山本七平botまとめ/ユダヤ民族が消滅しなかった理由とは/~古代ユダヤ国家滅亡の一因「民衆蜂起万能信仰」~
- yamamoto7hei
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①【世界最初のグリラ戦記】通俗史家ヴァン・ルーンが面白い事を言っている。 もしエピファネースがこういうばかげた事をやらなければ、時と共にユダヤ人はヘレニズム化して、完全にギリシア=ローマ世界の中に吸収されて消えてしまったであろうと。 これは常にいえる事らしい。<『存亡の条件』
2013-03-29 03:27:48②毛沢東が批林批孔をやらなければ、逆に孔子は消えたかもしれぬ。 非常に強力な伝統文化は、権力者の弾圧で逆に自覚され、再把握され、蘇生してしまう。 なぜなら、人びとは今まで無自覚で抱いていたものを、「批」という形で自覚させられるからである。
2013-03-29 03:57:40③従って放置しておけば侵蝕され消えるものが、逆に強力な形で再生する。 これはいずれの国にもある現象で、キリシタンが、古代日本の「霊魂」という意識を再生させた面白い例を、村松剛氏が『死の日本文学史』でとり上げている。
2013-03-29 04:27:51④事実、エピファネース時代までに、パレスチナにはすでにヘレニズム文化の大きな浸透があり、ギリシア語、裸体競技が行われ、ギリシア式劇場、ギムナジウムなども、大都市には設立されていた。 また、国内に、ヘレニズム化を進めようという有力なユダヤ人がいたことも事実である。
2013-03-29 04:57:39⑤ただそれは、大体、都市と上層・知識階級に限られていた。開高健氏がベトナム問題でいわれたホモ・サピエンス(知の人)とホモ・ファーベル(手の人)の違いであろうか。 エルサレムは比較的抵抗なく、シリア軍による″解放″を受け入れた。 いわばそれが「歴史の流れ」だという認識であろう。
2013-03-29 05:27:49⑥そしてこの認識は必ずしも誤りでない。 ただ彼らは、意識的に導入した″解放″が当然に弾圧であることを見逃していた。 『マカバイ記』は、この″解放軍″を積極的に導入した人びとのことを記している。 ″解放″は、当然、一転して弾圧となった。
2013-03-29 05:57:39⑦『…彼ら(シリア兵)が見つけ出した律法の書は、これをばらばらに裂いて、焼いてしまった。 だれでも、契約の書をもっているのを見つけられた者や、律法に同意している者があれば、その人は王の命令で死刑に定められた…
2013-03-29 06:27:47⑧また…子供たちに割礼を受けさせた女たちを、生まれたばかりの子供をくびにかけさせて殺した。 その家族全員…もみな死刑にした。 にもかかわらず多くのものは…聖なる契約を犯すより、死をえらんだ…事実彼らは死んだ。 大いなる怒りがイスラエルの上にのぞんだ。」
2013-03-29 06:57:41⑨とはいえ、これらの文章は、全員の抵抗を示していない。 多くのものは、恐怖にかられながら、その弾圧を見つつ、自分がそれにまき込まれることを恐れた。 ヘレニズム化という、伝統的文化からの″解放″は、成功しそうに見えた。 そこで王は、農村へと進出した。
2013-03-29 07:27:52⑩ところが、その部隊がエルサレム北方…のモデインという町に来た時、明確な抵抗につきあたった。 この町の祭司ハスモン家のマタテヤは、勅命を実行せよというシリアの役人と、実行しようとした一農民を斬り殺すと「律法に熱心で、契約を守ろうとする者はわれにつづけ」と叫んで山地に逃れた。
2013-03-29 07:57:39⑪そして彼の五人の息子とその周囲に集まったハシディーム(純清)派といわれる人々により抵抗運動が始まった。この抵抗運動とハスモン朝の成立を記した「興国史談」が『マカバイ記』である。 これは「民衆蜂起」対「正規軍」の戦いという…古典的な記述であり、恐らく世界最初のゲリラ戦記である。
2013-03-29 08:28:01⑫最初は僅か六千人だが、民衆は自らの意志で自覚的に指導者マタテヤの周りに集まり、次から次へとシリアの正規軍を打ち破る。時には敗れて山中に退く事はあってもまた出撃する。そして戦いつつ教宣活動を行う。 民衆はそれにより次第次第に目ざめ、ついにエルサレムを奪回し汚された神殿を清める。
2013-03-29 08:57:42⑬のちの「宮潔めの祭」のはじまり――まことに「絵に描いたような」解放戦記の古典なのだが、歴史家は、その記述――特に「シリア正規軍」対「民衆ゲリラ」の戦いという図式――に疑間をもつ。 発端は、その記述通りだったかもしれない。
2013-03-29 09:27:56⑭だがそのすぐ後に、有力な援助者が現れたはずで、彼らはその援助者から武器援助を受け、かつ軍事顧間がいて彼らを訓練し、正規軍同様に方陣を組んで、シリア軍と戦ったのではないかと――おそらくそうであったろう。 そしてこのことは、ベトナム戦争にもいえる。
2013-03-29 09:57:44⑮ただ違いはその時の援助者がローマであったことだ。 ローマは当時、現在のソヴィエトが東南アジアヘ手をのばしはじめたように、小アジアヘと手をのばしはじめていた。 従ってその背後のユダヤ人に援助するのは当然であった。 そして、両者はすぐに、公然たる同盟関係に入る。
2013-03-29 10:27:59⑯のちにユダヤ人を滅ぼしたローマ人も、まず同盟者・解放軍援助者として登場したのであった。 長い争いののちシリアは敗退した。 だがこの敗退の理由も、ユダヤ人のみが原因ではない。 だが、後代はそうは考えなかった。 そしてここに、ユダヤ人最後の王朝、ハスモン朝が成立した。
2013-03-29 10:57:42⑰この解放に関する祭りは今も残っている。 そして老祭司マタテヤの三子…ユダが英雄化され、その渾名マカバイ(鉄槌)が、この一族の通称になる。 …この民衆蜂起、英雄物語とそれに関する祭りは、一種の「民衆蜂起万能信仰」という形になり、これがのちの、ユダヤ人滅亡の一因になっている。
2013-03-29 11:27:55⑲というのは、彼らは「神の律法を掲げた指導者のもとに結集した民衆蜂起によって勝利し、その指導者が開いた王朝の、その伝統のもとに」生きつづけたからである。
2013-03-29 11:57:42⑳そして、その相手はあのアレキサンダー大王の後継者、大シリア王であった。 従って、ローマに対してもこの図式で勝てる筈だと。 だが、この解放は、現実には奇妙な状態を現出してしまった。
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