山本七平botまとめ/ユダヤ民族滅亡の責任を他に求めなかった”臨終医”ヨセフス

山本七平著『存亡の条件ーー日本文化の伝統と変容ーー』/第二章 民族と滅亡/客観的な、あまりに客観的なーー/26頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①では「民族の滅亡」とは何なのであろうか。 人間が消えることではあるまい。 多くの、滅亡した民族の″生物学的子孫″は、他の民族の中に今も生きている。<『存亡の条件』

2013-03-27 17:27:57
山本七平bot @yamamoto7hei

②『歴史としての聖書』の著者ケラーは、民族を、全人類という巨大なオーケストラの中の各メンバーと規定し、民族が滅びるとは「有史以来つづいている人類の文化という一大交響楽の中から、その民族という楽器の音が消えること」だという意味のことを言っている。 そう言えるかもしれない。

2013-03-27 17:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

③確かに人間は残るが、民族としては沈黙して消えてしまうのだから――。 では、民族は、どうして滅びるのであろう。 「敗戦で民族が滅びることはない」という言葉は、今では自明のことであろう。 これは太平洋戦争によって獲得した貴重な認識の一つである。 ではなぜ民族は滅びるのか。

2013-03-27 18:27:59
山本七平bot @yamamoto7hei

④さまざまなケースがあり、いろいろな診断が可能であろう。 そこで私はここに、史上稀に見る詳細さをもつ、ある民族の死亡診断書を提示し、われわれの自己診断の一助としたいと思う。

2013-03-27 18:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤「我々の都はかつて繁栄の極に達したのち、最も深い災の淵に転落した…。私の考えでは世界が始まって以来のいかなる悲運もユダヤ人のそれとは到底比較にならない…。 しかもその責任をいかなる外国人にも求める訳に行かないからこそ悲しみを押えられないのだ…。」(ヨセフス『ユグヤ戦記』Ⅰ③)

2013-03-27 19:27:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥自国・自民族の滅亡を、まるで「臨終に立ち会った」臨床医のような態度で書き記したフラウィウス・ヨセフスという不思議な人物は、紀元37、8年ごろ――イエスが十字架に架けられた2、3年後?――にエルサレムに生まれ、紀元102、3年ごろローマで死んだ。

2013-03-27 19:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦その生涯自体が一つの「小説」といいたいほど数奇なものだが、その要約は後に回し、彼の残した実に稀有な著作について、少し記そう。 なぜ稀有といえるのか。 通常、滅ぼされたものは記録を残さない。 歴史はほとんどすべて、勝者の手で記される。

2013-03-27 20:28:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧確かに勝者が敗者に言及し、また敗者が勝者の不当をなじる悲痛な叫びをあげている事はあっても…「臨終に立ち会った臨床医の目」で自民族いわば自らの死の「死亡診断書」を記した者はいない。 確かに傍観者の記録はあるであろう。 しかし傍観者はその病人を救おうと悪戦苦闘した臨床医ではない。

2013-03-27 20:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨前述のように彼は、自民族の滅亡を「その責任をいかなる外国人に求めることもできない」滅亡、 すなわち一種の民族の自殺、ないしは自ら招来した当然の帰結と見ても、不当にローマ軍に蹂躙された一小国の悲劇とは見なかった。

2013-03-27 21:27:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩戦争による敗滅は一種の清算もしくは火葬にすぎず、それ以前に、民族はすでに破産し、死屍化していたと彼は見たわけである。 では一体何が一民族を破産させ、一国を破滅させ、以後二千年の流浪と迫害を招来させたのであろうか。 そこには何か「滅亡の原則」のようなものがあって、(続

2013-03-27 21:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪続>その原則通りにすればいかなる民族も同じ様な道を歩むのであろうか。 私が彼の著作と同時代の関連史料から探ってみたいのはこの臨床医が見たその「滅亡の原則」であり、同時に彼の「診断書」を正しいとすれば、我々もその「原則」通りに同じ道程を歩んでいるのではないか、という問題である。

2013-03-27 22:28:01