普仏戦争で負けたフランスでは、第2帝政が崩壊して第3共和制が始まります。ここでの政軍関係はどうだったか、というと、当初から波乱含みでした。
2010-09-08 23:12:17まず「ボッシュとの戦争に負けた」という屈辱。さらに「パリ・コミューンを鎮圧した」という現実。これらのため、第3共和制での政軍関係には、当初から暗雲が立ち込めます。
2010-09-08 23:14:10フランス軍の将校が保守派揃いだったというのは、必ずしも正しくありません。特に砲兵や工兵は歩兵や騎兵と違って平民の将校が多かった事もあり、むしろ左傾化が心配されるくらいでした
2010-09-08 23:16:52とはいえ、ナポレオン3世が自らの権力基盤の一つを軍に求めた事もあり、「軍=保守」というイメージは政治家の間にも国民の間にも広まっていました。
2010-09-08 23:18:27軍の政治的信頼性に対する不安は残るとはいえ、ドイツに対するレバンシェ(復讐)は果たしたい。WW1前のフランスの政軍関係は、このように揺れ動いていました
2010-09-08 23:22:55さて、レバンシェに燃えるフランスではありますが、攻勢を選ぶか防勢を選ぶかは議論の余地が有りました。復讐戦のためには攻勢をとる必要があるものの、フランスの国力がそれを許さない。徴兵制度等をめぐり、政治的な論争が続きます。
2010-09-08 23:28:19そうこうする内に、小康状態だった政軍関係に決定的なダメージを与える事件が発生します。ドレフュス事件です。軍はこの不祥事の処理に失敗し、その威信を決定的に傷つけてしまいます。
2010-09-08 23:30:49更にその後、軍を批判することで政局を動かしたクレマンソーが、軍を積極的に使ってストライキやデモを鎮圧します。国民は手の裏返したクレマンソーではなく、実際の鎮圧に当る軍への不信感と嫌悪感を募らせていきます。
2010-09-08 23:33:17嫌われ者の軍には配分される資源も少なくなり、下士官はもとより将校も、尊敬されるどころか生活するのがやっとの状態でした。このような軍隊は、何を拠り所にしたのか。
2010-09-08 23:35:46名誉も資源も与えられない、国民から遊離した軍が拠り所にしたのは、仮想敵に対する攻撃精神でした。「必要な物的戦力がなくても精神力で何とかする」ことが軍人に求められたのです。
2010-09-08 23:38:35同時に、これは軍人自身の士気を維持するためにも必要でした。将校は「精神力で何とかできるんだから、もっと頑張れ」と部下を励まし、同時に自分達も催眠にかけたのです
2010-09-08 23:40:21国民の支持は必ずしも得られない。仮想敵のドイツは重工業が発達し、その兵器は質的にも量的にもフランスを上回る。この状態を覆せると思い込むためには、攻勢主義と精神主義に対する信仰が必要でした。
2010-09-08 23:43:43なお、フランスの国防大臣が「我が国は戦える状態にない」と認めたのは、1914年7月のことです。翌月にはドイツ軍がフランドルの沃野を席巻し、開戦後1週間でフランス軍は14万人の戦死者を出しています。死傷者ではなく戦死者です。
2010-09-08 23:46:55救いがあるのは、攻勢主義への偏重を批判した高級将校が必ずしも割を食うこと無く、WW1中盤以降の戦争指導に関わることができた、ということでしょうか。また、開戦後は政治が確固とした姿勢を示したのも、戦勝獲得に不可欠でした。
2010-09-08 23:57:25