芦田宏直先生の「機能主義」の幻想とは~最初に自由な魂の主体(subject=substance)ありきという立場に機能主義は立たない。

機能主義は、どんな内容(=実体)がその刺激と反応を支えているのかは棚に上げて、刺激(INPUT)と反応(OUTPUT)というテーマ化された観察対象、観察主題だけを基盤にして内容(substance)を逆構成するという離れ業をやってのける。 最初に合理的な思考をする個人ありきという立場、つまり自らの不利益をわざわざ招くような行動をする人間は存在しないという立場に、この機能主義は立たない。
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芦田宏直 @jai_an
機能主義、および機能主義的心理学の基本モデルは、簡単に言えば、「パブロフの犬」の条件反射。刺激を与えると一定の規則だった反応があるというもの。
芦田宏直 @jai_an
機能主義は英語のfunctionalismの訳だから、むしろ関数(function)主義と言った方がわかりやすい。「パブロフの犬」に於けるベルの音と犬の食欲を表す唾液は、関数関係にあるわけだ。
芦田宏直 @jai_an
実際には、「唾液」ではなくて、「靴音」だったらしいが。
芦田宏直 @jai_an
刺激(INPUT)と反応(OUTPUT)との間に或る形式的な規則性が認められれば、その反応体(と取りあえずそう呼んでおこう)は何ものか「である」と。
芦田宏直 @jai_an
機能主義は、どんな内容(=実体)がその刺激と反応を支えているのかは棚に上げて、刺激(INPUT)と反応(OUTPUT)というテーマ化された観察対象、観察主題だけを基盤にして内容(substance)を逆構成するという離れ業をやってのける。
芦田宏直 @jai_an
述語をたくさん集めれば、いつかは主語になるという考え方である。
芦田宏直 @jai_an
近代経済学が前提とする行為者の合理性理論(rational choice theory)、つまり自由な判断主体を前提して最大利益の獲得を目指す合理的な個人というのは、この機能主義で言えば、幻想に過ぎない。
芦田宏直 @jai_an
最初に合理的な思考をする個人ありきという立場、つまり自らの不利益をわざわざ招くような行動をする人間は存在しないという立場に、この機能主義は立たないからだ。
芦田宏直 @jai_an
哲学や思想の分野でも、人間を《魂(soul)》という、自然物からは自由な実体を有した存在者(=主体)とする立場が存在するが(プラトンのイデア論、アリストテレスの目的論、キリスト教もそもそもその立場に立つ)、これもまたこの機能主義から言えば幻想に過ぎない。
芦田宏直 @jai_an
最初に自由な魂の主体(subject=substance)ありきという立場に機能主義は立たない。
芦田宏直 @jai_an
そういった反省に立って、経済学は合理的な個人主義から「行動経済学(Behavioral economics)」に、哲学は人間主義=主体主義から「機能主義(functionalism)」=「行動主義(behaviorism)」に「進化」して行った(とされている)。
芦田宏直 @jai_an
両者ともに「行動」と呼んでいるが、実はこれは誤訳に近い。「行動」と訳されている英語はbehavior。「振る舞い」「外貌」のことである。
芦田宏直 @jai_an
日本語で言えば「行動」の反対語は理論的なものと理解されがちだが、この行動主義の「行動」の反対語はむしろ「実体」(subsistence)としての中身ということを含意している。その意味では、behaviorismは、むしろ「外貌主義」と訳した方が意味が伝わりやすい。
芦田宏直 @jai_an
このbehaviorとしての外面こそ、「パブロフの犬」的な唾液(足音)のことを指している。「ベルが鳴る」というinputに対して「唾液が出る」というoutputがbehaviorである。
芦田宏直 @jai_an
この場合、犬が「合理的に」唾液を出しているのか、犬の「心や魂(soul)」をもって唾液を出しているのかは、機能主義にとってはどうでも良いことだ。そういった「実体」(subsistence)としての中身はどうでもよい。
芦田宏直 @jai_an
大切なことは、ベルを鳴らす(ベルの音が聞こえる)というinputに対して、唾液を出すというoutput=behaviorが事実として生じたということなのだ。
芦田宏直 @jai_an
ここ(このfunction)に反復的な規則性を見出すことができれば、またこの反復的な規則性が他の存在者と区別されることになれば、それは固有な種別性をもった一つの存在者(言わば「実体」(subsistence)としての中身)だと判断することができる。
芦田宏直 @jai_an
機能主義にとっては、「実体」(subsistence)としての中身、あるいは「内面」は結果であって、出発点ではない。
芦田宏直 @jai_an
原子核の存在を原子に放射線をあてて発見したようにして(これは機能主義の成果)、反応なき存在は、非存在という考え方が機能主義の原点。脳死論も無反応は「人間の死」と同じとする考えに近い。
芦田宏直 @jai_an
その意味でなら「無反応」の人間は元気な人でもたくさん存在するような気もする(笑)。脳死論はその意味で人間を機能主義的に扱っているのである。
芦田宏直 @jai_an
これは、人間の形式化や単純化というよりは、人間は思っているほどに複雑でも実体的でもないという確信に基づいている。この種の単純主義はそもそもが心理主義と同系。
芦田宏直 @jai_an
行動主義心理学(behavioristic psychology)、認知心理学(cognitive psychology)も原型は全て機能主義。それは〈魂〉や〈心〉が「主体」的、「内面」的に人間を動かしているという形而上学の信憑を近代的に打ち砕く思想だった。
芦田宏直 @jai_an
たしかに、占いや血液型で人生や会社の経営を判断している人がいないでもないほどに、「人間は単純」「人生は単純」「経営は単純」と言おうと思えば言える。
芦田宏直 @jai_an
こういった機能主義(functionalism)、行動主義(behaviorism)は、政治的には、民主主義の原理でもある。
芦田宏直 @jai_an
「そう見えている」のに、「実際は」偽物だったというのを真剣に糾弾すると、近代では「差別」と言われる。
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コメント

セルフ執事 @SF_yomi 2013年4月28日
なんかこんな書き方されたら、「機能主義」が悪いみたいじゃん。機能主義の幻想が述べられていないし。機能主義には限界が有って、振舞しか観察できないけども、振舞くらいは観察してみようず。それでなんか判れば良いねって事で始まったんや。
セルフ執事 @SF_yomi 2013年4月28日
人間を機械と見るのか? っていう批判は最初からずーと有って、じゃあ、どんすのよ? って事に答ずに済む哲学者はズーとこういう事言ってるんだけど、それは違うよね。「今」の哲学者が言うとしたら、「機能主義には限界が有る事を思い出せ」程度じゃないの? 
セルフ執事 @SF_yomi 2013年4月28日
国語教師に物を教わった、哲学者って頭悪いから、哲学以外の事をまるで勉強しないで、何時も、何時も、哲学の文脈で語るし、それを聞いてると哲学者ってのは偉いんだなーって思うけども、これは東が自分でパソコンを組み立てるのさえおぼつないのに。
セルフ執事 @SF_yomi 2013年4月28日
「○○。2」とか言ってるのと同じ「社会学者も良くやるし、国語教師が森鴎外の虐殺を糊塗するから学べないで、社会人になってる人も多い。社会に現われた現象を内実(研究・技術開発・エンジニアリング)見ないで、外貌だけ見て言葉並べてるんだよね。
セルフ執事 @SF_yomi 2013年4月28日
機能主義批判? ぽい事を言いながら、その実、文献のコピペで一部でっち上げたり。中国人の部屋みたいな事して、頭良さそうな態度に終始する。だれよりも、なによりも、機能主義(外貌主義)なのが哲学者。
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