渡邊芳之先生ynabe39の「「人間以外の生命を殺して食べる」ということのすべてについて人間が責任を負い,倫理的な痛みを感じながら生きるのか,「殺していい生命とそうでない生命」をあらかじめ決めて,その線引きを守るかぎりは痛みを感じずに生きてよいと考えるか,」
人間以外の生命の尊厳を考えるときには大きく2つの思考パターンがある。ひとつは植物だろうが虫だろうがすべての生命は同等に尊いから,奪わないほうがいいという点では植物だろうが虫だろうが人間だろうが同じだ,しかし人間は他の生命を奪わずに生きていけないからしかたなく殺すのだ,という考え。
2013-04-20 07:55:17そう考えた上で,同等の尊厳を持つ生命の中でどの生き物を殺してよいか,どの生き物を食べてよいかというのは人間の責任において,倫理や社会的同意によって判断されていくという考え方。
2013-04-20 07:57:22もうひとつの考え方は,生命には人間と同等の尊厳を持つものとそうでないものが(程度問題として)存在して,われわれは人間と同等の尊厳を持つ生命は殺したり食べたりすべきではないが,そうでない生命については自由に殺したり食べたりしてよいのだという考え方。
2013-04-20 07:59:31この考え方ではさまざまな意味で「人間に近いもの」の生命ほど大切にされ,人間から遠ざかるほど「殺しても食べてもかまわないもの」になる。動物愛護と結びついたベジタリアン,類人猿には人間と同等の権利を,痛みや苦しみを意識できる脊椎動物は殺すな,といった立場はこうした考え方の仲間である。
2013-04-20 08:01:52そう考えた上で,「人間に近い尊厳を与えるべき生命」とそうでない生命の間に線引きして,尊厳のある生命は人間と同等に守られるべきだが,そうでない生命は殺しても食べてもとくに人間が倫理的な責任を感じる必要はない,と考える。
2013-04-20 08:04:042つの考え方の大きな違いは「人間以外の生命を殺して食べる」ということのすべてについて人間が責任を負い,倫理的な痛みを感じながら生きるのか,「殺していい生命とそうでない生命」をあらかじめ決めて,その線引きを守るかぎりは痛みを感じずに生きてよいと考えるか,にある。
2013-04-20 08:05:41創世記の記述をあげるまでもなく,西欧の文明はどちらかというと後者の考え方,尊厳のある生命とそうでない生命を峻別する考え方に基づいて生命と接してきていると思う。「クジラを守れ」「馬肉を食べるな」などもクジラや馬はなんらかの意味で人間と近い尊厳のある生命なんだから殺すなということ。
2013-04-20 08:07:47@ynabe39 それはアングロサクソン系に多いのですよね。ラテン系の人は「豚や牛は人間に食べられるために神様がお造りになった」と考える人が多い気がします。クジラは知らないけど馬肉も食べます。
2013-04-20 08:17:25一方われわれ日本人や東洋の人間は前者の考え方,命にはすべて同じ尊厳があるという考え方に親しみを持ちやすい。私もよく動物愛護型のベジタリアンには「植物の命は殺して食べていいのかよ」的な違和感を持つ。
2013-04-20 08:08:59@ynabe39 一神教の神様は最初から自分を信じる者には幸いを、そうでない者は別に構わないという選民性から成り立ってますからねえ。しかも信徒の中でも命じれば我が子を焼く親の方を了としてますから命には差があると考えるのかも知れませんね。食べて良いものでさえ交差しただけでNGですし
2013-04-20 08:12:34@ynabe39 考えて見ると純粋性の維持を最上とするか、混沌であることを受容れるかの差なのかも知れません。人の世はこのどっちかに極端に振る事はできないことを判った上で後者を悪とし戒めるのか、後者を人の世の常として受容れるのか。純粋性を守る側からは混沌なものは全て悪魔なのかも
2013-04-20 08:15:14ヘイトスピーチにも表現の自由はあるが倫理や社会的同意に基づいて制限することはできるという考え方と,ヘイトスピーチにはもともと表現の自由はないから規制してもかまわないのだという考え方の対比と,生命の尊厳についていま述べた対比はパラレルに見える。
2013-04-20 08:12:02東洋で(まああえてざっくり言ってしまえば)初めて西欧型の表現の自由を享受できるようになった国民が,「誰かの表現を制限すること」についても西欧型の方針を取れるのか,それともそこに東洋型の何らかのオルタナティブがあり得るのか,というのは気になるところだ。
2013-04-20 08:16:35これもあえて乱暴に言ってしまうと,東洋の国に表現の自由が根付くためには「表現の自由のマイナス面の解決のしかた」についても西欧型のやりかたをきちんと受け容れるか,あるいはそれについて東洋型のやりかたを開発するか,どちらかが必要なのではないかとは思う。
2013-04-20 08:17:59まあ「生命の価値」ぐらいのほうが無難。「生命の絶対的価値」「それ自体の価値」とかでもいいかもしれないけど、こうなっても比較を許すかどうか。
2013-04-20 08:21:13「○○は痛みを感じる力があるから殺しちゃダメ」「××には人間のような神経はないから食べてもOK」みたいな話を「ナンセンス!」と言えないのもおかしいよなあ,とよく思います。
2013-04-20 08:23:12「人間はいじめちゃだめです。」「なぜですか」「その人が苦しむからです。」「んじゃ植物は神経系ないので少なくとも人間と同じようには苦しまないので切ってもいいですか」「まあいいかもしれません」ぐらい。
2013-04-20 08:25:10@eguchi2013 神経系に障害があって痛みを感じない人は切っていいでしょうか,という話になりますね。極端にマジレスですいませんw。
2013-04-20 08:26:12「自分のやっていることの論理的正当性をどのくらい求めるか」ということで,いまやっていることがどうしてもやめられない,どうしてもやらなきゃいけないことである時に「それが正当になるような世界観」を持とうとするか,「いいことではないけどしかたないんだよね」とあきらめられるか。
2013-04-20 08:28:09