) @L_O_Nihilum 2013年6月12日
でも逆いうなら,それゆえ風水説をいまだに支持する理由もわからんて。風水ならびにあらゆる世界のZodiac的な「当時の」自然科学パラダイムとどっか一致してるからといってそれをじゃあ「風水だ」ってするのも,後付じゃないとありえない部分は多々あろう。
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