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あーるえっくす。 @3or7935
事実を如何にして知るか。という問題として、その様な認識論のもとある事実を知っている時に。それは何かのその事実の持つ性質によって齎されている。というのはどうもしっくり来ない。
あーるえっくす。 @3or7935
事実とは何か。というと困難になるけれれど、ある事実がその性質の複合によって成り立つのであれば「ある事実が、その事実であるための性質を持っている。」という事実がある、それがその事実であるためのその性質。の様に延々とその分割が可能ではないか。若しくはもっと厳格な「事実」を見つけるか
あーるえっくす。 @3or7935
こんなもんでいいか。感を、見て取る。
ヌッコロQ @nukkoroQ
あるものがあるものであると私が確信することはどうして起こるのか、どうして可能なのか
ヌッコロQ @nukkoroQ
そもそも、あるものをあるものと確信するとは。あるものはあるものであり他のものではない、と確信する。確信する?私のいる世界のなかで私の存在と切り離してもなお、あるものはあるものとして存在し続けるだろうという信念…
ヌッコロQ @nukkoroQ
いや、物理的に…なんていうのかね、一定の空間を占めて存在しているものと、そうやって存在しているあるものとあるものとの間に、ある関係性が成立していることは全然違うだろ
ヌッコロQ @nukkoroQ
妹が存在していることと、兄妹関係があることは違うだろ
ヌッコロQ @nukkoroQ
いや、「妹が存在している」という事実はある男女間に「兄妹関係が成立している」ことを前提にしているのではないか
ヌッコロQ @nukkoroQ
現実世界と虚構世界とのちがいは
ヌッコロQ @nukkoroQ
これは違う。私が私の妹を認識するのと、私ではない男女をみて、そのうちの女性の方を妹だと認識するのは違う
ヌッコロQ @nukkoroQ
私が想像する世界において何かが存在するとはどういうことなのか。
ヌッコロQ @nukkoroQ
あなたの前に描き出す、という明確な目標があるからそこに絞って考えたほうがいいな
ヌッコロQ @nukkoroQ
そうか、関係性てのは先に二者があって、それらが関わりを持つと認められるだけの情報があれば、自ずと関係性というものはあらわれてくる
ヌッコロQ @nukkoroQ
いや、そういうことではなくて、虚構というのは、それを指し示す言語と、関係性の内容との食い違いのことをいっていたのだったか
ヌッコロQ @nukkoroQ
そうよ。たとえAがAであると直感的に認識していても、なぜAはAなのかと証明を求められたら、演繹的に考えるように誘導されてしまう
ヌッコロQ @nukkoroQ
虚構の兄妹はその関係性に血縁や戸籍等の現実の証拠を持たない。そういった証拠は個別の実在の兄妹同士の間にしかない。
ヌッコロQ @nukkoroQ
証明することと確信することは違う
ヌッコロQ @nukkoroQ
演繹によって確信するのではない。確信、直感による認知? 演繹による論理のくみたてが必要になった時点でそれはあり得ない。
ヌッコロQ @nukkoroQ
直感による認識は「それが間違いなく認識した通りのものであるという性質」によって導かれるのではない
ヌッコロQ @nukkoroQ
ふたりが兄妹である事実が私がふたりを兄妹だと直感的に知る原因になっているのではない
ヌッコロQ @nukkoroQ
とすると、関係性が現実であるか虚構であるかというのは、私がある関係性を特定のそれとして認識することとは関係がない
ヌッコロQ @nukkoroQ
関係性の認識は、やはり、それ「らしさ」を私が直感としていかに判断しているかということなのだろう。
ヌッコロQ @nukkoroQ
じゃあ「らしさ」って何?を考えればいいね
ヌッコロQ @nukkoroQ
一度書いたが、「妹」は兄妹という関係を前提として存在する
ヌッコロQ @nukkoroQ
私の認識に限っていえばこうなる。 男と女がいる → ふたりが兄妹であると(直感的に)認識する → 女のほうが妹であると知る
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