山本七平botまとめ/二重の基準を生きるユダヤ人多数派が選んだファリサイズム/~自分達の現実の生活規範と古来の律法を”口伝”でつないだファリサイ派~

山本七平著『存亡の条件ーー日本文化の伝統と変容ーー』/第二章 民族と滅亡/普通人は”ミディアム”を選ぶ/56頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①一体どうすればよいのであろう。 方法は一つしかない。 自分たちの現実の生活規範と古来の律法とを、何らかの方法でつなぐしかないのである。 これをつないだのがファリサイであり、つなぐための解釈・敷行がのちにミドラシュとして文書になった。<『存亡の条件』

2013-03-30 12:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

②だがこれは最初、あくまでも口伝として文字にすることが禁じられていた。 というのは、固定化されて、これが律法になることを防ぐためであったろう。 確かに、こうしない限り、古い伝統と現実をつないで、伝統を生かしてそれに従って生きることができない。

2013-03-30 13:27:57
山本七平bot @yamamoto7hei

③前に述べたサドカイ派が「旧約聖書のみ」といったのは、この口伝を拒否する意味もあった。 伝統を空洞化した者にも、伝統を理念化して現実生活を捨てた者にも、確かにこれは不要なものであった。

2013-03-30 13:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

④だがしかし、ファリサイの行き方は、どういう行き方をしようと、偽善とも裏切りとも「ごまかし」とも見える行き方になり、何を言おうと、それは、自己弁護であり言い抜けであり、また自分だけがいい子になって愚痴を並べるに等しくなってしまう。

2013-03-30 14:27:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤そして、それをまじめに生きれば生きるほど、悩めば悩むほど、まさに「ヨセフス」になってしまう。 それがファリサイ派の一面であり、そしてそれは、実は、現代の日本人の生き方と、非常に似た点が出てくるのである。 そして考えようによっては、出てくるのがあたりまえである。

2013-03-30 14:57:41