山本七平botまとめ/普通人は”ミディアム”を選ぶ/~律法に殉ずることもできないが、かといって律法を捨てローマ化することも出来なかったサイレント・マジョリティのユダヤ人達~

山本七平著『存亡の条件ーー日本文化の伝統と変容ーー』/第二章 民族と滅亡/エッセネの「生活十八カ条」/51頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①エッセネについては前述のように、ヨセフスもフィロンもプリニウスも記しているが、ここでフィロンの記すその生活…を記しておこう。<『存亡の条件』

2013-03-30 07:57:39
山本七平bot @yamamoto7hei

②(1)この立法者は多くの弟子を交わり〔の生活〕のために訓練した。 彼らはエッセネと呼ばれるが――私が思うに――彼らの聖潔さの故にこの名にふさわしいと思われたからであろう。 彼らはユダヤの多くの町々、村々に住み、大きな、数の多い共同体をつくって住んでいる。

2013-03-30 08:28:02
山本七平bot @yamamoto7hei

③(2)彼らの生活〔の仕方〕はその自由を立証している。 だれ一人、私有財産を何らもとうとしない。 家であれ、奴隷であれ、土地、家畜であれ、その他富を約束する材料となる一切のものをもたない。 彼らはすべてのものをもちよって共同の財産に入れ、すべての利益を共同で楽しむ。

2013-03-30 08:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

④…(14)更に彼らは結婚を共同生活を妨げる唯一最大の力をもつものと見きわめているので、これを避ける。 もう一つの理由は彼らが非常に節制を重んずるためでもある。 エッセネは妻をもたない。 妻というものは利己的で…度外れに嫉妬深く…夫を迷わせるからである。…

2013-03-30 09:28:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤【普通人は″ミディアム″を選ぶ】以上の記述…を総合すると一種の人民公社とも解放区とも見得るであろうが、しかしこれがエッセネの全てではなく、恐らくその思想団体の中心となって一種の共同体を構成していた人々への記述であろう。

2013-03-30 09:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥ヨセフスは結婚を肯定しているエッセネについても記している。 また多くの町や村に、彼らの生き方に強い共感を有し、できうる限りそれを規範とする生き方にしつつも、同時に″市民生活″をもしていたという人びとについても語っている。

2013-03-30 10:28:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦だが、彼ら自らが、自分の生き方こそ伝統的で自分の思想こそ純粋にイスラエルそのものだと信じたことは、それがそのままその通りであったということではない。 …さて、ここに一つの問題が出てくる。 それは、以上の二極端の間にいる最大多数者である。

2013-03-30 10:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧その多数者は、サドカイのように律法を形骸化・空洞化・儀式化してこれを外面的には尊重しつつ、実質的には完全にギリシァ=ローマ化する、といった行き方はできない。

2013-03-30 11:27:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨とはいえ、エッセネそのもののように、律法のためすべてを捨て、財産も家庭も命も捨て、ローマ化されていないと自ら信じうる隔絶した集団の中で、完全にその理念だけで生きていくこともできない。

2013-03-30 11:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩これさえできれば、それは二重の基準ではないから何の問題もないのだが、多数者には、それは不可能である。 これは、町や村に住む、普通の市民としてのエッセネにもありえた問題であろうが、同時にまた当時の全ユダヤを包んだ問題でもあった。

2013-03-30 12:27:59