@hirakawahさんの「合理性の政治/正統性の政治」の区別に関するTW

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Hideyuki Hirakawa @hirakawah

昨日の「ポスト3・11の科学と『社会的なもの』」。個人的には小田川さんが示した「合理性の政治/正統性の政治」の区別がいろいろ響いた。自分の分野(STS)では「科学的合理性/社会的合理性」とか「合理性/道理性」という言い方で言ってきたことでもある。

2013-04-14 05:19:36
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)本番中は時間と機会がなくて言えなかったのだが、福島原発事故による低線量被曝リスクの問題は、「合理性の政治/正統性の政治」の区別が重要となることがたくさんある。リスク問題をめぐる多くの対立が、この二つの政治の間の軋轢、または後者を前者にすり替えてしまうことに起因してたりする。

2013-04-14 05:22:57
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)たとえば「線量基準を事故前と同等の1mSv/年に」という要求はしばしば「過大」だと批判されるが、その批判が念頭に置いているのは「実際にそこまで除染するのは莫大なコストがかかる」「そこまで下げなくても健康影響に大きな違いはない」という「合理性」である。

2013-04-14 05:25:20
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)しかし「1mSv/年に下げよ」と要求している人々が念頭に置いているのは、健康影響をできるだけ下げたいという合理性の面での要求だけではない。事故に責任を持つ東電や国に対して「原状回復」を求め、それができないなら代補措置を取れという道義的な要求であり、「正統性」の政治に属する。

2013-04-14 05:29:27
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)そもそもリスクの認識自体が、人間にとっては合理性と正統性の次元が入り混じっている。人間は発生確率という意味でのリスクの大きさだけでなく、場合によってはそれ以上に社会的・規範的な観点からリスクの「受け容れ難さ」を認識する。リスク受忍の正統性が問題とされる。

2013-04-14 05:39:36
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)リスク認識の規範的次元には例えばリスクと便益の分配の公平性、受忍するかどうかを自ら選択できるかという自発性(自己決定性)、リスクの原因者や規制者に対する信頼性などがある。低線量被曝リスクのように因果関係証明が困難・不能な場合は賠償・補償が得られるかという「救済可能性」も重要。

2013-04-14 05:44:50
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)そうしたリスク認識の規範的次元、正統性の問題をすっ飛ばして「○○のリスクは××より低いから受け入れよ」とか「××は気にしないのに、それより低いリスクの○○を受け入れないのは不合理」とか言うのは、人の足を踏んでおいて謝りもせず「この痛みはすぐ消えるから大丈夫」というようなもの。

2013-04-14 05:47:29
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)それともう一つ「合理性の政治/正統性の政治」ということで指摘したかったのは「専門知の正統性」ということ。専門知(文系の含む)というと、その妥当性というのは真理性を基準とする合理性に属するもののみという感じがするが、実はそうではない。

2013-04-14 05:49:40
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)つまり、政策決定等に専門知を使う時に、そもそも誰のどんな問題関心に基づいて、どのような問題として問題を立て(フレーミング)、どの分野のどんな専門家を招集するか、その専門家たちの利益相反のバランス、信頼性、プロセスの透明性や開放性(外部からの批判可能性)などが正統性を構成する。

2013-04-14 05:55:17
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)3.11で明らかとなったのは、まさしくそういう「専門知の正統性」であったはず。以前は「専門知=中立的」という素朴なイメージで虚飾された専門知の実態が明らかとなり、その正統性が厳しく問い質されるようになった。原子力規制委員会の人選に厳しい目が注がれたのはまさにそれ。

2013-04-14 05:59:31
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)そんな話も昨日は頭の中にはあったのだけど、ちょっと時間が足りなかった。まぁ、そのうち何かに書くことにしよう(そういや何か頼まれてたような??)。

2013-04-14 06:03:37
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)ちなみに自分がアレントに関心を寄せるのは、、科学技術問題について、合理性の政治に抗して、いかにして正統性の政治が可能か、そのための言論の空間を開くことができるかという観点から。『科学は誰のものか』も『ポスト3・11の科学と政治』の寄稿も、それが論点の中心。

2013-04-14 06:07:14