中東戦争におけるアラブ側MiG-19/21に関するメモツイート(1)
【Arab MiG-19 & MiG-21 Units in Combat (Combat Aircraft)/David Nicolle】を読んでる本に追加 →http://t.co/XAQxzo61Hm #bookmeter
2013-04-23 20:15:54めも:アラブ初の超音速機MiG-19は1961年にエジプトにやってきた。その年、航空学校の卒業式でAlaa Barakatさんがエジプト初の超音速迎撃機部隊アピールのためフライパスをやった時、管制塔の窓ガラスをすべて叩き割った!(おいなに音速突破してんだよw
2013-04-23 22:36:58めも:MiG-19は排気管近くに油圧タンクがあり、排気管に穴が開くと油圧タンクから火災が発生するという欠陥があった。ソ連がそれをエジプトに伝えなかったために、保有26機はたちまち20機になった(ひどいw)
2013-04-23 23:16:59めも:エジプト側評価によるMiG-19の良くないところ。着陸時迎え角が大、機首が大きいので視界が悪い、航続距離が短い、空対地ミッションでのペイロードが少ない。なお六日戦争前まで、ワルシャワパクト譲りのフィンガーフォーでなくRAF譲りのフルードフォーで編隊を組んでいた。
2013-04-23 23:54:58めも:エジプト的には既存のMiG-15/MiG-17の曲芸飛行チームと並行して、MiG-19でチームを組みたいという希望があったが、このような編隊飛行にはMiG-19は不適であると証明された(ので組んでいない)
2013-04-23 23:59:48めも:エジプト軍MiG-19の初陣は1966/11/29。2機のMiG-19がイスラエルのミラージュIII2機に迎撃され、実戦初使用のマトラR.530で1機、機関砲で1機撃墜されている。殆ど知られていないところでは、イエメン内戦に数機が実戦投入されている。
2013-04-24 00:13:39めも:エジプトは1961年にはMiG-21に対する関心を示し、翌年にはミラージュ対抗として40機の供給が認められた(ただし、このMiG-21はいわゆる第1世代のF-13)。1964年にはおよそ60機、2個スコードロンが編成されていたと見られる。
2013-04-24 00:27:11めも:MiG-21F-13のエジプト運用における問題点。要撃専門の昼間戦闘機なので爆装が出来ない。緊密な地上管制による運用が想定されている機体だがエジプトにはそれがない。盲目着陸用の地上管制・誘導システム未装備(これは滑走路中間にアレスティングネットを装備して応急対策とした)
2013-04-24 00:36:31めも:エジプトの航空戦略・戦術は、地上レーダーと航空管制による要撃という大々的にソ連に範を取ったものであった、これはパイロットの経験不足と相まってドッグファイト等の個人スキルを明らかに落としたが、スコードロンレベルでは自信満々であった(あかん
2013-04-24 08:30:02めも:エジプト側パイロット、Kadri el-Hamidさんの証言(六日戦争前)。「我々はイスラエル領内を高度18000mで偵察飛行したものだ、彼らはホークを撃ってきたが当たらなかった。領内の飛行は短時間だったためにミラージュも追いつけなかった」
2013-04-24 08:37:00めも:シリア軍はアラブ連合崩壊後に35~40機のMiG-19を得たと見られている。1961年には、3個スコードロン(第8/第9/第11)による航空旅団を編成するためにMiG-21F-13×36機を受領しはじめ、翌年には作戦可能になったとみられる。
2013-04-24 08:47:47めも:(MiG-21F-13導入時の)パイロットの訓練は比較的遅く、技量的な問題がかなりあったようである。最終的にはおよそ45機のMiG-21F-13が1966年までに装備され、同年にエリ・コーエンのMiGに対する関心が彼の命を奪った(げろこ注:エリ・コーエンの処刑は1965年
2013-04-24 09:27:01(どうもググってみると、エリ・コーエン(モサドが送り込んだ20世紀最強といわれるスパイ、あわやシリアの国防大臣にまでなりかけた)がMiG-21の隠し撮り写真をイスラエルに送ったという話があるんだとか)
2013-04-24 09:31:23めも:シリアは1966年から、15機のMiG-21FL(1個スコードロン分)と6機のMiG-21Uを取得している。
2013-04-24 09:35:14めも:イラクは1961年から、50機のMiG-19Sを受領し、第1バッチは1965年にエジプトへ送られている(中古機)。1963~66年にかけて、およそ60機のMiG-21F-13が引き渡されている。イラクで最初にMiG-21を受領した第17飛行隊は(続
2013-04-24 09:43:57めも続:以後30年間第1戦闘偵察飛行隊と並ぶイラクきってのエリート部隊とされ、以後もMiG-21MF/MiG-25を最初に受領。イラク空軍の訓練は集中的で、週20~22時間の飛行、毎週日曜日は実弾射撃訓練。ただし空対地ソーティばかりで、空対空については殆ど教えられなかった。
2013-04-24 09:54:35めも続:イラク空軍では粛清により半数のパイロットが失われている。1963年にHabbaniyah基地所属のハンターとMiG-21がバグダッドの防衛省ビルを爆撃し、カセム将軍(1958年に王政を打倒)を降伏させた(このクーデターをやったのがバース党)。
2013-04-24 10:11:20めも続:1966/8/16には、イラク空軍第11スコードロン所属のMonir Rafda中尉がMiG-21F-13に乗り通常訓練に出て、そのままイスラエルへ飛んで行った(かの有名なモサドのお手柄ですねw) Rafda中尉はクリスチャンで、イラク空軍で不遇な扱いをされていた。
2013-04-24 10:18:54めも続:更にその数週間後、3人のイラク人パイロットがMiG-21を駆りヨルダンに亡命した。パイロットの身柄は亡命者として処遇されたが、機体は速やかにイラクへ返却されている。
2013-04-24 10:21:09めも続:これらの政情不安にもかかわらず、イラク軍のMiG-19/MiG-21は1966年を通し、クルド人反乱鎮圧の作戦に投入され続けた。
2013-04-24 10:29:44めも続:亡命騒ぎが落ち着いてから、イラクは60機のMiG-21PFと数機のMiG-21Uを発注した。イラクはこれで4個スコードロンを編成するつもりだったが、1967年の春までには2個スコードロンしか編成できていなかった。
2013-04-24 10:30:43