山本七平botまとめ/フラウィウス・ヨセフス、民族の裏切り者であり、予言者であり、愛国者であり、臨床医であった男/~民族の滅亡を双方の立場から詳細に見続けた史上唯一の人物~

山本七平著『存亡の条件ーー日本文化の伝統と変容ーー』/第二章 民族と滅亡/ヨセフスの前半生/30頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【ヨセフスの前半生】だが、話は先に進みすぎたようである。 まずここで『滅亡について(ペリ・ハローセオース)』の底にある「原則」を、他の史料を併用しつつ追究して、もし、日本民族に生存の意志があるなら、「反面教師」になりうる「像」を描出してみたいと思う。<『存亡の条件』

2013-03-28 03:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

②だがその前に「臨床医」のヨセフスなる人物について、少し触れておかなければならない。 ヨセフスを臨床医にたとえたのは、いうまでもなく彼が、あらゆる手段で自民族を「死に至る病い」から脱却させ、死滅から救おうとしたからである。 彼にその意志があったことは何びとも否定できない。

2013-03-28 04:28:07
山本七平bot @yamamoto7hei

③だがそれは彼が名医であったということではない。 おそらく途中で内心では「処置なし」としてさじを投げたかも知れないが、最後の最後まで彼なりの努力をしたことは事実である。

2013-03-28 04:57:39
山本七平bot @yamamoto7hei

④従って彼は絶対に傍観者でも″評論家″でも取材者でもなく、あくまでも当事者であり、祖国を破滅から救おうと、第一線に立った人であった。 その点、少なくとも、最善をつくした臨床医だとはいえる。 その効果を度外視すれば――。

2013-03-28 05:27:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤従って、彼の見方とその「滅亡の原則」に進む前に、彼の生涯のうち、それを理解するに必要な部分だけを、ごく簡単に略記しておく。 彼の生涯を64年と仮定するなら、前半の32年をエルサレムおよびパレスチナで過ごし、後半の32年をローマで過ごしたことになる。

2013-03-28 05:57:39
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥人生が半々に、祖国と敵国、滅ばされた者と滅ばした者の側にいる。 そして、いずれの側にいるときも「高官」であり、従って彼個人の生涯に関する限り、危機はあっても破滅はなかった。 これが医者にたとえたくなる理由である。

2013-03-28 06:27:48
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦彼の出生は『自伝』(これには粉飾がある)によれば祭司の出、いわば神殿貴族・上流階級の一員で、神童といわれた秀才で(これはおそらく事実)、14歳のとき、長老たちが彼のもとへ教えを乞いに来たという――。

2013-03-28 06:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧当時ユダヤ教には、後述するようにファリサイ、サドカイ、エッセネの三派があり、彼は神殿貴族として当然にサドカイ派の一員であったが、まず自ら、この三つの流派を徹底的に研究した上で、ファリサイ派に属したという。

2013-03-28 07:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨26歳のとき(紀元64年ごろ)ユダヤ総督フェリクスに逮捕されてローマに送られた同僚の二祭司を救うべく、自らローマに赴き、さまざまな陳情をした末、ネロの寵姫ポッパエア・サビナの知遇を得た。 従って彼は、ローマの実力もローマ政府の考え方もよく知り、かつ”人脈”をもっていた。

2013-03-28 07:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩ところがローマからイスラエルに帰ってみると、全土に叛乱の気運がみなぎっている。 驚いた彼は、指導者たちにその無知無謀を説いて叛乱を思いとどまらせようとしたが、時の勢いをとどめることができず、彼は、親ローマ派、売国奴と目されるようになった。

2013-03-28 08:28:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪それ以後の行為は、太平洋戦争直前の親英米派(というより知米派)の行き方に似ている。 彼は″転向″して最も過激な叛乱分子の中に身を投じ、神殿区の要塞アントニア塔に立てこもった。 しかしその首領メナヘムの死と共にまたここを脱出、祭司長やファリサイ穏健派と共に和平工作を続けた。

2013-03-28 08:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫だが、すべては無駄であり、民衆は武装し「民衆蜂起・全員総決起」の様相になった。 66年の秋、シリア総督ケスティウス・ガルスが軍団を率いて鎮圧に来、エルサレムを包囲した。 だが陥落を目前にしながら、彼は撤退した。 これは今でも謎であり、その理由はわからない。

