空軍創設への歴史(まとめ途中の仮タイトル)

とりあえず、自分が今まで調べて見たことのおさらいなので あってるかどうかは自信がないです。
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飛行機の初めての実戦参加

ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

1910年新興国イタリアに小さな航空隊が組織され、1911年イタリアはトリポタニアをめぐりトルコと開戦、これにより始まった伊土戦争はオスマン帝国の弱体化を露呈させ、その後の第一次世界大戦の伏線にもなって行く一方で軍事面でも大きなターニングポイントとなる戦争となった

2013-04-28 22:21:41
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

ちなみにこの伊土戦争は映画に記録された戦争だったようです。 http://t.co/VtcG49KuB6

2013-04-28 22:23:55
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伊土戦争でイタリア軍はP.2 P.3飛行船2機を使用しトルコ陣地に偵察を行いその際乗員は手榴弾を数発落とし、このささやかな爆撃が20世紀前半急激に発展し、それまでの軍事史を塗り替えることになる、世界初の空軍による地上攻撃でした。 http://t.co/cuUFyPb6k5

2013-04-28 22:31:16
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ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

伊土戦争では空気よりも軽い軽航空機だけではなく、英国のH・G・ウェルズが「我が国は艦隊を有しているにもかかわらず、軍事的観点からは、もはや到達不可能な島ではなくなったのだ」と述べたドーバー海峡を初め横断したブレリオも参戦します http://t.co/Pbf6AvjENC

2013-04-28 22:34:54
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ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

は伊土戦争ではブレリオ等11機の飛行機が陸軍の支援に投入され大半は偵察任務だったものの1911年11月1日にギリオ・ガヴォッティ大尉が、自身の乗るブレリオ機から4発の手榴弾を他ジュラのオアシスにあるオスマン帝国の陣地に攻撃し、これが史上初の空襲となったそうです。

2013-04-28 22:38:14
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

伊土戦争はイタリアの勝利に終わり、バルカン同盟の成立、第一次バルカン戦争と欧州を破壊し尽くした歴史のピタゴラスイッチが少しずつ動き出すのですが、まだこの頃、一部のパイオニアを除き航空機を戦略的な規模で使用しようとする動きはあまり見られず、また航空機の能力も不十分でした。

2013-04-28 22:43:55
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

しかし新たな発明品である飛行機の軍事的価値に注目した人間は伊土戦争以前に現れており、彼らが20世紀に初めて生まれた第三の軍、空軍の関係者となりそれぞれの立場で奔走することになります。

2013-04-28 22:47:21

第一次世界大戦以前の航空機の能力に注目していた人たち

ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

1906年イギリスの新聞王ノースクリフ卿は「サントス・デュモントが720フィート飛んだというのがニュースではない。もはやイギリスは島ではないそこがニュースなんだ。つまり、もし戦争になれば、それは敵の空駆けるチャリオットがイギリスの領土に降りてくることを意味する」と

2013-04-28 22:48:07
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

英国のその後を暗示させる言葉を残していますし、第一次世界大戦後大きな影響を与えることになるジュリオ・ドゥーエも1909年雑誌「ラプレパラチオネ」に次のような論考を書いたようです。

2013-04-28 22:50:34
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

「空中が地上階上に劣らない重要な戦場となるということは、地表面と密接に結びついて生きてきたもの、陸海軍しか持たないもの、理解できないほど遠い先を見通していた少数の先駆者たちの努力を冷笑していたものには不可解なことであった。

2013-04-28 22:51:51
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

しかし、我々は直ちに新しい考え方を理解し、新しい種類の戦争に準備しなければならない。

2013-04-28 22:52:16
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

たとえ国境に海の波が打ち寄せることがない国はあっても、空気の柔らかい息吹を感じることのない国はない。これからは二種類ではなく三種類の異なる戦場があり、各々の戦場で別々の平気によって、勝利という唯一共通の目的に向けて共同された戦闘が実施される。

2013-04-28 22:53:57
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

今日我々は正解の意義を十分に理解している。空からは眺望が良好で攻撃が容易という利点を活用するには制空の獲得が前提となるから、近い将来には制空も制海と同様に重要であることが理解されるだろう。

2013-04-28 22:57:44
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

(略)近代国家はこの新しい戦争に備えて、必要な武器を集積し準備するであろう(略)今日各国の軍隊の間でお争われているように航空戦力相互の間にも競争が起き、これは経済的な要因から抑制される。優越を追求するこの必然的な競争によって世界中の航空隊は規模を拡充しより高い地位を獲得するだろう

2013-04-28 23:00:09
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

陸軍と海軍は、飛行機を特殊な場合に用いる補助手段とみなしてはならない。そうではなく、陸海軍は飛行機を三番目の兄弟として、若いけれども強力な戦闘集団の一員と認識をしなければならない」

2013-04-28 23:01:46
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

これは私が知りうる限り最も古い、空軍独立を訴えているとも言える主張で、ドゥーエが後に発表する「制空論」の萌芽が読み取れます。

2013-04-28 23:03:57
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

1914年6月28日オーストリア皇太子の暗殺事件から始まった第1次世界大戦、その開戦時ではドゥーエの主張の通りに各国で航空機が第三軍となるほどの勢力は未だ持っておらずその後の発展から見るととてもささやかなものでした。

2013-04-28 23:06:40

第一次世界大戦勃発と飛行機による偵察

ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

1914年8月の時点での各国の保有数はドイツ 292機 ポーランド 244機 イタリア 220機フランス 210機 オーストラリア 195機 オスマン帝国 150機 英国 112機 ロシア 36機 程度になります。

2013-04-28 23:10:13
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

開戦により大きく動き出したピタゴラスイッチはドイツのシュリーフェン・プランはマルヌ会戦で英仏を中心とした連合軍が辛勝で停止したことにより頓挫、これにより戦争は当初の楽観論から長期戦の様相を見せ始め、それまで歴史上例を見ない規模の総力戦が行われることになります。

2013-04-28 23:21:51
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

そんな中、各国にたった数百人程度しかいなかった飛行士を大量に集める必要が出てきたため、とある兵科が飛行士の供出元として注目されることになります。

2013-04-28 23:24:18
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

彼は私の方のストラップを目にしてこういった。「おお、君はグロスター義勇農騎兵団か。乗馬はできるのか」と。「わたしが「はい、できます」と答えると「北極星の位置は知っているか」と聞く。「知ってます。見つけられると思います」と私が言うと、「じゃあ大丈夫だな」という答えが帰ってきた。

2013-04-28 23:26:19