山本七平botまとめ/イエスが痛烈に批判したファリサイ派の「自己絶対化」/~ファリサイ派が権力を否定し、自ら統治の責任を負うことを拒否し、万年野党化した理由とは~

山本七平著『存亡の条件――日本文化の伝統と変容――』/第二章 民族と滅亡/永遠の課題――思想と組織と人/63頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①そしてファリサイのもう一つの特徴は、権力否定と労働の神聖視である。 「労働を尊重し権力者と親しくなるな」 という意味の言葉を後代のラビ・アキバは言ったが、ファリサイの指導者はこれを厳格に実行していた。<『存亡の条件』

2013-03-31 05:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

②彼らの多くは、左官・人足・大工・炭焼き等で生活を支えつつ、かつ会堂(シナゴーグ)で講義をした。 彼らは、権力者の庇護を受けて教えを説くという者を徹底的に否定し、批判し、嫌悪した。

2013-03-31 06:27:48
山本七平bot @yamamoto7hei

③…清水幾太郎氏の、安保における東大法学部への、一種、痛烈な批判的態度の底にあるものは、恐らく自らを「売文家と自己規定され、それで生活を支えつつ社会運動をしている者」の「月給をもらい庇護を受けつつ、その庇護に基づく特権に安住して反政府的言動をしている者」への嫌悪感、(続

2013-03-31 06:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

④続>いわば偽善への嫌悪といったものがある、と私には感じられる。 そしてこれは、峻厳なるファリサイ派が常にもっていた嫌悪感であった。 これはファリサイ派から転じた使徒パウロにもある。 彼は生涯、天幕作りという労働で自己の生活を支えていた。 確かにファリサイ派は立派である。

2013-03-31 07:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤だがこの立派さは一面、彼らを自己絶対化させ、それは絶対的な権威として民衆に作用し、モーセ律法の絶対化は口伝の絶対化になり、彼らの絶対化となった。 エッセネ系と思われるイエスが痛烈に批判したのは、その自己絶対化である。 その絶対化は一面、強力な政治勢力となり得た。

2013-03-31 07:57:38
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥しかし彼らは、権力に近よることを拒否し、従って、万年野党、永遠の批判政党の位置にいた。 これは、その発生において、ハスモン家とともに戦った同志でありながら、独立後、これと分裂して逆に弾圧を受けたという理由にも基づく。 特に、前述のヤンナイオスのときの弾圧はひどかった。

2013-03-31 08:28:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦しかしその後、短期間だが与党の位置にいたこともある。 だがこのときもいわば批判的与党であって実際に統治の責任を負ったことは、一度もない。 従って彼らは政党とはいえないのだが、(続

2013-03-31 08:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧続>もし政党と仮定するなら、現政府を、モーセの律法に違反する悪と規定し、それへの服従を拒否して抵抗の姿勢をとることを善としながらも、権力指向を悪と規定することによって、自ら統治の責任を負うことを拒否しているという、一種の倒錯型政党・反権力型権力と名づける以外にない。

2013-03-31 09:27:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨ファリサイ主義は結局、この形にしかなり得ない。 そしてそれは、現実の政治的改革には何一つ寄与せず、後述するように「ヘロデ(註:古代の「スターリン的」君主)」を生み出すのである。

2013-03-31 10:00:15