2013-03-28 09:27:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬この撤退をユダヤ人は急追し、思いがけない大勝利を得た。 いわば″緒戦の大勝利″であり、全パレスチナは、ほぼ叛乱側の手に落ちた。 だがそれもつかの間、ローマ軍の本格的反攻がはじまり、名将ウェスパシアヌスが、アンティオキアから南下して来た。

2013-03-28 09:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭その前にヨセフスは叛乱側のガリラヤ軍司令官となって同地にいたが、これを迎え撃ってヨタパタの要塞にこもり、46日間、ローマ軍を支えたが、ついに力尽きて陥落した。 当時のユダヤ人は捕虜にならず自殺した。

2013-03-28 10:28:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮これは…マサダでも同じで、その方法は、まず「くじ」で殺害掛り十人を選び出し、この十人が他の者を殺す。 ついで、この十人がまた「くじ」をひいて一人を選び出し、その一人が九人を殺す。 そして残った一人は自殺する、というまことに組織的な方法であっても、狂乱状態の集団自殺ではない。

2013-03-28 10:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯ここでは詳述しないが、これは、民族性を考える上で、相当大きな問題ではないかと思う。 マサダの発掘で、ヤディン教授は…この「くじ」に用いたと思われる陶片を発掘している。 …ヨタパタ陥落後にユダヤ人たちがとった方法もこれと同じであった。

2013-03-28 11:27:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰ところが、この「くじ」において、ヨセフスともう一名が最後まで残った。 そしてヨセフスは、この一名を説得して、ローマ軍に投降したのである。

2013-03-28 11:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱これが彼の、自分が生き残るための計画的な予定行動であったか否かは、まさに「神のみぞ知る」であろう。 そしてもしそうなら、恐るべき「冷静さ」というより「冷血」といった感じがする。

2013-03-28 12:28:00
山本七平bot @yamamoto7hei

①【祖国と敵国の間で一人二役】ヨセフスはウェスパシアヌスのもとに引き出された。これは紀元67年の7月頃と思われる。 彼は当然にローマに送られ処刑される運命にあった。 ところがヨセフスはウェスパシアヌスに奇妙な予言をした。 「貴方はいずれ皇帝になるであろう」と。<『存亡の条件』

2013-03-28 12:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

②これらが、すべてを細かく計画してのことなら、一種、天才的知能犯ともいえよう。 というのは、当時の皇帝はネロである。 彼をローマに送って、ポッパエア・サビナを通じて、こんな予言をネロの耳に入れられたら、彼より先にウェスパシアヌスの命がない。 従って到底ローマヘは送れない。

2013-03-28 13:27:59
山本七平bot @yamamoto7hei

③同時にウェスパシアヌス自身この予言に興味を感じていたであろう。彼は陣中に引き留められたままになった。 やがてネロが死に彼の予言は的中する。 そして以後の彼の生涯は文字通りにフラウィウス家(ウェスパシアヌス家族名)の賓客であり、その姓を貰ってフラウィウスと名乗っていた訳である

2013-03-28 13:57:46
山本七平bot @yamamoto7hei

④この予言は相当に有名な事件であったらしく、ローマの史家もこれを記している。 だがユダヤ人の目から見れば、彼は、同胞を自殺させ、祖国を壊滅させた指導者の一人のくせに、ただ一人栄達を獲得してローマ貴族になっているとんでもない破廉恥な裏切者であったろう。

2013-03-28 14:27:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤といっても、彼自身…すぐローマに行ったわけではない。 …ユダヤ戦争の後始末はその長子ティトゥスが担当した訳だが、彼は終始その陣中にあって、自国の滅亡を敵の総司令部から眺めていた。 だが、彼自身、単なる観戦者でなくエルサレム包囲攻撃の時に通訳兼降服勧告の使者となっている。

2013-03-28 14:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥だがこのときは、ローマ軍から寝返りを警戒され、ユダヤ人からは裏切者として憎悪される立場に立った。 一民族の滅亡において、彼のような立場に立った者はきわめて珍しい。

2013-03-28 15:27:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦いわば、最初は大本営の一員、一軍の司令官で、のちにアメリカ統合参謀本部にいて、太平洋戦争を、直接に戦っただけでなく、双方でこれを最高司令部にいて見つづけたという人があれば、その人の体験はヨセフスに匹敵するわけだが、私は彼以外に、このような立場に立った者を知らない。

2013-03-28 15:57:44