- babanshika
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百合の内ゲバ、09年くらいに危惧してあんな記事やこんな記事を書いたけど、力及ばず内ゲバは更に進むばかりで、この数年で「新本格推理小説」のムーブメントがその排斥によって「終わった」と笠井潔が指摘するような、そういう「終わり」が百合にくるかもしれない。つまり、百合ブームの終わり。
2013-04-18 23:26:06結局あとから振り返る以外の方法はないのだけれど、「マリみて発刊」と「百合姫リニューアル」を区切りとして3つくらいの時代わけができるんじゃなかろか。
2013-04-18 23:28:46百合ブームが崩壊するとしたら、それは外圧ではなく、内部崩壊だろうね。排斥的な人はどこにでもいるし、そういう人が中立的な人をよってたかってボコボコにして、バランサー役の人を潰す。そして、「宗派」による内ゲバが始まる。何を指しているかって?内緒。
2013-04-18 23:33:52百合を体系だってまとめたひとは過去にもきっといるだろうからここで改めて細かくはやらないけど、氷室冴子、今野緒雪は始祖たる吉屋信子が創造した「百合」(言葉は伊藤文學ですが)、その本来的需要層をターゲットとするコバルト文庫のエース作家として非常に重要視している。
2013-04-18 23:49:08エスと百合が同じか違うか、って話は不毛なのでしないとして、Sisterhood的、つまりティーンエージャーの女の子を主要ターゲットとした吉屋信子の「少女小説」の精神が、氷室冴子には色濃く残っているが、今野緒雪の時代にまで下ると、その「自覚」「自意識」だいぶ薄れているように思える。
2013-04-18 23:51:36百合姫がその創刊当初から「女性7割」「男子禁制!?」を標榜し、女性読者層が専らであることを宣伝材料としていた(本当かどうかは知らない)。これが何を意味するかといえば、その一つは「女の園に潜入する」というマチズモを煽情しているように思える。いわば、古来からの男性的視姦の文化。
2013-04-19 00:01:56古典的アプローチでいけばそうだけど、近代的アプローチでいけば、「女性化願望」、つまりマチズモを充足させるのではなくむしろ切り捨てる、自らも女なのだから「男子禁制」なんて関係ない、むしろそれが男子でないことを補強する。視姦が客観だとすれば、こっちは主観。物語への没入を促す。
2013-04-19 00:03:50「女性のための百合」という言葉があるならば、それは取りも直さず「男性のための百合」のカウンターカルチャーである。それだけ、「百合」が男性向けのカルチャーとしてその地位を奪われてしまったわけだ。全く相容れないふたつの層が、一つ屋根の下にいるわけだからそりゃあ揉めても仕方ない。
2013-04-19 00:06:57いま、百合の看板を掲げる作品で男性読者層を想定していないものはおそらく無いだろう。そりゃあ、単純にいって市場の大きさが2倍にも3倍にもなるのだから、戦略的に至極当然。ただ、厄介なことには、女性はおろか男性の中にもそういう「あざとさ」を忌避する層がいる。彼らも独自の一派を築く。
2013-04-19 00:10:2480年代に徳間書店から出てたプチアップルパイとかあの辺の、しかも女性作家陣(めるへんめーかー、さえぐさじゅん、あたりの方々)ばっかりで出してた本とかは、今の百合関係の本の先取りだったと思う。というかそれらと同じコンセプトで今やってるのが今の百合の本だな、と思ってる。
2013-04-19 10:45:32内戦だよマジで。悲しかった。普段こういう人間でありたいとか言ってた人たちだけに。やっぱり例えヒーロー好きの人達だとしても、そういうことをするのかって
2013-04-19 00:21:09@drcken_takosu 例えば、一般の人にとってどうでもいい、ボーイズラブの キャラAとキャラBでは AxB と BxA では、ファンにしてみれば全然違うってのはよく聞く話ですね
2013-04-19 00:25:49@drcken_takosu 外の人からみて「違いが判らない差異」が許容できないものとして耐えられないと亀裂ができるものらしいですね
2013-04-19 00:28:25