本当にわからなくなっている。「妹をまっさらな存在にしてなお妹と呼ぶとき、それはなにものなのか」…ではないとして、僕は「妹が存在する」ということをどう書いたらいいのかわからん。
2013-04-26 01:33:08こないだ流し読みした変態小説には、兄と妹は体の相性が良すぎてセックスが気持ち良すぎるからセックスしちゃいけない、みたいなこと書いてあった
2013-04-26 01:40:05@gumB46 仮であるかも知れないけれど「ではないこと」に対して「少なくとも何らかの存在であるそれを妹と呼ぶ時のそれはまっさらな存在であり得るか?」と思う
2013-04-26 01:41:13@3or7935 どう判断すればいいかわからないですね。妹からさまざまなものを取り除いていって、出来上がったものが、「まっさら」であるかどうか、判断する術があるのかどうか。
2013-04-26 01:45:50私はどの様に書いても、「それ」を表現できる。私はどの様に書かれていても、「それ」と読み取れる。客観的事実は知り得ないという立場からそれを「事実として」掲げて、ただし自由に「それ」を決定できることは意味しない。とかそんな感じだろうか。
2013-04-26 01:47:37なるほど、そう表現できるのですね。 「それ」が「それ」であることの決定など、いつまでたってもできないのじゃないかという気がする。というか、そもそも「客観的事実」とはなんなのか。
2013-04-26 01:51:53@gumB46 ある「捉えた対象(存在)」から何かの要素や性質をを取り除く事はできないと思う。それから何かが取り除かれたそれというのを考えた時にも、それはいまだにその「捉えた対象」を考えている(捉えている)事にほかならない。のではないか
2013-04-26 01:52:59@3or7935 何かを捉える、というのが、わからなくなりましたが、捉えるとはどういうことなのでしょう。「りんご」が「赤い」といったときに、私が、その「りんご」を 捉えた のである限り、「りんご」から「(その)りんごの赤さ」を取り除くことはできないのでしょうか?
2013-04-26 01:57:30記述の上だけで成り立つことであれば私がそれを知覚しなかったことにして、それはその性質を持たないそれであると、仮定することはできないか?
2013-04-26 01:59:20@gumB46 それは赤いリンゴという対象を捉える事と。そのりんごという例えば性質である様な事を対象として捉える事を混同している。と考えられないだろうか。「そのリンゴから赤さが取り除かれるには、少なくともそのリンゴが赤くなければならない。」
2013-04-26 02:05:28@gumB46 ただ、これは反対に考えて見ると「何かに『妹』である性質なりが加えられると考える時にはそれは『妹でないもの』ではなくてはならない。」となるようにも思える。
2013-04-26 02:09:47@3or7935 「赤いりんご」そのものを対象として捉えるのと、「赤いりんご」の持っている「赤さ」といった性質などを対象として捉えることは、別のことである?
2013-04-26 02:12:53いや、「りんご」であるという「性質」? 「りんご」の持つ「性質」ではなく、「なにか」が「りんご」であり「赤さ」を持っていて…ということか
2013-04-26 02:14:06すっごくウィトゲンシュタインの論考的な話だと思うためにそこに多大に影響されて思考していると感じる。しかしその文脈にはからきし則っとれていないようにも思える。
2013-04-26 02:17:16@gumB46 「妹」その言葉が表せる事は無数にある。その中に連関する別の事というのも様々ある、さらにそれらは集めた総体としての「妹」を考えて、それが何かの意味を持つか。ここで言われる「妹」や「リンゴ」だとかが「それぞれ」何を名指すことを指示しようとしているのかを注意しなければ。
2013-04-26 02:22:26@gumB46 何かを性質と考えられる時に、その性質の主体となるものが対象ではないか。「赤さという性質がある」という時には「赤い」という「事自体」が対象になり得るのかも知れないけれど、少なくとも「このリンゴには赤い性質がある」と捉える時には、「そのリンゴ」がいつまでも対象となる。
2013-04-26 02:27:23